聖書からのメッセージ

世界中で最も読まれている書物『聖書』から、人生の真理を思い巡らします。
第一礼拝・第二礼拝は同じメッセージです。

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6月

6月

聖書全体から教会の使命を

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:出エジプト記  6章6節
自己犠牲を払う神

 

それゆえ、イスラエルの子らに言え。
わたしは主である。わたしはあなたがたをエジプトの苦役から導き出す。あなたがたを重い労働から救い出し、伸ばされた腕と大いなるさばきによって贖う。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 恵みの福音:厳しい状況下で手を差し伸べてくれる

イスラエルでは、不当な扱いを受けたり、何らかの危険な目に直面したりする自分の家族・親族を守ために実際に行動するべきだとされていました。
この行動を贖うと呼び、行動する人を、贖い主と呼びました。
神がイスラエルの子らを贖うと約束したというのは、大きな代価を払うような場面に遭遇しても、
見捨てることなく、厳しい状況下で、私たちのために手を差し伸べてくださるということです。
家族なんだから当然でしょと言ってくれる神様との関係を持っているのです。

 

  1. 出エジプトという贖いのモデル

聖書の神の贖いとは、抑圧されている人たちの苦しみに目を向け、抑圧から解放するために行動し、神への礼拝に導かれるまでを含みます。
イスラエルの子らの叫びに耳を傾け、エジプトの王、ファラオと対決し、イスラエルの子らだけでなく、
自分を神だと見なしていたファラオも聖書の神の力強い手を目撃させます。
ファラオも最後は「私のためにも祝福を祈れ」と聖書の神の前にひれ伏したのでした。

 

  1. すぐに信じられるとは限らないけど

神の約束が語られたあと、イスラエルの子らは次のように反応したと6:9に書いてあります。
「モーセはこのようにイスラエルの子らに語ったが、彼らは失意と激しい労働のために、モーセの言うことを聞くことができなかった。」
これが現実でした。神の約束が語られたのに、民の心は動かなかった。神に信頼できなかった。
それくらいエジプトの現実は過酷でした。このようなイスラエルの子らの信仰を育てつつ、神はエジプトから約束通り、贖うのです。

 

■一緒に考えてみましょう

  • すぐに信じられなかったけど、時間をかけて、信じられるようになった出来事や体験はありますか?
  • 贖いとは、危機的な状況に追い込まれた際、神様が危険を顧みずに手を差し伸べてくださることです。
    自分のため、周りの人のために贖い主である神様にとりなしの祈りをしましょう。

5月

5月

聖書全体から教会の使命を

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:片山 信彦
聖    書:へブル人への手紙11章1節
救いの『実質』に堅く立つ

 

信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン
1.有名で励ましに満ちた聖書箇所ですが、「聖書 新改訳 2017」の欄外には「望んでいることを保証し」の「保証し」の別訳として、
「実体であり」と書かれています。つまり、「信仰とは望んでいることの実体である」と訳すことも出来る、というわけです。
2018 年に刊行された、『聖書 聖書協会共同訳』では、「信仰とは、望んでいる事柄の実質であって、
見えないものを確証するものです」と書かれています。
つまり、信仰とは、望んでいることを保証するものと同時に、信仰とは望んでいることの実質、
実体そのものだと言うのです。それはどのようなことなのでしょうか?

2.この「保証」と訳された言葉は「ヒュポスタシス」というギリシャ語で、
元の意味は「下に(ヒュポ)立つもの(スタシス)」と言う意味の様です。
この語源に由来していろいろな意味で使われているようです。
例えば、建物の「基礎」。あるいはしっかりと下で現実を支えるものとしての「「約束」とか「誓い」。
あるいは「保証する」とも訳せるのです。
確信とか保証という、どちらかと言うと自分の主観的な思いや心のありように思えるので、
より客観的な意味を強調して「実質」とか「本質」という訳もできるのです。

