聖書からのメッセージ

世界中で最も読まれている書物『聖書』から、人生の真理を思い巡らします。
第一礼拝・第二礼拝は同じメッセージです。

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1月

1月

新年、71周年創立記念

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:渋谷 昌史 伝道師
聖    書:ピリピ人への手紙3章12-16節
目標を目指して走ろう

 

12.私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。
ただ捕らえようとして追求しているのです。そして、それを得るようにと、キリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。
13.兄弟たち。私は、自分がすでに捕らえられたなどと考えてはいません。
ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、
14.キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。
15.ですから、大人である人はみな、このように考えましょう。
もしも、あなたがたが何か違う考え方をしているなら、そのことも神があなたがたに明らかにしてくださいます。
16.ただし、私たちは到達したところを基準にして進むべきです。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

■アウトライン

1.「キリストを得るように」、と(12節)

「キリストを得るように」というこの目標は、信じるすべての人に開かれていて、誰かに奪われる心配もありません。
「キリストを得る」というマラソンコースは、信じる一人ひとりにそれぞれ別のコースとして備えられていて、
私たちは自分に与えられたコースを自分のペースで進めばいいのです。
キリストを追求すると、みことばそのものであられる主を通して、主を信じる「神の家族」を通して、
主が創造されたこの世界を通して、教えられることがたくさんあります。
神さまとの証しの体験として、その思いは心の中に貯えられます。見える世界も見えない世界も心の中で広がっていきます。
この目標は歳を重ねたら追求できなくなるものではありません。
むしろ、ますます豊かになっていくものです。皆さん、キリストに捕らえられるって凄いことですよね。

 

2.ただ一つのこと(13、14節)

ここでパウロが語る「うしろのものを忘れ」の「忘れ」に相当する言葉は現在分詞が用いられていて、
すでにスタートしているけど、まさに今、動いていて、ゴールに到達していない様子を表わしています。
たとえキリストという目標が定まっていても、うしろのもの、過去の出来事は時にパウロを苦しめます。私たちもそうでしょう。
パウロはかつて自分がキリスト者を迫害する者であった、ということを決して忘れなかったでしょう。
キリスト者になってからも異邦人に福音を伝える働きを神さまから託され、数々の失敗をしては、
次にどうしたらよいかということを考え、行動に移してきたことかと思います。
失敗してもそこで働きを止めてやめてしまうのではなく、うまくいかなかった原因を神さまと語り合い、
新たな宣教のアプローチを考えてはまた一歩を前へと踏み出したのです。ただ「キリスト」という目標を目指して。

 

3.到達したところを基準に(15、16節)

この競争は他の人と争うものではありません。
皆さんお一人おひとりに神が用意されたマラソンコースを、自分のペースで進んで行くのです。
しかし、その道を進むのを妨げる思いがあったり、私たちの側が何か違う考え方をしていて、歩みが止まってしまうこともあります。
「何をどうしたらよいのか?」ということは、キリストを信じていても必ず起こることですが、それでも心配はいりません。
その時々で、神さまが明らかにしてくださるので。私たちは到達したところを基準にして進めばよいのです。

 

■一緒に考えてみましょう

  • キリストを目標に走る人生の中で、どんな体験を味わわせていただいたでしょうか?

12月

12月

アドベント

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:詩篇  100篇1-5節
1年の感謝を数える

1  全地よ 主に向かって喜びの声をあげよ。
2  喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。
3  知れ。主こそ神。主が 私たちを造られた。私たちは主のもの 主の民 その牧場の羊。
4  感謝しつつ 主の門に  賛美しつつ その大庭に入れ。主に感謝し 御名をほめたたえよ。
5  主はいつくしみ深く  その恵みはとこしえまで  その真実は代々に至る。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. そのままでいいから、神の前に行こう

人生、途方に暮れることがあります。疲れ切って、もう何もできないという時があります。
そういう時こそ、思い出したいことは、そのまま(でいいから)、神様のところに行くことです。
ちゃんとしてないと、神様のところに行けないと、私たちは無意識に考えてしまう傾向があるかもしれませんが、それは違います。
不安がある。心配がある。悩みがある。解決しない。そういう時こそ、神様のところに一緒に行きましょう。
神様に全部、聞いてもらいましょう。

 

