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祖国を離れて半世紀

村岡 崇光

昨年夏一時帰国したとき、成田空港に降り立って、航空券を予約した時には 意識していなかったのに、
丁度半世紀前に、当時は成田でなく、羽田からイスラエルに飛び立ったことに気づき、感無量でした。
その時には2,3年で帰国するつもりでした。

親の反対を押し切って当時の東京教育大学(現筑波大学)の英文科に入学し、そこで故関根正雄先生に巡り会い、聖書の原語のギリシャ語やヘブライ語に惹かれ、
それて生計が立てられるかは保証の限りではない、という関根先生の警告も聞き流して、
イスラエル政府給費生としてエルサレムのヘブライ大学に向かいました。
親からは一銭の援助も得られなかったので、飛行機の切符もやっと片道切符が買えただけでした。

エルサレムでも世界的なヘブライ語学者であっただけてなく、立派な紳士でもあった故ハイム・ラヒン先生に薫陶を受け、
そのご指導のもとに博士論文を仕上げることができました。
これからどうしようか、と待機しているとき、66年に識合ったイギリスのマンチェスター大学の友人から、
ヘブライ語の口があるけど、と声をかけられ、そこの教授が偶々私の博士論文の審査員の一人であったこともあり、
応募したところ採用してもらい、同大学で10年教えることになりました。
エルサレムで生まれたまだ1才の長男を引き連れて移ったのでした。そこで長女、次男に恵まれました。

その後、祖国に近くなる、ということも魅力でメルボルン大学の教授職に応募したところ採用してもらい結局11年過ごすことになりました。
最後には、オランダ最古の(1575年創立)ライデン大学のヘブライ語教授として12年奉職しました。
ライデンでは講義は主としてオランダ語でしましたが、英語をただ読んで和訳するだけでなく、実用的な能力もなければ講義だけでなく、
著作も英語でなければ国際的に通用しないことを思いますと、教育大の学部で英語をしっかりと身につけさせられたのも神様のご配慮であったように思われます。
それだけでなく、マンチェスター時代、メルボルン時代も終わりの頃はそれぞれの国の経済が弱体化して、
ヘブライ語などというあまり学生も集まらないような科目を担当するのに肩身が狭くなっているとき、
人間的に言えば「思いがけなく」道がひらけたのも上からのご配慮であったのでしょうか。

このようにして、33年間もの長きにわたって、好きなだけでなく、神様から与えられた使命、と受け止めてきた聖書語学の研究、教授に専心出来、
いまなおその興味を支えて下さり、ぼけずに研究を続けさせてもらっているのは同じ神様による恵みてはないか、と思います。
また、生来外国語は苦手の妻桂子か私の使命感を理解し、共有してくれて、縁の下の力持ち役を果たし続けてきてくれていることも、
神様の支えのひとつの現れ、と受け止めています。

こちらのオランダ日本語聖書教会のご夫人達が最近山上の垂訓を学んでおられますので、
「幸いなるかな、料理のうまい妻を抱える男子は」と付け加えてもいいのでは、と先日冗談に言いました。
イエス様も結婚されていたら、それを聞いて微笑まれたかもしれません。

オランダでは、日本と違って、自家営業でもしていない限り、誰しも65になれば定年で、再就職というのはまずありません。
私も12年前に定年退職を眼前に控えていた時、退職後の人生設計を祈り求めました。

マンチェスター、メルボルン時代に薄々気づき始めていたのですが、オランダに転勤してから日本の戦争責任のことを明確に認識するようになりました。
この三つのいずれの国にも戦争中に日本軍によって不当な扱いを受け、傷つけられ、その傷がまだ癒えないで苦悶している人たちが多いことを知りました。
そういった犠牲者はアジアにもいる、犠牲者の数からいえば何十倍といること、
そして隣国のドイツと違って、日本はまだこの問題に正面から取り組んでいないことも事実です。

日本人クリスチャンとしてこの問題にどのように対処したら良いのだろうか、と祈り求めた結果、
退職して、講義や事務から完全に解放されてできた時間を100% 研究三昧に過ごすのでなく、
十一献金をするように、この時間も神様に十分の一お捧げしよう、自分の専門分野の聖書語学に対する関心や知識をアジアの人たちと分かち合おう、
たた口で謝るだけでなく、謝罪の気持ちを一年最低5週間アジアで、無報酬で教えさせてもらうことで具体的に表現しよう、と決心しました。
こうして、2003年の韓国を振り出しに、インドネシア、シンガポール、香港、フィリッピン、中国、台湾、マレーシア、ミャンマー、タイを訪問し、
昨年は韓国とインドネシアを再訪、今年は台湾、来年は上海を予定しています。

昨年12月日本聖書協会が私のこのアジア旅行の記録を「私のヴィア・ドロローサ:『大東亜戦争』の 爪痕をアジアに訪ねて」という題の本として出版してくれました。
これは私たちの 信仰とは無関係で、政治の問題ではないか、と仰る方があるかもしれませんが、そうでしょうか?
他国の領土を侵略し、人命、財産を故なくそこなう、これは不正であり、不義です、つまり罪です。
女性を強姦する、これは神の姿に似せて創られた彼女をおとしめることであり、とりもなおさず彼女の創造者に対する反逆です。

大東亜戦争には日本のクリスチャンも、教会もごくごく少数の例外を別としてこれを支援しました。
そこで日本軍、日本の一般人によって犯された罪を私たちもはっきりと認め、悔い改め、
被害者、その遺族、その国に対して赦しを請う必要があるのではないでしょうか?
私たちクリスチャンこそ、敗戦後70年、いまこそ予言者としての役を果たすべきではないのでしょうか?

泉田先生の指導されていた練馬バプテスト教会で聖書に対する関心を強められ、悔い改めと罪の赦し、
私のために磔になってくださったキリストに対する信仰だけに生きることを教えられましたが、
その姿勢を私なりに保てるように祈りつつ生きて来たつもりです。

オランダ、ライデン市郊外   25.04.2015

 

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