3.へブル書の中では、この「ヒュポスタシス」という言葉は、3 回用いられています。
第一番目は 1 章 3 節。御子イエス・キリストは神の本質である。つまり、神が真に神であるというその実質をイエス・キリストは現わしている。
二番目は 3 章 14 節 「最初の確信を終わりまでしっかり保つ」という「最初の確信」が「ヒュポスタシス」の訳です。
へブル書では御子イエス・キリストは救いの創始者(2:10)信仰の創始者・完成者(12:2)だと書かれています。
ですから、ここで言われているのは、イエス・キリストによって始まられ、完成させられる救いの実質(確かさ)に終わりまで
堅く立っていなさいとの勧告とも読めるのです。
三番目は 11 章 1 節です。信仰は望んでいる事柄の実質(ヒュポスタシス)です。
へブル書の作者にとって望んでいることは、救いと信仰の創始者であるイエス・キリストが与えてくださる神の民の救いの完成でしょう。
救いの完成は「目には見えないもの」で「望んでいることです」が、既にイエス・キリストという実質が与えられているのです。

4.大切なのは私の心の状態ではなく、イエス・キリストご自身である。
たとえ私の信仰がいい加減で弱いものと思えても、その自分の思いや気分に揺さぶられたり、過度に気にする必要はないのです。
イエス・キリストこそ、神の本質であり、救いの実質をあらわしておられる方なのだ。
結局のところ、へブル書では、救いの本質はイエス・キリストであるという客観的な事柄こそが信仰の実質であり、
私たちはその信仰によって主体的に生きることが勧められているのです。

4月

4月

イースター

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説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:コリント人への手紙第二  5 章 17-19 節
和解のヒント

 

17 ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。
古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
18 これらのことはすべて、神から出ています。
神は、キリストによって私たちをご自分と和解させ、また、和解の務めを私たちに与えてくださいました。
19 すなわち、神はキリストにあって、この世をご自分と和解させ、背きの責任を人々に負わせず、和解のことばを私たちに委ねられました。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン
1. 「キリストのうちにある」
「キリストのうちにある」という表現はパウロが好んで使う言葉です。
イエス・キリストと一つになる、結ばれているという意味があります。
さらに「キリストの体である教会の中で」というニュアンスも含まれると考える学者もいます。
個人的にイエスと結ばれるだけではなく、イエスと結ばれるということは、
同時にキリストのからだである教会の大切な一部分になるということも含むというのは納得です。
キリストの十字架により私の罪の償いがなされ、復活により神との新しい人生が始まります。

2. 初めから終わりまで神の働き
罪を抱え、仮面をつけながら、生きていくしかない私たちの実情を十分に理解した上で、神様は私たちを受け入れてくださいます。
これを和解と呼びます。これは、初めから終わりまで、神の働き、神の責任で、最後まで行われます。
18 節によると、神がしてくださったことは 2 つ。
1 つはキリストによって、私たちと和解した。2 つ目は、和解の務め、奉仕という言葉を私たちに与えた。
私たちが神との和解は、私のためだけでなく、周りの人のためにもなるのです。

3. 教会が和解の代表者
この課題はあまりにも大きくて、正直私たちの手に負えるものではありません。
あまりにも大きな奉仕を、神は教会に託されました。
神と和解し、神に受け入れられていることを体験した人が、お互いを受け入れ合う。
そういう教会が、神の和解の生きたモデルであり、この社会のでこぼこに神の愛を届けるようにと、神の恵みの福音を託されているのです。
とはいえ教会内にも色々な違いがあり、受け入れるのは簡単ではありません。
だからこそ、でこぼこを愛し、この社会のキリストのかおりをもたらすことができるとしたら、ただただ、神の奇跡です。

■一緒に考えてみましょう

  • 「和解」とは決して簡単なプロセスではありません。だから、神様の働きです。
    そして、神様に助けてくださいと祈るべき事柄です。どのような祈りに導かれるでしょうか。

3月

3月

ピリピ書読解

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:マタイの福音書  21章1-11節
ロバが似合う王

 