  1. 私は神様のかわいい羊

この詩篇は、「神様がしてくれたことがある。だから、感謝をしましょう!」と言います。
3節にシンプルに書いてあります。神様は私たちを造りました。
どういう意味かというと、私たちは神様の大切な存在で、羊飼いが自分の羊をかわいがり、丁寧に世話をするように、
神様にとって私たちは大切な羊だということです。
「神様にかわいがってもらっている、大切な羊」というのが聖書の教えるイメージです。
私たちは神様に大事に育ててもらっています。この関係は絶対に、揺らぐことがありません。

 

  1. 感謝を数えるとは信仰の表明

先週、クリスマスを迎えました。暗闇を照らすまことの光、イエス・キリストの誕生を祝いました。
暗闇の中、光は輝くと聖書は約束します。私たちは、暗闇を見続けることもできますし、暗闇に輝く光に目を向けることもできます。
1年の終わりに感謝を数えるということは、暗闇の中に輝く光に目を向けるという私たちの信仰の表明です。
今もなお、困難な中にいる方がいることを思います。決して、人生は簡単ではありません。
それでも、「知れ、主こそ神。私たちは神の牧場の中にいる羊」です。信仰によって、感謝を数えましょう。

■一緒に考えてみましょう

  • 神様のスペースを作ってから、感謝を数えましょう。私が気づかなかったかもしれませんが、神様はと私たちと一緒に、
    この1年ずっと、寄り添ってくださっていたはずです。イエス様、どうぞ私たちの目を開いてください。

11月

11月

ピリピ書講解

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:詩篇  46篇1-11節
祈り ― 自分に正直に

1   神は われらの避け所 また力。 苦しむとき そこにある強き助け。
2   それゆえ われらは恐れない。 たとえ地が変わり 山々が揺れ 海のただ中に移るとも。
3   たとえその水が立ち騒ぎ 泡立っても その水かさが増し 山々が揺れ動いても。  セラ
4   川がある。その豊かな流れは 神の都を喜ばせる。 いと高き方のおられる その聖なる所を。
5   神はそのただ中におられ その都は揺るがない。 神は朝明けまでに これを助けられる。
6   国々は立ち騒ぎ 諸方の王国は揺らぐ。 神が御声を発せられると 地は溶ける。
7   万軍の主はわれらとともにおられる。 ヤコブの神はわれらの砦である。   セラ
8   来て 見よ。主のみわざを。 主は地で恐るべきことをなされた。
9   主は 地の果てまでも戦いをやめさせる。 弓をへし折り 槍を断ち切り 戦車を火で焼かれる。
10 「やめよ。知れ。 わたしこそ神。 わたしは国々の間であがめられ 地の上であがめられる。」
11  万軍の主はわれらとともにおられる。 ヤコブの神はわれらの砦である。   セラ

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 神の前に心を注ぎ出す

「神の前」というのは、私を受け入れてくれる神様に祈るということです。
誰かに聞かれる心配はないし噂話のネタにされる心配もない、安心・安全な場所。
自分の心にある思いの全てを吐き出して大丈夫な場所です。
最初は、嬉しかったことや感謝なことを伝えるだけでも、自分の心を豊かにする助けになります。
次第に、自分の心にある不安や悩みも、神様の前に伝えたらいいかもしれません。
率直な、正直な祈りによって、自分の心の整理が始まっていきます。

 

  1. 次第に神の現実に目が向く

不思議ですが、自分のことだけ祈っていても、神様の前で祈られる祈りは、次第に、神様が今、ここにいることに光を当ててくれます。
詩篇の祈りも、苦しみから始まることが少なくありませんが、祈りの最後には、神に心が向かっていくのです。
この詩篇46篇は、神の現実を力強く語ることで、この祈りは、人生に降りかかる大きな困難に直面し、恐れ、思い悩み、
神様を信じきれないような人の心を慰め、力づけてきた祈りです。
宗教改革者のマルティン・ルターも恐れ、悩みましたが、この詩篇46を繰り返し読み、元気付けられました。

 

  1. 変わりゆく世界で、変わらない神を知る

自分に正直に祈りつつ、「やめよ。知れ。 わたしこそ神」という言葉を受け止めたいのです。
右往左往するような場面があります。自然の脅威、人との関係。私たちの心が騒ぎ、揺さぶられる時に、神様との関係を深めることができます。
「この神様が私と共にいてくれる」「私が逃げ込める砦がある」「ここにいたら絶対安心、絶対裏切られることもない」
「厳しい道を通らなければならないとしても、そこを耐え、通り抜けることができる」という体験をしたいのです。

