聖書からのメッセージ

世界中で最も読まれている書物『聖書』から、人生の真理を思い巡らします。
第一礼拝・第二礼拝は同じメッセージです。

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3月

3月

ルカの福音の講解

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ルカの福音書 23章26-43節
キリストなら自分を救え

35  民衆は立って眺めていた。議員たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ったらよい。」
36  兵士たちも近くに来て、酸いぶどう酒を差し出し、 37  「おまえがユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ」と言ってイエスを嘲った。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. クレネ人シモンと女性たち

クレネ人シモンがイエスの十字架を運ばされることは、マタイやマルコも記しています。
自分の十字架を運べないほど痛めつけられたイエス。イエスが限界だったので、シモンとの関わりが生まれました。
続けて、シモンの後にイエスのために泣く大勢の女性たちがいたことを記すのはルカの特徴です。
ローマ軍によるエルサレムの破壊の日、兵士だけでなく、女性も子供たちも容赦なく、苦しむことになるのです。
イエスは死ぬ間際でも、弱い人たちを心配します。

 

  1. 侮辱されるイエス

誰もイエスが救い主だと気づかず「自分を救ったらいい」と罵ります。これほど惨めな救い主などいるはずがないと。
詩篇22篇で正しい人が不当な苦しみを受ける祈りで述べられている通りです。
7私を見る者はみな 私を嘲ります。口をとがらせ 頭を振ります。
8  「主に身を任せよ。助け出してもらえばよい。主に救い出してもらえ。 彼のお気に入りなのだから。」
この祈りをユダヤ人は皆、知っていたでしょう。しかし、目の前にいるイエスが不当な苦しみを受けているとは思いもしませんでした。

 

  1. わたしと共にパラダイスに

イエスは失われた人を探し、救うために来たと言われました。
イエスの使命は、自分自身を救うことではなく、この世界で栄誉を受けることでもなく、失われた人を救うために自分の人生を捧げるのです。
死を前にして赦しを祈るイエスの姿が1人の罪人の人生を変えたのでしょう。
息を引き取る間際であっても、イエスは失われた人を探し、救いました。
「私を思い出してください」とイエスに声をかけた犯罪人をイエスは確かに迎えました。

 

■一緒に考えてみましょう

・3本の十字架がこの世界の現実であり、教会の現実です。神様は私に今日、どこに注目するように促しているでしょうか。

2月

2月

ルカの福音の講解

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ルカの福音書 22章39-53節
窮地で何を求めるでしょう

42  「父よ、みこころなら、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの願いではなく、みこころがなりますように。」

(聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会)

■アウトライン

  1. 誘惑を受けるだけか、陥るか

誘惑を受けることと、誘惑に陥ることは大きな違いがあります。誘惑はイエスも受けました。
誰もが受けます。多くの場合、誘惑を受け、誘惑に陥ってしまいますが、誘惑に陥らないようにとイエスは言いました。
誘惑を受けたとき、神にしがみつけるのか、神から身を引いてしまうのか。
祈りは神の土壌に根を張り、試練の風が信仰を揺さぶる日に、しっかりと支えてくれます。これが祈りの力です。

 

  1. みこころがなりますように

「みこころ」という言葉が繰り返されます。祈りを突き詰めていくと「みこころがなりますように」にたどり着くのかもしれません。
ルカの福音書はマリアの祈りで始まりました「私は主のはしためです。
どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように」これもみこころを求める祈りです。
みこころを求めるイエスのために、天から、御使いが現れ、イエスを力づけるのです。
通らなければならない道なので、この状況を変えるのではなく、この状況の中、忍耐し、耐える力を与えてくださるのです。

 

  1. 暗闇の力

ユダも、弟子たちも、指導者たちも、皆、自分の正しさを疑うことなく、行動しています。
しかし、彼らが信じていたものは偽りの正しさでした。ユダは先生と仰いだイエスを偽りの口づけで裏切ります。
弟子たちは剣でイエスを守ろうとします。イエスから、許可を得る前に、切りかかりました。
弟子たちは、自分たちの力で、切り抜けようとします。イエスを逮捕しに来た指導者たちも偽りの正しさに支配されています。
昼の公の場ではなく、夜の隠れた場所で逮捕します。悪魔が真理を隠しました。

 

■一緒に考えてみましょう

・祈ることを知っていることは私たちにとって大きな力になります。祈りを通して、どんな神の働きを体験してきたでしょうか。思い出してみましょう。

1月

1月

ルカの福音の講解

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ルカの福音書 21章20-38節
チコちゃんに叱られる!?