1  さて、一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとのベテパゲまで来たそのとき、
イエスはこう言って、二人の弟子を遣わされた。
2  「向こうの村へ行きなさい。そうすればすぐに、ろばがつながれていて、一緒に子ろばがいるのに気がつくでしょう。
それをほどいて、わたしのところに連れて来なさい。
3  もしだれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐに渡してくれます。」
4  このことが起こったのは、預言者を通して語られたことが成就するためであった。
5 「娘シオンに言え。 『見よ、あなたの王があなたのところに来る。柔和な方で、ろばに乗って。荷ろばの子である、子ろばに乗って。』」
6  そこで弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、
7  ろばと子ろばを連れて来て、自分たちの上着をその上に掛けた。そこでイエスはその上に座られた。
8  すると非常に多くの群衆が、自分たちの上着を道に敷いた。また、木の枝を切って道に敷く者たちもいた。
9  群衆は、イエスの前を行く者たちも後に続く者たちも、こう言って叫んだ。
「ホサナ、ダビデの子に。 祝福あれ、主の御名によって来られる方に。 ホサナ、いと高き所に。」
10  こうしてイエスがエルサレムに入られると、都中が大騒ぎになり、「この人はだれなのか」と言った。
11  群衆は「この人はガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」と言っていた。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 「ロバ」は柔和の象徴

王としてエルサレムに入るイエスは、どういう王なのかを象徴するのがロバです。
当時だったら、軍馬での入城が一般的でした。しかし、イエスはロバを選びます。ロバは平和の象徴であり、柔和を意味しました。
聖書では、王の資質として、「柔和」が求められてきました。聖書の柔和とは、神の前に自分を低くする、へりくだるという意味を指します。
「自分は小さいが、神は大きくて信頼できる」という信仰の現れが柔和という言葉です。

 

  1. 人々の熱烈な歓迎

上着や木の枝を道路に敷き、「ホサナ、ダビデの子に」と叫んだ人々。
イエスへの忠誠を示し、200年前のマカバイや1000年前のダビデとイエスを重ね、救い主として歓迎しました。
町中が大騒ぎとなり(地震を意味する言葉)、町中が揺れるような騒ぎとなりました。
しかし、1週間も経たないうちに人々の期待は裏切られることになります。
イエスは外国人からの解放者ではなく、金曜日には十字架で殺されてしまうのです。

 

  1. この人は誰なのか

人は、自分に都合のいい神を求めます。神の言うことを聞くよりも、私の言うことを叶えてくれる神を求めるのです。
そういう期待をして聖書の神に近づくと、失望します。私の願いを何でも叶えてくれる神ではないからです。
しかし、聖書の神は、私たちが抱えている根本的な欠けを埋めて、この世界の渇きを潤してくださいます。
誰もが抱えている、むなしさを本当の意味で埋めてくれるのは神だけです。
ロバが似合う王は、柔和で、神を信頼し、命を捧げたお方です。
その傷ゆえに、この世界は癒され、私たちは神の恵みを知るのです。

 

■一緒に考えてみましょう

  • 私はイエス・キリストに何を求めているでしょうか。人々は熱狂し、数日後に失望します。
    しかし、その背後に神の計画は続いていたことを私たちは聖書から知ることができます。

2月

2月

ピリピ書読解

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ピリピ人への手紙  4章10-14節
満ち足りる秘訣

 

10私を案じてくれるあなたがたの心が、今ついによみがえってきたことを、私は主にあって大いに喜んでいます。
あなたがたは案じてくれていたのですが、それを示す機会がなかったのです。
11  乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました。
12  私は、貧しくあることも知っており、富むことも知っています。
満ち足りることにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。
13  私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。
14  それにしても、あなたがたは、よく私と苦難を分け合ってくれました。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. あなたの存在が神の語りかけになってほしい

この言葉の前提として、神であるイエスが人となり、私たちと共に暮らし、神とはどのようなお方かをはっきりと示しました。
イエスの存在が聖書の神様からの語りかけであったように、イエスに出会い人生が大きく変わった人は、
イエスのように、あなたの存在そのものが神の語りかけになってほしい。
これがパウロが語り続けてきたことでした。
イエスの生き方(12節:貧しくあること、別訳低くなること2:8)こそ、満ち足りる秘訣にも通じるのです。

 