■一緒に考えてみましょう

  • 人を思いやるゆとりを失うほどに、自分を忙しくしてはいけません(マザー・テレサ)という言葉を聞いて、
    どのように今日の私に響くでしょうか。
  • 祈り方は人それぞれです。静かに座って祈ることが好きな人もいれば、単純な作業をしながら神様に心を向ける人もいます。
    自分に合った祈り方で、心を注ぎ出す時間が取れますように。

10月

10月

ピリピ書講解

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ルカの福音書22章31-34節
聖書 ― 人生の鏡に

31「シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。
32 しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。
ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
33 シモンはイエスに言った。「主よ。あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」
34 しかし、イエスは言われた。「ペテロ、あなたに言っておきます。今日、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

1. 心の余白を作る

忙しすぎて ほほ笑む暇も 愛を与えたり、受けとめたりする暇もない そういう生活になっていませんか?(マザーテレサ)
この言葉に大事なことが詰まっている気がします。私が余白を作りたいと思うのは、こういう理由からです。
余白は余りものではなく、意識して作る必要があります。「余白」はキリスト教の伝統の中でも大事にされてきました。
長年の知恵の一つです。その方法として、今日は聖書を読むことを紹介します。

2. 「取り返しのつかない失敗」とその先

弟子の代表的な立場にあったペテロは、牢屋も死も覚悟はできていますと言いましたが、いざその場面になったら、イエスを否定し、逃げました。
一番大事な場面での大失態。取り返しがつかない失敗です。ちょっとした失敗ではない。
どん底に落ちて、そこからどうやって出たらいいかわからないような失態。
でも、この続きがあるとイエスは言うのです。

3. わたしはあなたのために祈りました

「もう取り返しがつかない」と人には思えるような大失態をしたとしても、その先に道を作ってくださるのが神様です。
イエスはここで祈りましたと言いました。イエスの祈りは実現していきます。確かな力があります。
「とんでもない失敗をして、取り返せないと人は思っても、あなたは立ち直れる。
そして、あなたと同じように沈んでいる兄弟たち、仲間と言う意味です、を力付けてやりなさい。」とイエスは失敗の先に、
神の保証する道を用意してくれました。
イエスを裏切ったペテロだからこそ語ることのできる神の赦しと愛の言葉をペテロは手にすることになるのです。

 

■一緒に考えてみましょう

  • 「取り返しのつかない失敗」だと思ったけど、立ち直ることができた体験はありますか。
  •  最近、忙しすぎて、愛を与えたり受け取ったりする余裕がないということはありませんか。
    生活を見直す必要があるとしたら、どこから始められるでしょうか。

9月

9月

ピリピ書講解

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:マタイの福音書11章28節
重荷をおろせる場所

28 すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

1. 疲れは気づきにくいから、まず休みなさい

一般的に、自分が疲れている、重荷を負っていると自覚することが苦手です。
だから、まずは休みなさいとイエスは私たちを招いています。
あなたの背負っている重荷を下ろしなさいとイエスは言います。
休んで、心にゆとりができて、自分で精一杯だったところから、少しずつ回復してきた時、神様のことがわかるようになります。
神様のことを考える時、神様はどんな目で私を見ているのかなと想像してほしいんです。

2. 神の願いは私たちに愛を示すこと

「神の意志を知るというのは、私たちの生活の中に神の愛がはっきりと示されていて、
それが私たちにぴったりの方法であることを見つけ、受け入れ、肯定すること」これはヘンリ・ナウエンの言葉です。
私たちがイエスのもとで休むとき、神の思いに触れることができるはずです。
神は私に見つけほしいと思っているし、私が神の愛を受け入れられるようにと願っているし、神に愛されていると心の底から納得してほしいと願っています。私たちができるのは、神のスペースをつくり、神の思いに浸る時間を見つけることです。

3. すべてを知って、受け入れてくれる

人には、誰だって、大なり小なり、隠し事があります。誰にでも話せる話題ではないけど、誰かには打ち明けたいと思うことがあるかもしれません。
神は私たちのことを全てお見通しです。神の前に隠し事はできません。
私たちが隠したいと思うのは、これを知られたら嫌われると本能的に察するからだと思いますが、でも、神は私たちを受け入れてくれる。
私たちが苦しんでいることを知っている。だから、私たちはここで重荷をおろすことができるのです。