35  その日は、全地の表に住むすべての人に突然臨むのです。
36  しかし、あなたがたは、必ず起こるこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈っていなさい。」

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 終わりに向かうとは

エルサレムの滅亡が語られた後、終わりのことについてイエスは語られます。
諸国の民が不安に陥ると書かれているように、人々は自然を前に、無力さを痛感し、途方に暮れるような感覚に襲われます。
天地が揺らぐイメージが語られ、次に「人の子」という非常に重要な専門用語が出てきます。
「人の子」というのは旧約聖書の預言の一つです。ダニエル書7章に出てきます。
異教徒によって苦しめられた後に、神の民はあがなわれる時について語られていると信じられていました。

 

  1. 終わりに向かう教会の希望

1イエスが宣教の中で神の国の権威を示すとき、2十字架と復活について話すとき、3再臨、
つまり再びイエスが戻ってくることを語るときに「人の子」をイエスは使いました。この文脈では、終わりのとき、
神の王国の権威を持って来られるイエスを指しています。
特に、ルカがここで伝えたいメッセージは、苦しんでいる民にあがないをもたらすためにやって来ることを強調しています。
迫害が起こると予告されました。でも、必ずイエスが来られるから、待ち望みなさい。終わりに向かって歩む教会へのイエスの励ましです。

 

  1. 生活が祈りとなりますように

日々の暮らしがどのようなものであるか、イエス様はご存じです。
だから、心が、放蕩し、ほしいままに流されたり、酒などに酔わされ、注意力が失われたり、生活の思い煩いで心が占められて、
そこにイエス様のスペースがなくなることがないようにという言葉を、しっかり受け取りましょう。
私たちの生活そのものが神への捧げものであり、祈りとなりますように。

 

■一緒に考えてみましょう

・終わりは突然、訪れるということを、どのようにして日々、意識することができるでしょうか。

12月

12月

クリスマス
1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ルカの福音書 20章20-26節
神のものを神に返す

24  「デナリ銀貨をわたしに見せなさい。だれの肖像と銘がありますか。」彼らは、「カエサルのです」と言った。
25  すると、イエスは彼らに言われた。「では、カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。」

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 「税金」に関する悪巧み

イエスを罠にかけようとしたユダヤ人指導者の回し者たち。ローマ皇帝に税金を払うことは律法にかなっているかと問いかけます。
イエスは悪巧みを見抜き、答えます。カエサルの肖像なら、カエサルに返したらいい。
(つまり、税金を納めたらいい。)ただし、イエスはもう一言付け加えます。
税金の問題もとても大切ですが、より人生の本質に関わることをイエスは語ります。「神のものは神に返しなさい」

 

  1. あなたは誰の「肖像(かたち)」か?

デナリ銀貨は、誰の肖像がありますか?カエサルのです。だったら、カエサルに返しなさい。
ここで、私たちは「肖像」という言葉は「神のかたち」と同じ言葉だという知識があると、人は誰の「肖像」もしくは「かたち」ですか?
人は誰の「かたち」に創造されたのですか?というイエスの問いかけが聞こえてきます。
聖書は、人は神ご自身のかたちに創造されたと答えます。
つまり、神のものは神に返しなさいという言葉は、神の「肖像(かたち)」に創造された私たち自身に関することだということに気づくでしょう。

 

  1. イエス・キリストこそ「神のかたち」

御子イエス・キリストが生まれ、神のかたちとして生きる人生を示し、十字架で罪責の一切を負われたゆえに、
罪人が赦され神と和解する道が全ての人に開かれました。
パウロは神のかたちに変えられていくクリスチャンの歩みについて、繰り返し語っています。
私たちは古い自分に死に、イエスと共に新たに生きる練習を、毎日している最中です。
でも、この世を照らすまことの光であるイエス・キリストに注意を向け、イエスの栄光を目撃し、イエスの栄光が私たちを作り変えてくださることを、
もっともっと、体験したいのです。