  1. 経済的支援に表されたピリピ教会の中にあるイエスの思い

10節で遠回しに、パウロはピリピ教会から受けた経済的支援について取り上げます。
パウロにとって、支援そのものは当然、助けになったはずですが、パウロは自分が満たされることよりも、
ピリピ教会の中にイエスの思いを見つけて喜んでいます。
10節の「案じる」とはこの手紙で「思う」「考える」と訳され、イエスと同じ思いになりなさいというような使われ方をしてきた言葉です。
パウロが喜んでいるのは、イエスの心で「案じてくれた」ことであり、
14節にもあるように、苦難を分け合ってくれるパートナーにピリピ教会がなってくれたことでした。

 

  1. 低くなるイエスの生き方

パウロは12節で「貧しくあること」を知っていると書きました。
「貧しさ」はイエスが自らを「低くした」(2:8)と同じギリシャ語です。
イエスは低くなり、自分の地位にしがみつくのではなく、全てを人のために捧げ、命まで捨てた、
イエスの低くなった姿にパウロはどうにかして近づきたいと願っていた人です。
満ち足りる秘訣とは、先週、先々週と見たように神の平和を知っていることであり、
神は必要な力をいつも与えてくれることを体験していくこと(13節)なのでしょう、
神の喜びの中にピリピ教会も加わってくれたら本当に嬉しかったでしょう。

 

■一緒に考えてみましょう

  • 今日の自分の満足度は何%くらいですか?あなたにとっての満ち足りる秘訣は何ですか。
  • 神の力によって神の使命を果たせると、どれくらい本気で信じていますか。実感はありますか。

1月

1月

新年、71周年創立記念、ピリピ書読解

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ピリピ人への手紙  3章20-21節
救い主を待ち望む

 

20 しかし、私たちの国籍は天にあります。
そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。
21  キリストは、万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、
私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

■アウトライン

手紙のクライマックスと言われる場面を3つの関連箇所から考えます。

  1. 天を思うか地上を思うか

パウロは「私たちの国籍は天」だと言いました。
国籍という言葉は当時の読者にはすぐローマ市民権を真っ先に思い起こさせる言葉でした。
ローマ市民だと誇る人もいれば、他にも割礼を受けたユダヤ人としての血筋を誇る人もいました。
パウロは天を考え、救い主を待ち望むと言いますが、十字架の敵が考えるのは、地上のこと。
極め付けは、彼らが十字架の敵と語られるのに対して、パウロは十字架を背負うことを考えるという点です。

 

  1. キリストに起こったことが教会に

ピリピ2:6-11にはイエスがどういうお方だったのかが描かれていますが、ギリシャ語を丁寧に読むと、ピリピ2:6-11の言葉遣いが、3:21に見られます。
自らを低くして、卑しくて、十字架で死ぬまで従順であったイエス・キリストを高く挙げられた神は、
教会にも同じようにされると、ピリピ2:6-11の言葉を使いながらパウロは熱く語るのです。
パウロは投獄されていたし、教会は教会で、色々な課題を抱え、困難の中にいますが、
神は必ず栄光に輝く姿に、変えてくださる、神の時を待ち望みなさいと、教会を励ますのです。

 

  1. 福音にふさわしい生活

コロナ禍にあって、2020年に繰り返し、朗読した一節にピリピ1:27-28がありました。
「キリストの福音にふさわしく生活しなさい。」この「生活する」という言葉が、「国籍」と同じギリシャ語です。
死んだら天国に行きますよという話ではなくて、今、ここで、天の市民権をもつ人らしく、神を映し出す生活をしなさい。
それは、十字架を背負う生き方であす。私たちの卑しい人生が、神の栄光の人生に劇的に変わっていく。
そういう人生を一緒に進もうと私たちは招かれています。

 

■一緒に考えてみましょう

  • なかなか、自分から苦しい道を選ぶことはできないかもしれませんが、
    神様がそこを通りなさいと言われる時、神様の守りもあり、そこでしか見つけられない祝福もあるはずです。
    今、祈りが必要なことがあったら、秘密厳守で祈ってもらいましょう。
    十字架を担う痛みについてもゆっくり考える時間を取ることもおすすめします。