■一緒に考えてみましょう
・神の前だから、神を信頼して、正直な気持ちになることができます。
悩みを打ち明けることができます。悲しみを告白することができます。
どうやって重荷をおろしてきたか、周りの人と体験談を話してみましょう。

8月

8月

ピリピ書講解

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ピリピ人への手紙2章1-2節
愛されることが原点

1 ですから、キリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、
2 あなたがたは同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、思いを一つにして、私の喜びを満たしてください。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

1. 苦しみがあるから、励ましが必要だと神は知っている
パウロもピリピの教会も、苦闘を経験していた(1:30)ということが直前に書いてあります。
教会の置かれる状況は、大抵の場合、厳しいものです。
人となられたイエスは、私たちの世界の汚れ、醜さを実際に体験し、最後は十字架で殺されました。
この世界の苦しみや孤独、絶望をイエス様は身をもって知っています。
だからこそ、この世界で神を信じる私たちが直面する苦しみを理解し、私たちには励ましや慰めが必要だってことをよくわかってくださいます。

2. 苦しみに向かい合えるように、励ましがある
苦しみがあるのと同じくらい確かに、神の励ましや慰めがあります。
私たちの感覚からしたら、こんなひどい状況は救いようがないと思っても、
こんな悲惨なところに救いはないと思っても、これだけは確かなのは、神の手が届かないところは決してない。
神の光が届かない暗闇は決してない。
どんなに苦しくても、1 人ぼっちだと思っても、全世界の罪を背負って十字架で死んだイエスは、私たちの隣に来てくれる。
イエスの励ましと慰めは確かです。

3. みこころを求め、一つに
同じ思い、一つの思いになるとは、この世界の価値観を手放して、神の価値観を受け入れていくこと。
私の考えではなく、神の思いを優先すること。みこころが天でなるように、この地で、この場所でなるようにと心から祈り、実際に行動することです。
それも 1 人ではなくて、一緒に。1 人だけでも素晴らしいけど、一緒に手を取り合ったら、
想像できないような、いわゆる「奇跡」を私たちは目撃することになります。
私たちの役割はきっと奇跡を起こすのではなく、神の起こした奇跡を目撃すること。
そして奇跡の証人となることです。

■一緒に考えてみましょう
・「励まし」「慰め」「交わり」「愛」を必要としている人のために祈りましょう。
・一つになることは決して簡単ではありません。その道のりは険しいでしょう。
でも、その先には神様の祝福が待っているはずです。みこころを求め、一つになった体験はあるでしょうか。

7月

7月

ピリピ書講解

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ピリピ人への手紙 1 章 21-24 節
生きること、死ぬこと

21 私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。
22 しかし、肉体において生きることが続くなら、私の働きが実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいか、私には分かりません。
23 私は、その二つのことの間で板ばさみとなっています。
私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。そのほうが、はるかに望ましいのです。
24 しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためにはもっと必要です。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

1. 生きるも死ぬもキリスト

直前の「生きるにしても死ぬにしても、私の身によってキリストがあがめられること」(1:20)という言葉を抜きに、今日の部分は理解できません。
いつ、どこで、何をするにしても、それこそ、生きていても、死ぬことがあっても、イエス様があがめられるように!というのがパウロの姿勢でした。
あがめるとは、文字通りには「より大きくなるように」という言葉。牢獄の中、自分の生死に関心が向きそうな状況で、イエス様にパウロの心は向いていました。

2. 苦難を経て達した感覚

生きるも死ぬもキリストと大胆に述べるパウロ。この境地に至るまでに、彼は多くの困難を通りました。
2 コリント 1:8-11 を読んでみてください。自分の苦しみを知ってほしいと語り、どれだけ厳しい状況だった説明しました。
その経験を通して彼は「自分自身に頼らず、神に頼る」ことを学びました。苦難の中、パウロにも感情の浮き沈みはあったでしょう。
辛いと思うこともあったと思います。そういう苦しい中を、神様の守りの中、通ることによって、信仰は成熟していくものだということを心に留めたいと思います。