 

■一緒に考えてみましょう

・どんな時に、神の栄光を目撃したかこの1年間を振り返ってみましょう。神の恵みのうちに神のものを神に返すことができますように。

11月

11月

ルカの福音書講解

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ルカの福音書 20章9-19節
すれ違いでは済まされない

17   イエスは彼らを見つめて言われた。「では、
『家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった』
と書いてあるのは、どういうことなのですか。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. ぶどう園の主人に借りていた農夫

収穫の時が来たので、主人はしもべを、農夫たちのところに遣わします。
主人の代わりに来たしもべを3回も打ち叩き、何も帰らせたというのは、神様が繰り返しイスラエルに遣わした預言者たちへの態度が思い出されます。
最後には、主人のぶどう園を自分たちのものにしようとして、なんと息子を殺してしまうのです。
ぶどう園を奪おうとした農夫は殺され、他の人たちが管理することになります。なんというたとえ話でしょうか。

 

  1. 家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった

詩篇118:22の引用。ユダヤの指導者たちが捨てた石がイエス・キリストです。役に立たない、邪魔な石でしたが、要の石となる。
一度は捨てられたが、神は捨てられた石を最も重要な要の石として用いる。これが聖書の約束です。
これが聖書の大逆転です。死がいのちとなる。死を通して、命を与える。
この詩篇の一節は新約聖書の中で何度も繰り返し引用され、イエス・キリストの十字架の死と復活の、神の神秘を解き明かす言葉として用いられます。

 

  1. そんなことが起こってはなりません

16節の民の反応です。元々この話は人々に向けて語られたのです。
農夫の側に立ちながら、聞こうとした人はいたでしょうか。私たちも農夫なのです。神に託されたものに忠実でしょうか。
聞き慣れない神の声を聞いているでしょうか。誰も完璧な人はいません。どこにも完全な教会はありません。
でこぼこがいいと言ってくださるのは、ただただ、神の恵みによるのです。
律法学者たちと祭司長たちは、このたとえ話が自分たちを指して語られたことに気づいた。
私たちも気づき、立ち止まり、何をしたらいいでしょう。

 

■一緒に考えてみましょう

・神に託されていることに忠実でしょうか。預言者の声、神の聞き慣れない声を聞こうと立ち止まっているでしょうか。
・「捨てた石が、要の石となる」という神の神秘について祈ってみましょう。

10月

10月

ルカの福音書講解

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:川口竜太郎  師 hi-b.a.代表スタッフ
聖    書:イザヤ書43章 1-4節
あなたの神

1 だが今、主はこう言われる。
ヤコブよ、あなたを創造した方、
イスラエルよ、あなたを形造った方が。
「恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだ。
わたしはあなたの名を呼んだ。
あなたは、わたしのもの。

 

2 あなたが水の中を過ぎるときも、
わたしは、あなたとともにいる。
川を渡るときも、あなたは押し流されず、
火の中を歩いても、あなたは焼かれず、
炎はあなたに燃えつかない。

3 わたしはあなたの神、主、
イスラエルの聖なる者、
あなたの救い主であるからだ。
わたしはエジプトをあなたの身代金とし、
クシュとセバをあなたの代わりとする。

4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。
だから、わたしは人をあなたの代わりにし、
国民をあなたのいのちの代わりにする

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

9月

9月

ルカの福音書講解

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ルカの福音書 18章18-30節
人にできないことが神には

26  それを聞いた人々は言った。「それでは、だれが救われることができるでしょう。」
27  イエスは言われた。「人にはできないことが、神にはできるのです。」

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 人間の基準は神とは違う

「私は少年のころから、それらすべてを守ってきました」と告白する指導者は、先週出てきたパリサイ人と同じタイプです。
自分やちゃんとしている。よくやっている。努力してきた。周りもそう認めているし、自分も心から信じていました。
自分で自分を正しいと思い、真っ直ぐに生きていると思うタイプの人ですが、「何をしたらいいか」という最初の質問からズレていました。
何かをすることで、神の子どもに値すると認められることは事実上、不可能です。