12月

12月

アドベント

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:詩篇  100篇1-5節
1年の感謝を数える

1  全地よ 主に向かって喜びの声をあげよ。
2  喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。
3  知れ。主こそ神。主が 私たちを造られた。私たちは主のもの 主の民 その牧場の羊。
4  感謝しつつ 主の門に  賛美しつつ その大庭に入れ。主に感謝し 御名をほめたたえよ。
5  主はいつくしみ深く  その恵みはとこしえまで  その真実は代々に至る。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. そのままでいいから、神の前に行こう

人生、途方に暮れることがあります。疲れ切って、もう何もできないという時があります。
そういう時こそ、思い出したいことは、そのまま(でいいから)、神様のところに行くことです。
ちゃんとしてないと、神様のところに行けないと、私たちは無意識に考えてしまう傾向があるかもしれませんが、それは違います。
不安がある。心配がある。悩みがある。解決しない。そういう時こそ、神様のところに一緒に行きましょう。
神様に全部、聞いてもらいましょう。

 

  1. 私は神様のかわいい羊

この詩篇は、「神様がしてくれたことがある。だから、感謝をしましょう!」と言います。
3節にシンプルに書いてあります。神様は私たちを造りました。
どういう意味かというと、私たちは神様の大切な存在で、羊飼いが自分の羊をかわいがり、丁寧に世話をするように、
神様にとって私たちは大切な羊だということです。
「神様にかわいがってもらっている、大切な羊」というのが聖書の教えるイメージです。
私たちは神様に大事に育ててもらっています。この関係は絶対に、揺らぐことがありません。

 

  1. 感謝を数えるとは信仰の表明

先週、クリスマスを迎えました。暗闇を照らすまことの光、イエス・キリストの誕生を祝いました。
暗闇の中、光は輝くと聖書は約束します。私たちは、暗闇を見続けることもできますし、暗闇に輝く光に目を向けることもできます。
1年の終わりに感謝を数えるということは、暗闇の中に輝く光に目を向けるという私たちの信仰の表明です。
今もなお、困難な中にいる方がいることを思います。決して、人生は簡単ではありません。
それでも、「知れ、主こそ神。私たちは神の牧場の中にいる羊」です。信仰によって、感謝を数えましょう。

■一緒に考えてみましょう

  • 神様のスペースを作ってから、感謝を数えましょう。私が気づかなかったかもしれませんが、神様はと私たちと一緒に、
    この1年ずっと、寄り添ってくださっていたはずです。イエス様、どうぞ私たちの目を開いてください。

11月

11月

ピリピ書講解

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:詩篇  46篇1-11節
祈り ― 自分に正直に

1   神は われらの避け所 また力。 苦しむとき そこにある強き助け。
2   それゆえ われらは恐れない。 たとえ地が変わり 山々が揺れ 海のただ中に移るとも。
3   たとえその水が立ち騒ぎ 泡立っても その水かさが増し 山々が揺れ動いても。  セラ
4   川がある。その豊かな流れは 神の都を喜ばせる。 いと高き方のおられる その聖なる所を。
5   神はそのただ中におられ その都は揺るがない。 神は朝明けまでに これを助けられる。
6   国々は立ち騒ぎ 諸方の王国は揺らぐ。 神が御声を発せられると 地は溶ける。
7   万軍の主はわれらとともにおられる。 ヤコブの神はわれらの砦である。   セラ
8   来て 見よ。主のみわざを。 主は地で恐るべきことをなされた。
9   主は 地の果てまでも戦いをやめさせる。 弓をへし折り 槍を断ち切り 戦車を火で焼かれる。
10 「やめよ。知れ。 わたしこそ神。 わたしは国々の間であがめられ 地の上であがめられる。」
11  万軍の主はわれらとともにおられる。 ヤコブの神はわれらの砦である。   セラ