3. 「死」はもはや苦しみではない

「死」とは、聖書では最後の敵として登場します。痛み、悲しみ、苦しみの極みが「死」です。
でも、パウロは死を悲惨なものとは理解していません。なぜなら、イエス・キリストの十字架と復活があったからです。
「死」に伴うすべての否定的なものをイエス・キリストが身代わりに引き受け、苦しまれ、そして死を滅ぼして、復活しました。
ですから、イエス・キリストを信じるすべての人は、もう「死」を恐れなくて大丈夫だとパウロは知っているのです。
死はキリストと共にいることであり、平安な場所に変わりました。

■一緒に考えてみましょう
●「生きるも死ぬもキリストがあがめられること」をパウロは求めましたが、今日の私の心はどこに向いているでしょうか。
神様の愛の中でゆっくり考えてみましょう。
●「苦しみを神の守りの中で通り抜ける経験」を思い出すことはできるでしょうか。

6月

6月

ピリピ書講解

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:渋谷 昌史 伝道師
聖    書:ピリピ人への手紙1章9-11節
神の愛を祈りに込めて

9.私はこう祈っています。あなたがたの愛が、知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、
10.あなたがたが、大切なことを見分けることができますように。こうしてあなたがたが、キリストの日に備えて、純真で非難されるところのない者となり、
11.イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされて、神の栄光と誉れが現されますように。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

1.大切なことを見分けることができますように(9節-10節の途中)

今日のみことばに見られるパウロの祈りの具体的な内容は二つに分けられます。
一つは「大切なことを見分けることができますように」という祈りです。
「大切なことを見分ける」とはどういうことなのでしょう?
そのヒントは、私たちクリスチャンが二重国籍を持っているということを考えてみるとわかるかと思います。
私たちはこの世界を生きつつ、同時にこの世界に「神の国」を見いだし、「神の国」を生きています。
「神の国」の価値観、すなわちイエス・キリストの福音に生きているのです。
イエスを信じ、みことばに養われ、みことばに生き続けていると、どうでしょう?
私たちの生き方は変えられますよね。
神を知る前は、自分の知識や識別力に頼っていたけど、神を知る今は「イエスさまなら、どうなさるだろうか?」と考え、
相手も自分も生かすような平和をつくり出す道を探っていくことでしょう。
この生き方のベースに「神の愛」があります。

 

2.キリストの日に備えて、神の栄光と誉れが現されますように(10節の途中-11節)

パウロの祈りの二つ目のものは、「キリストの日に備えて、神の栄光と誉れが現されますように」という祈りです。
先の祈りが、今、キリスト共に「神の国」を生きる、というところにパウロの意識が向けられているとしたら、
この祈りは、聖書が約束する「神の国」の完成に意識が向けられています。
今、私たちが神と共に歩むことがゆるされている「神の国」は、イエスさまによって「すでに」もたらされましたが、
「いまだ」完成には至っておりません。だから、苦しみもあるし、悲しみもあります。
しかし、「神の国」の完成の約束は約束されています(参照:ヨハネの黙示録21-22章)。
私たちは、先が見えない不安の中を歩んでいるのではなく、先が見えなくて不安に感じるような中においても、
聖書が約束している確かな希望の中に身を置いています。聖書の世界観の住人なのです。
キリストの日が必ず来ることを知りつつ「今」を生きられる幸いを味わいましょう。

 

3.パウロの祈りが私たちの祈りになる

私の神学校の恩師のように、神さまが「私たち」を通してどのように働かれるか、ということを大いに期待し、
今日のみことばの「あなたがた」を「私たち」に置き換えて、共に祈りましょう。
私はこう祈っています。「私たち」の愛が、知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、
「私たち」が、大切なことを見分けることができますように。
こうして「私たち」が、キリストの日に備えて、純真で非難されるところのない者となり、
イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされて、神の栄光と誉れが現されますように。
共に祈れる幸いに感謝します。

■一緒に考えてみましょう

●「聖書のみことばが自分の祈りになる」体験がありましたら、自由に分かち合い、互いに祈り合いましょう。

5月

5月

余白のある生活

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:使徒の働き1章8節
バベルの塔からの大逆転

しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。
そして、エルサレム、 ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