 

  1. 神よりも大切な「何か」

この指導者はお金を手放すことには、大きな抵抗がありました。イエスは私たちの深い部分に触れられます。
魂に触れると言ってもいいかもしれません。
私たちは「心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」という最も基本的な命令にも十分に応じることができません。
むしろ、心を尽くし、力を尽くし、知性を尽くして愛してくれるのは神様の側ではないでしょうか。
神に近づけば近づくほど、神の大きさと自分の小ささに気づくものです。

 

  1. 手放すことも恵みによって

自分の富をキリストの足もとに置く覚悟はあるでしょうか。
私たちはお金ではなくても、自分の大切にしているものをイエス・キリストの足元に置き、手放す覚悟はあるでしょうか。
もう少し、丁寧に語るなら、神は最も大切なひとり子、イエス・キリストを手放すほどに私たちを愛しています。
神の愛が信頼に足ると体験するほど、私たちは自分の大切なものを神の前に手放すことができるようになるだろうなと思います。
覚悟というと、自分の決断のような感じがするかもしれませんが、手放す信仰もまた神の恵みから始まります。

 

■一緒に考えてみましょう

・この指導者にお金を手放すようにとイエスは促したとしたら、私には何を手放すようにとチャレンジをされるでしょうか。
じっくり考えてみたり、親しい人に聞いてみたりして、自分の盲点に光を当ててみましょう。

8月

8月

ルカの福音書講解

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ルカの福音書 17章11-19節
感謝する人、しない人

17  すると、イエスは言われた。「十人きよめられたのではなかったか。九人はどこにいるのか。
18  この他国人のほかに、神をあがめるために戻って来た者はいなかったのか。」
19 それからイエスはその人に言われた。「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. ツァラアトという呪い

ツァラアトが見つかったら「汚れている」と叫び、共同体の外に出ていかなければなりませんでした。
ツァラアトの治療方法はありません。元に戻せるとしたら、神の奇跡だけです。
イエスがツァラアトの人をきよめたという情報が彼らの耳にも届いていたことでしょう。
イエスがこの村に来てくれたので、必死に彼らは「あわれんでください」と叫びました。
「あわれんでください」とは神に対する祈りの中で使われる言葉です。イエスを救い主として信仰を告白しているのと同じことです。

 

  1. イエスの言葉を信じ、従った人たち

もしかしたら、聞いていた情報を違うと思ったかもしれません。
以前は「私の心だ、きよくなれ」とツァラアトの人に直接、触れて、癒されました。
なのに、今回は「行って、自分のからだを祭司に見せなさい」と言われただけでした。
彼らはイエスの言葉を信頼し、祭司のところに向かい、その途中できよめられたことに気づきます。
イエスを信じ、従った彼らの信仰が奇跡を実現させたのです。
このあと、イエスのところに感謝を伝えに来たのは1人のサマリア人だけでした。

 

  1. 本質を見誤らないように

イエスが使った「他国人」という言葉は、エルサレム神殿で正式に使われている言葉でした。
他国人はここまでしか入ってはいけませんというエリアが決められていました。
一番遠くで我慢させられるのが他国人、次は女性のエリア、最も近づけるのは男性という括りが神殿で礼拝する時に存在していました。
そのエリアを守れなかったら殺されてしまうほど、厳しい決まりでした。
イエスには意味のない区別でした。生まれではなく信仰が本質なのです。

 

■一緒に考えてみましょう

・神からの祝福に対して、感謝をしないままにしていたことはあるでしょうか。
・当時「サマリア人」に対する偏見があったように、私たちはどんな偏見があるでしょうか。

7月

7月

ルカの福音書講解

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ルカの福音書 16章1-13節
小さなことに忠実に

10   最も小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実であり、最も小さなことに不忠実な人は、大きなことにも不忠実です。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 伝統的な解釈