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 神の前に心を注ぎ出す

「神の前」というのは、私を受け入れてくれる神様に祈るということです。
誰かに聞かれる心配はないし噂話のネタにされる心配もない、安心・安全な場所。
自分の心にある思いの全てを吐き出して大丈夫な場所です。
最初は、嬉しかったことや感謝なことを伝えるだけでも、自分の心を豊かにする助けになります。
次第に、自分の心にある不安や悩みも、神様の前に伝えたらいいかもしれません。
率直な、正直な祈りによって、自分の心の整理が始まっていきます。

 

  1. 次第に神の現実に目が向く

不思議ですが、自分のことだけ祈っていても、神様の前で祈られる祈りは、次第に、神様が今、ここにいることに光を当ててくれます。
詩篇の祈りも、苦しみから始まることが少なくありませんが、祈りの最後には、神に心が向かっていくのです。
この詩篇46篇は、神の現実を力強く語ることで、この祈りは、人生に降りかかる大きな困難に直面し、恐れ、思い悩み、
神様を信じきれないような人の心を慰め、力づけてきた祈りです。
宗教改革者のマルティン・ルターも恐れ、悩みましたが、この詩篇46を繰り返し読み、元気付けられました。

 

  1. 変わりゆく世界で、変わらない神を知る

自分に正直に祈りつつ、「やめよ。知れ。 わたしこそ神」という言葉を受け止めたいのです。
右往左往するような場面があります。自然の脅威、人との関係。私たちの心が騒ぎ、揺さぶられる時に、神様との関係を深めることができます。
「この神様が私と共にいてくれる」「私が逃げ込める砦がある」「ここにいたら絶対安心、絶対裏切られることもない」
「厳しい道を通らなければならないとしても、そこを耐え、通り抜けることができる」という体験をしたいのです。

■一緒に考えてみましょう

  • 人を思いやるゆとりを失うほどに、自分を忙しくしてはいけません(マザー・テレサ)という言葉を聞いて、
    どのように今日の私に響くでしょうか。
  • 祈り方は人それぞれです。静かに座って祈ることが好きな人もいれば、単純な作業をしながら神様に心を向ける人もいます。
    自分に合った祈り方で、心を注ぎ出す時間が取れますように。

10月

10月

ピリピ書講解

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ルカの福音書22章31-34節
聖書 ― 人生の鏡に

31「シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。
32 しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。
ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
33 シモンはイエスに言った。「主よ。あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」
34 しかし、イエスは言われた。「ペテロ、あなたに言っておきます。今日、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

1. 心の余白を作る

忙しすぎて ほほ笑む暇も 愛を与えたり、受けとめたりする暇もない そういう生活になっていませんか?(マザーテレサ)
この言葉に大事なことが詰まっている気がします。私が余白を作りたいと思うのは、こういう理由からです。
余白は余りものではなく、意識して作る必要があります。「余白」はキリスト教の伝統の中でも大事にされてきました。
長年の知恵の一つです。その方法として、今日は聖書を読むことを紹介します。

2. 「取り返しのつかない失敗」とその先

弟子の代表的な立場にあったペテロは、牢屋も死も覚悟はできていますと言いましたが、いざその場面になったら、イエスを否定し、逃げました。
一番大事な場面での大失態。取り返しがつかない失敗です。ちょっとした失敗ではない。
どん底に落ちて、そこからどうやって出たらいいかわからないような失態。
でも、この続きがあるとイエスは言うのです。

3. わたしはあなたのために祈りました

「もう取り返しがつかない」と人には思えるような大失態をしたとしても、その先に道を作ってくださるのが神様です。
イエスはここで祈りましたと言いました。イエスの祈りは実現していきます。確かな力があります。
「とんでもない失敗をして、取り返せないと人は思っても、あなたは立ち直れる。
そして、あなたと同じように沈んでいる兄弟たち、仲間と言う意味です、を力付けてやりなさい。」とイエスは失敗の先に、
神の保証する道を用意してくれました。
イエスを裏切ったペテロだからこそ語ることのできる神の赦しと愛の言葉をペテロは手にすることになるのです。

 