1. ペンテコステの日に何が起こったか
使徒2章を読むと、弟子たちが一つの家に集まっていたとき、聖霊が彼らの上に現れ、強大な風のような音を立てて、それぞれの上に火の舌のように現れました。
すると、使徒たちは奇跡的に外国語で話し始め、外国のユダヤ人たちは自分たちの母語がガリラヤ人に話されているのを聞いて驚き、注目を集めました。
これがペテロの説教の舞台となり、エルサレムで礼拝を捧げるために集まっていた人たちの中から、約3000人が悔い改め、バプテスマを受けました。

2. 外国の色々な言葉で話した理由
ペンテコステはユダヤの三大祭の一つですので、世界各地に散らされていたユダヤ人や改宗した外国人が礼拝のために集まっていました。
そこで、人々は地元の馴染みのある言葉で福音を聞いたのです。使徒1:8にあるイエスの約束が、この日から実現するというはっきりとした合図です。
この混沌とした世界に愛の秩序をもたらすというイエスの十字架と復活の救いのメッセージが地の果てにまで届けられるという最終局面に入ったということです。

3. バベルの塔と神の壮大な救いの計画
バベルの塔は創世記11章に出てきます。人間の名誉や力、満足することのない欲望、神抜きでできるという傲慢さが表れている出来事です。
この道を進んで行っても決して人は幸せになれないので、神はバベルの塔の建設をやめさせ、新しい神の壮大な救いの計画を始めます。
アブラハムを選び、神の代理人として、祝福をもたらす計画です(創世記12章)。アブラハムからイスラエル民族が誕生し、イエス・キリストへと至ります。
バベルの塔で、言語が混乱しましたが、ペンテコステでは異なった言語で神の救いのメッセージを語られました。

■一緒に考えてみましょう
・私たち一人一人、そして教会として、神の使命を確認することは大切です。
ペンテコステの出来事を読んで、どのような使命を自分のこととして受け取ったらいいでしょうか。

4月

4月

余白のある生活

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:渋谷 昌史 伝道師
聖    書:ルカの福音書 24章28-32節
心の内から熱くわき出る想い

28 彼らは目的の村の近くに来たが、イエスはもっと先まで行きそうな様子であった。
29 彼らが、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕刻になりますし、日もすでに傾いています」と言って強く勧めたので、
30 イエスは彼らとともに泊まるため、中に入られた。
31 そして彼らと食卓に着くと、イエスはパンを取って神をほめたたえ、裂いて彼らに渡された。
32 すると彼らの目が開かれ、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。
二人は話し合った。「道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。」

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

1.二人に強く勧められて一緒に泊まるイエス(28、29節)

13節から始まる「エマオ途上での物語」には二人の弟子が登場します。
エルサレムからエマオまでの道のりは約11キロ、歩くと2時間30分くらい。そこにイエスが加わり、三人は歩きながら語り合います。
しかし、二人の目はさえぎられていて、相手がイエスであることに気づきません。
話はしだいに盛り上がってきたのか、目的の村の近くにきて、二人はイエスに「一緒にお泊りください」と強く勧めます。
日も傾き、夕方になってきました。夜、旅をすると盗賊に襲われる危険もあります。
しかしそれ以上に、二人がイエスに泊まることを強く勧めたのは、「もっとこの人と一緒に話をしたい」という気持ちに変えられていったからではないでしょうか?

2.心の目が開かれて(30、31節)

30節を読んでいて不思議に思うのは、客人イエスが食卓を取り仕切っている点です。
これはいったい何を意味するのでしょうか? 二人にとって見覚えのある光景です。
二人は5千人の給食の場面(ルカ9:16)や「私たちの日ごとの糧を、毎日お与えください」(ルカ11:4)というイエスから教わった祈りを思い出したのではないでしょうか?
「この体験、初めてではない.」 という感覚は心と身体が覚えています。
この食卓の場面において、はじめて、二人は、かつての師イエスとその弟子という関係に戻ることができたのです。
心の中にしっかり本物のイエスがおられれば、その姿は見えなくてもいいのです。

3.心の内から熱くわき出る想い(32節、参照13-27節)

二人は、エルサレムからエマオへと向かう道で出会った復活の主との時間を、何度も何度も、思い巡らしたことでしょう。
イエスの声を聴き、聖書のみことばを通して、イエスと対話する。
聖書を読んで、自分が思っていること、考えていることをイエスの前に差し出し、
みことばそのものであられるイエスに、自分の誤った解釈や、間違った思い込みをなおしていただく。
実は、このやり取りが、エマオ途上で、二人の弟子と師であるイエスとの間でなされていたのです。
「受難と十字架」で終わらず、「受難と十字架」の先に「復活」がある、ということをイエスは十字架にかかられる前から語り続けてきました。
ただ、誰もそのことを信じられなかったのです。しかし、「聖書に何が記されていたか」ということを、二人は復活のイエスを信じることによってはじめて理解します。私たちの心の内に熱くわき出る想いが生じるのは、よみがえられた主が、いつまでも私たちと共にいてくださる、ということを信じられるからではないでしょうか?