伝統的な解釈では、不正な管理人が、主人の財産を浪費し、首になりそうになり、借りている人たちの好意を得るために借りているものの数を減らして帳簿を改ざんしました。
この場合、不正をしていた管理人の将来に備えた危機対応に抜け目がなかったと誉められたという解釈がなされます。
自分が首になりそうだと分かったら必死になって生き延びる方法を考えたように、
イエスの弟子として永遠に至る道を歩くときに、必死になっているか、という弟子への警告がなされているのです。

 

  1. もう一つの解釈

聖書の伝統では、お金を貸してお金儲けをすることは禁じられていました。
法律の抜け道として、ものを貸して、利息を取るということが行われていたそうです。
この管理人がしたのは、利息分を減らして、借りていた人を喜ばせつつ、律法の定めに従った契約に修正することで、主人の名誉を回復させることになった。これが賢いと誉められる理由だという見解です。そうだとしたら、この世のお金を増やすことだけを考えるよりも、
むしろ、困っている人を助けるためにお金を使いなさい。これが永遠へと至る生き方なのです。

 

  1. 神に託されたものという価値観

お金の扱い方を具体例に挙げながら、忠実でありなさいと言われます。小さな日常的な事柄をはじめとして、私たちは神への忠実さが問われています。
「管理人」という言葉から、私たちの人生の全ては神に託されたものであるという聖書の視点を思い出したいと思います。
私たちが自分で手に入れたと思うようなことも神から委ねられ、託されたものであり、
それを私たちは不正に管理するのか、忠実に管理できるのかが問われています。

 

■一緒に考えてみましょう

・神に託されたものに忠実でしょうか。もっと危機感を持って管理しなければならないことについて何か思い当たるでしょうか。
人を助けるために何ができるでしょうか。

6月

6月

ルカの福音書講解

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ルカの福音書 14章15節
あなたも神のパーティーに

15  イエスとともに食卓に着いていた客の一人はこれを聞いて、イエスに言った。
「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう。」

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 神からの招待を断る人たち

皆が、同じように断るなんて、あり得ないことでした。しかも、どれも盛大な宴会を断る理由に値するとは思えない理由なのです。
まだ話は続きますが、「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」と言った人たちへのイエスの警告が読み取れます。
神の国で食事をするなんて、なんて幸せだと口では言いながら、招かれていたにも関わらず、あなたは断るではないかと。
イエスが招待するのをやめたのではなく、彼らが自分で招待を断ったのです。
私たちは神の国の食事の招待に気づかずに、自分の都合を優先させてしまうことはないでしょうか。

 

  1. 文字通り、誰もが招かれている

この主人の夕食会には、たくさんの席があります。だから、もっと多くの人を招くことができます。
そこで、街道や垣根のところまで行きなさいと言われます。街道というのは、町と町を結ぶ道路のことです。
垣根というのは、おそらく町の外にあるぶどう畑の垣根を指すだろうと言われていて、
街の中の人では足りず、街の外まで行って、人を連れてきなさいと主人は言われたのです。
街の外の人となると、同じ民族ではない可能性があります。
また、街の外に追いやられた社会的に立場の弱い人たちも含まれます。イエスの福音はこのように広いのです。

 

  1. 恵みを受ける人とは

食事をするというのは、親しさの象徴ですから、普通は、人を選んで、一緒に食卓を囲むのです。
しかし、この家の主人は、誰でも食卓に客として加えます。
つまり、食卓の友として数えるには、あまりに汚れているとか、あまりにもみじめだとか、決して言わないのです。
これは私たちが何度も、繰り返し、確認すべきことです。神が恵みを示して、それを受け取る人は、誰もが恵みの食卓に加えられるのです。
ただ、神の招待を断るかどうかは私たち次第なのです。

 

■一緒に考えてみましょう

・神のパーティーにふさわしい人とは、どのような人でしょうか。

5月

5月

ルカの福音書講解

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ヨハネの手紙第一 4章19節
愛を知り、分かち合う

私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン
1. ここに神の愛が
神がひとり子、イエス・キリストをこの世界に遣わしました。
イエスは私たちの罪のために(そして、この世すべてのために)、身代わりに、十字架で神に捧げられた「いけにえ」だと聖書は教えます。
イエスが私たちの身代わりになり、罪の罰を受けられたので、私たちは罪に責任を負わなくてよくなったのです。
罪は私たちを苦しめません。罪の呪いから解放されました。イエスの十字架のいけにえに基づく罪の赦しが神の愛の本質なのです。
ここに神の愛があると言われます。