■一緒に考えてみましょう

  • 「取り返しのつかない失敗」だと思ったけど、立ち直ることができた体験はありますか。
  •  最近、忙しすぎて、愛を与えたり受け取ったりする余裕がないということはありませんか。
    生活を見直す必要があるとしたら、どこから始められるでしょうか。

9月

9月

ピリピ書講解

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:マタイの福音書11章28節
重荷をおろせる場所

28 すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

1. 疲れは気づきにくいから、まず休みなさい

一般的に、自分が疲れている、重荷を負っていると自覚することが苦手です。
だから、まずは休みなさいとイエスは私たちを招いています。
あなたの背負っている重荷を下ろしなさいとイエスは言います。
休んで、心にゆとりができて、自分で精一杯だったところから、少しずつ回復してきた時、神様のことがわかるようになります。
神様のことを考える時、神様はどんな目で私を見ているのかなと想像してほしいんです。

2. 神の願いは私たちに愛を示すこと

「神の意志を知るというのは、私たちの生活の中に神の愛がはっきりと示されていて、
それが私たちにぴったりの方法であることを見つけ、受け入れ、肯定すること」これはヘンリ・ナウエンの言葉です。
私たちがイエスのもとで休むとき、神の思いに触れることができるはずです。
神は私に見つけほしいと思っているし、私が神の愛を受け入れられるようにと願っているし、神に愛されていると心の底から納得してほしいと願っています。私たちができるのは、神のスペースをつくり、神の思いに浸る時間を見つけることです。

3. すべてを知って、受け入れてくれる

人には、誰だって、大なり小なり、隠し事があります。誰にでも話せる話題ではないけど、誰かには打ち明けたいと思うことがあるかもしれません。
神は私たちのことを全てお見通しです。神の前に隠し事はできません。
私たちが隠したいと思うのは、これを知られたら嫌われると本能的に察するからだと思いますが、でも、神は私たちを受け入れてくれる。
私たちが苦しんでいることを知っている。だから、私たちはここで重荷をおろすことができるのです。

■一緒に考えてみましょう
・神の前だから、神を信頼して、正直な気持ちになることができます。
悩みを打ち明けることができます。悲しみを告白することができます。
どうやって重荷をおろしてきたか、周りの人と体験談を話してみましょう。

8月

8月

ピリピ書講解

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説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ピリピ人への手紙2章1-2節
愛されることが原点

1 ですから、キリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、
2 あなたがたは同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、思いを一つにして、私の喜びを満たしてください。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

1. 苦しみがあるから、励ましが必要だと神は知っている
パウロもピリピの教会も、苦闘を経験していた(1:30)ということが直前に書いてあります。
教会の置かれる状況は、大抵の場合、厳しいものです。
人となられたイエスは、私たちの世界の汚れ、醜さを実際に体験し、最後は十字架で殺されました。
この世界の苦しみや孤独、絶望をイエス様は身をもって知っています。
だからこそ、この世界で神を信じる私たちが直面する苦しみを理解し、私たちには励ましや慰めが必要だってことをよくわかってくださいます。

2. 苦しみに向かい合えるように、励ましがある
苦しみがあるのと同じくらい確かに、神の励ましや慰めがあります。
私たちの感覚からしたら、こんなひどい状況は救いようがないと思っても、
こんな悲惨なところに救いはないと思っても、これだけは確かなのは、神の手が届かないところは決してない。
神の光が届かない暗闇は決してない。
どんなに苦しくても、1 人ぼっちだと思っても、全世界の罪を背負って十字架で死んだイエスは、私たちの隣に来てくれる。
イエスの励ましと慰めは確かです。

3. みこころを求め、一つに
同じ思い、一つの思いになるとは、この世界の価値観を手放して、神の価値観を受け入れていくこと。
私の考えではなく、神の思いを優先すること。みこころが天でなるように、この地で、この場所でなるようにと心から祈り、実際に行動することです。
それも 1 人ではなくて、一緒に。1 人だけでも素晴らしいけど、一緒に手を取り合ったら、
想像できないような、いわゆる「奇跡」を私たちは目撃することになります。
私たちの役割はきっと奇跡を起こすのではなく、神の起こした奇跡を目撃すること。
そして奇跡の証人となることです。