■一緒に考えてみましょう

  • あなたにとって「復活」とは何ですか?

3月

3月

余白のある生活

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ヨハネの福音書9章35-41節
誰にも理解されなくても

35 イエスは、ユダヤ人たちが彼を外に追い出したことを聞き、彼を見つけ出して言われた。
「あなたは人の子を信じますか。」
36 その人は答えた。
「主よ、私が信じることができるように教えてください。その人はどなたですか。」
37 イエスは彼に言われた。
「あなたはその人を見ています。あなたと話しているのが、その人です。」
38 彼は「主よ、信じます」と言って、イエスを礼拝した。
39 そこで、イエスは言われた。
「わたしはさばきのためにこの世に来ました。目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」
40 パリサイ人の中でイエスとともにいた者たちが、このことを聞いて、イエスに言った。
「私たちも盲目なのですか。」
41 イエスは彼らに言われた。
「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。
しかし、今、『私たちは見える』と言っているのですから、あなたがたの罪は残ります。」

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

1. インターネット越しであろうと神は働く

いつになるかわかりませんが、礼拝堂で一緒に礼拝を再開する日、きっといつも以上に、神の働きをリアルに感じる人が大勢出るだろうと思います。
だけど、インターネットを通して、この画面越しという制約があっても、神は確かに働きます。
「その人は誰ですか。主よ、私はその人を信じたいです」という率直な求めがイエスに向けられるとき、
イエスは私たちの目を開いてくださり、真実を見ることができるようしてくださいます。

 

2. 同じ体験はできないけど、私にぴったりの経験はできる

この彼と同じ体験は誰もできません。ですが、目が見えるようになった彼の人生を変えた神様が私たちの神様で、
この人を変えたように、私たち一人一人がそれぞれにぴったりの方法で神様は人生を変えることができます。
もっと言えば、神はすでに触れているはずです。牧師になって、何人もの信仰告白に立ち会ってきましたが、
私のところに来る前に、神様はその人に触れておられるし、神の愛はすでに注がれていました。
私がすることは、神様がすでにしてくださっていることを見つけるお手伝いです。神様の個性に応じたアプローチに注目です!

 

3. まさか私たちも盲目なのですか?

パリサイ人とは違うと思っているうちは、私たちはパリサイ人と同様に盲目なのです。
神と一緒にいると信じていますが、実際は光の近くにいないのです。
どれだけ自分が汚れているかはわからないのは、光の方に来ていないからです。
イエスが問題にしているのは、罪があるかないかではありません。誰もが罪にまみれています。
信仰が深まれば深まるほど、罪から清められていくと同時に、罪にまみれているという自覚も深くなっていくのではないでしょうか。

 

■一緒に考えてみましょう

  • クリスチャンの数だけ、信仰のストーリーがあります。目が見えずに生まれてきた人の目が開かれたように、私に特別にしてくださったことがあります。
    人生の難しい局面であっても、そこで神の光を見出すことができるでしょう。

2月

2月

余白のある生活

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ヨハネの福音書  9章1-12節
「誰が悪いか」ではない道

1   さて、イエスは通りすがりに、生まれたときから目の見えない人をご覧になった。
2  弟子たちはイエスに尋ねた。「先生。この人が盲目で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。両親ですか。」
3  イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです。
4  わたしたちは、わたしを遣わされた方のわざを、昼のうちに行わなければなりません。だれも働くことができない夜が来ます。
5  わたしが世にいる間は、わたしが世の光です。」
6  イエスはこう言ってから、地面に唾をして、その唾で泥を作られた。そして、その泥を彼の目に塗って、
7  「行って、シロアム(訳すと、遣わされた者)の池で洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗った。すると、見えるようになり、帰って行った。
8  近所の人たちや、彼が物乞いであったのを前に見ていた人たちが言った。「これは座って物乞いをしていた人ではないか。」
9  ある者たちは、「そうだ」と言い、ほかの者たちは「違う。似ているだけだ」と言った。当人は、「私がその人です」と言った。
10  そこで、彼らは言った。「では、おまえの目はどのようにして開いたのか。」
11  彼は答えた。
「イエスという方が泥を作って、私の目に塗り、『シロアムの池に行って洗いなさい』と言われました。それで、行って洗うと、見えるようになりました。」
12  彼らが「その人はどこにいるのか」と言うと、彼は「知りません」と答えた。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 負い目を感じながら生きてきた