2. 互いに愛し合いなさい
イエスが示した神の愛は、他者のために自らを捧げる生き方でした。
イエスの愛に本当の意味で触れるなら、イエスのように私たちも他者のために、自らを捧げるという神の愛を分かち合う道を歩き始めることになります。
これが神から新しい命をいただくということであり、神がキリストにおいて私たちを赦してくださったように、
私たちの赦しを必要とする人々を赦すという神の愛を分かち合う、新しい人生を生きるということです。

3. 聖霊の導きの中で
今日はペンテコステを記念する礼拝です。聖霊が神から与えられたことを思い出す日です。
すでに神は私たちに御霊を与えてくださっているのです。ですから、私たちは神のうちにとどまることができるし、神も私たちにとどまるのです。
この信仰共同体の中で、私たちは愛することを学んでいるところです。
聖霊の導きに私たちが身を委ね、神の家族を信頼して生きる中で、神ご自身がまず愛を示してくださったように、神のご栄光を私たちに表してくださいます。私たちはこの神の素晴らしさを目撃し、賛美し、証し、神と人に仕えましょう。

■一緒に考えてみましょう
・今日も、神の愛に立ち返りましょう。どのような時間が神の愛に立ち返るのを助けてくれるでしょうか。
神の愛に戻ったら、何に目を向けるようにと促されるでしょうか。

4月

4月

ルカの福音書講解

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ルカの福音書 12章34節
宝物は何ですか

34  あなたがたの宝のあるところ、そこにあなたがたの心もあるのです。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 自分のことで頭がいっぱい

16-20節に出てくるお金持ちは「私の」という言葉を何度も使っていました。
私の作物、私の倉、私の穀物。私の財産。このお金持ちの生き方、ものの見方が「私の」という言葉に表れています。
彼の人生は、自分のことで頭がいっぱいです。
溢れるばかりに祝福され、たくさんの収穫を手に入れたとき、神を愛し、人を愛するという生き方について彼は考えたでしょうか。
彼は自分のことだけ考えていました。目の前の財産を信じ、神を無視した人生でした。

 

  1. 心配に振り回されない

後半は神に全面的に信頼して大丈夫だという話です。私たちはさまざまな心配に囲まれているかもしれません。
イエスに従うと決めたら迫害されるかもしれません。
安全に暮らせたとしても、お金や食べ物、着る物、生活のために必要なものは、たくさんあるでしょう。
しかし、神は心配するのをやめなさいとはっきり言います。
神は恵み深いお方であり、神が満たしてくださるから、心配しなくて大丈夫だというのがイエスの約束です。

 

  1. 天に宝を積む「施し」

神に宝を蓄える方法が最後に明らかにされます。施しをすることです。
これは恵みのリズムで生きることです。神から恵みをタダでいただいたら、その恵みを次の人に手渡していくということです。
自分のことだけ考えて、視野が狭くなり、神や周りの人が見えなくならないようにするのが「施し」です。
施しのための出発点は、まず神が私たちを愛してくれているということ。
神の愛を思い起こすことが、神と周りの人に恵みを分かち合うことにつながります。

 

■一緒に考えてみましょう

私たちは一度、立ち止まりたいと思います。私たちは何を求めて、何を貯めようとしているでしょうか。
倉があるとしたら、そこに何が入っているでしょうか。
自分のことだけ考えて生きているのか、神と人を愛することを考えながら生きているのか、しばらく振り返ってみましょう。

礼拝の時間

grade

第一礼拝

10:00-10:30

ピアノとベース
現代的な曲も

第二礼拝

11:10-11:40

パイプオルガン
伝統的な曲が中心

子ども礼拝

11:10-11:50

赤ちゃんから小学校6年生まで
保護者の方も

礼拝に来た人

grade
45
第一礼拝
56
第二礼拝
29
子ども礼拝

3月10日の出席者

礼拝に関するよくある質問はこちらにまとめてあります。
少しでも不安がありましたら、お問い合わせください。
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