■一緒に考えてみましょう
・「励まし」「慰め」「交わり」「愛」を必要としている人のために祈りましょう。
・一つになることは決して簡単ではありません。その道のりは険しいでしょう。
でも、その先には神様の祝福が待っているはずです。みこころを求め、一つになった体験はあるでしょうか。

7月

7月

ピリピ書講解

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ピリピ人への手紙 1 章 21-24 節
生きること、死ぬこと

21 私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。
22 しかし、肉体において生きることが続くなら、私の働きが実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいか、私には分かりません。
23 私は、その二つのことの間で板ばさみとなっています。
私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。そのほうが、はるかに望ましいのです。
24 しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためにはもっと必要です。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

1. 生きるも死ぬもキリスト

直前の「生きるにしても死ぬにしても、私の身によってキリストがあがめられること」(1:20)という言葉を抜きに、今日の部分は理解できません。
いつ、どこで、何をするにしても、それこそ、生きていても、死ぬことがあっても、イエス様があがめられるように!というのがパウロの姿勢でした。
あがめるとは、文字通りには「より大きくなるように」という言葉。牢獄の中、自分の生死に関心が向きそうな状況で、イエス様にパウロの心は向いていました。

2. 苦難を経て達した感覚

生きるも死ぬもキリストと大胆に述べるパウロ。この境地に至るまでに、彼は多くの困難を通りました。
2 コリント 1:8-11 を読んでみてください。自分の苦しみを知ってほしいと語り、どれだけ厳しい状況だった説明しました。
その経験を通して彼は「自分自身に頼らず、神に頼る」ことを学びました。苦難の中、パウロにも感情の浮き沈みはあったでしょう。
辛いと思うこともあったと思います。そういう苦しい中を、神様の守りの中、通ることによって、信仰は成熟していくものだということを心に留めたいと思います。

3. 「死」はもはや苦しみではない

「死」とは、聖書では最後の敵として登場します。痛み、悲しみ、苦しみの極みが「死」です。
でも、パウロは死を悲惨なものとは理解していません。なぜなら、イエス・キリストの十字架と復活があったからです。
「死」に伴うすべての否定的なものをイエス・キリストが身代わりに引き受け、苦しまれ、そして死を滅ぼして、復活しました。
ですから、イエス・キリストを信じるすべての人は、もう「死」を恐れなくて大丈夫だとパウロは知っているのです。
死はキリストと共にいることであり、平安な場所に変わりました。

■一緒に考えてみましょう
●「生きるも死ぬもキリストがあがめられること」をパウロは求めましたが、今日の私の心はどこに向いているでしょうか。
神様の愛の中でゆっくり考えてみましょう。
●「苦しみを神の守りの中で通り抜ける経験」を思い出すことはできるでしょうか。

3つの礼拝の時間

grade

第一礼拝

10:00

ピアノとベース
現代的な曲も

第二礼拝

11:10

パイプオルガン
伝統的な曲が中心
英語への同時通訳

子ども礼拝

10:50-11:20

小学生までの子どもが対象
■緊急事態宣言中の礼拝とその他活動について

練馬バプテスト教会では、緊急事態宣言が発出された場合はオンライン礼拝に切り替えるという基準をもって礼拝を行ってきました。
東京都を対象に、6月20日まで緊急事態宣言が出されましたので、緊急事態宣言発令中、日曜日の礼拝はオンライン礼拝のみとします。

主日礼拝 10:00-10:30(YouTubeライブ配信、ライブ配信後も視聴できます)
月の第1,3週は第1礼拝の式次第、第2,4,5週は第2礼拝の式次第で行います。
配信や奏楽などの奉仕は、公共交通機関を使わずに来られる者のみ対応します。

平日の活動も、原則オンラインでの対応とします。
オンライン参加が難しい場合は教会にご相談ください。

礼拝に来た人

grade
52
第一礼拝
38
第二礼拝
26
子ども礼拝

12月20日の出席者

礼拝に関するよくある質問はこちらにまとめてあります。
少しでも不安がありましたら、お問い合わせください。
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