生まれつき目の見えないこの人は、ずっと罪意識を押し付けられてきたんだと思います。
ずっと負い目を感じながら生きてきました。周りからは、罵られ、家族からも邪魔者扱いされていたかもしれません。
今回の弟子たちの一言。「あの人が目が見えないのは、誰の罪ですか。誰が悪いのですか。」
すでに何百回も繰り返された問いかけだったことでしょう。
彼の心は、硬く閉ざされていて、そういう言葉にいちいち傷つかなくなっていたかもしれません。

  1. 神は暗闇を照らす光

「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです。」というイエスの言葉がどう彼に響いたでしょうか。
「わたしが世の光です」(5節)とイエスは言葉を続けます。
この世界の隅に追いやられ、誰も信頼できないと思っている人たちのところに行き、
神の愛は決して裏切ることがない、信頼して大丈夫だということを語り、また、行動で示しました。
神のわざとは、罪の束縛からの解放ですが、この世は何も信頼できない・救いなんかないという運命にあるような人に、イエスは神のわざを明らかにするのです。

  1. 新しい創造、愛の支配が始まる

イエスが自分を光と表現したことも天地創造の神と重なりますが、「泥」という言葉も創造のキーワードの1つです。
目の見えない人に塗った「泥」という言葉は創世記2:7の神が大地のちりで人を形作ったという、あの「ちり」と同じギリシャ語です。
つまり文字通り、イエス様はここで、新しい創造、新創造を行われたのです。
目の見えない人に、光を与えました。混沌とした希望の失われた現実にイエスは希望を与えました。
彼はそれを信じ、目を洗いました。

■一緒に考えてみましょう

  • 「誰が悪いか」と思っている出来事はあるでしょうか。そこに神の別の道はあるでしょうか。
  • あなたにとって、神によって目が開かれたと思うような出来事はあるでしょうか。

3つの礼拝の時間

grade

第一礼拝

10:00

ピアノとベース
現代的な曲も

第二礼拝

11:10

パイプオルガン
伝統的な曲が中心
英語への同時通訳

子ども礼拝

10:50-11:20

小学生までの子どもが対象
ご注意:2月7日までの礼拝について

練馬バプテスト教会へご来会の皆様

イエス・キリストは昨⽇も今⽇も、とこしえに変わることがありません。(へブル 13:8)

練⾺教会では、緊急事態宣⾔が発出した場合はオンライン礼拝に切り替えるという基準をもって礼拝を⾏ってきました。
東京、埼⽟、千葉、神奈川の 1 都 3 県を対象に、2021 年1 ⽉ 8 ⽇より 2 ⽉ 7 ⽇まで緊急事態宣⾔が出されましたので、
当⾯の間、⽇曜⽇の礼拝はオンライン礼拝のみとします。

主⽇礼拝 10:00-10:30(YouTube ライブ配信、ライブ配信後も視聴できます)
⽉の第 1,3 週は第 1 礼拝の式次第、第 2,4,5 週は第 2 礼拝の式次第で⾏います。
YouTubeチャンネル:https://www.youtube.com/channel/UCP4PpifOWaWsECYGfFwF7pA

配信や奏楽の奉仕者は、公共交通機関を使わずに来られる⽅での対応を原則とします。
また、平⽇の活動も、原則オンラインでの対応とします。
オンライン参加が難しい場合は教会にご相談ください。
困難な中にも主の導きがあることを信じて。

2021 年 1 ⽉ 7 ⽇
牧師  蒔⽥ 望
伝道師 渋⾕昌史
議⻑  ⽚⼭信彦

礼拝に来た人

grade
52
第一礼拝
38
第二礼拝
26
子ども礼拝

12月20日の出席者

礼拝に関するよくある質問はこちらにまとめてあります。
少しでも不安がありましたら、お問い合わせください。
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