私たちの教会

私たちの牧師

蒔田望

牧師

渋谷昌史

伝道師

泉田昭

名誉牧師
蒔田牧師からのメッセージ
渋谷伝道師からのメッセージ
泉田名誉牧師からのメッセージ
蒔田牧師からのメッセージ

心に留めている言葉はありますか?
「あなたはわたしの愛する子、 わたしはあなたを喜ぶ」 と語りかける天からの声を 私は心に留めたいと思っています。

まったく反対の声も聞こえてきます。「あなたは愛されていない。 価値がない。 意味がない。」
だれの声に耳をすませるのでしょう。 もちろん、信頼できる人の声を選ぶでしょう。

聖書には人と神との歴史が記されています。
人の弱さ、足りなさ、自分勝手さとどう向き合ってきたのか、 神が忍耐強く人と関わってきたのかを知ることができます。

神は私の心を知っています。 聖書に出てくる出来事は私の日常と重なります。
傷があり、悲しみがあること。 思いやりに欠けること。 能力に限界があること。 自分を優先すること。
全部を知っていて、「わたしのそばで、わたしとともに生きてごらん。 あなたの人生が変わるから。 まず、そのままで来なさい。」 そう言われるのです。

牧師 蒔田望

渋谷伝道師からのメッセージ

イエス・キリストってどんなお方なのだろうか?

難しい問です。 しかし、人生のどこかのタイミングでイエス・キリストに出会い、信じてついて行くと、少しずつ生き方が変わっていきます。
少しずつ世界の見え方が変わってきます。 人生における問題、苦しみや悲しみが無くなるわけではありません。 しかし、それでも希望があります。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」
(マタイの福音書11章28-29節)

聖書を通して、私たち一人一人に語りかけて下さるイエス様。
自分の思いではなく、イエス様の声の方へと心の向きを変えるよう、語り続けていきたいと思います。

伝道師 渋谷昌史

泉田名誉牧師からのメッセージ

「教会はあなたのホーム」
~共に集い、共に交わろう~

今の時代、社会も家庭もホームレスのようです。
そこでは共に生きるという雰囲気はなく、 心から話し合うこともなく、 共に助け合うこともなく、 みな孤独に生きています。

しかし教会には心からの人間らしい交わりがあり、 共に話し合い、共に助け合い、共に生きています。
試みに教会に足を運んでみてください。 教会を訪れ、勇気を出して声をかけ、話し合ってみてください。

心から話し合い、相談してください。 あなたの悩みは解け、あなたの問題は解決し、 人間らしい交わりが育ち、家庭のようになります。
ホームレスのような社会にあって、 教会はあなたのホームです。

名誉牧師 泉田昭

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教会の始まり
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3つの礼拝出席
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多種多様なグループ活動
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開拓支援した連合の教会

教会の物語

1948

宣教師の熱意

練馬バプテスト教会の始まりは、フランシス&マリアン・ソーリー宣教師夫妻です。
彼らはBGC(Baptist General Conference)現在の Converge Worldwide というアメリカの宣教団体から派遣された宣教師でした。
彼らの息子ロバート宣教師が当時のことを振り返ってこう書き残しています。
「Baptist General Conference というアメリカにある団体が宣教師を日本に送り始めたのは1948年でした。その最初の宣教師は私の両親、フランシスとマリアン・ソーリーでした。当時の日本の経済的困難を覚えています。食料品は欠乏していたので、宣教師は大量の食料品をアメリカから持ってきました。住宅も不足していたために、両親が来日時に持ってきた長さ8m、幅3mのハウストレーラーが、3年以上も我々3人家族の住まいでした。」
1950

練馬バプテスト教会誕生

フランシス・ソーリー宣教師は1950年(昭和25年)1月8日、練馬において最初の集会を始め、宣教師2家族を含めて15,6名の者たちが礼拝を捧げました。
9月24日に最初のバプテスマ式を行い11名の方がバプテスマを受けました。
正確な記録がないため、その氏名はよくわかりません。
10月1日には最初の教会会議が行われ、練馬バプテスト教会と命名し、ソーリー師が牧師に就任しました。
1957

日本人牧師へバトンタッチ

東京タワーが完成するのが1958年ですから、当時日本は復興が始まっていました。人々は、豊かになり、それなりに生活ができるようになり、将来に希望を持ち始めると教会から離れ始めたといいます。
泉田昭師が練馬バプテスト教会の牧師に招かれて就任したのは、そのような時代でした。1957年4月、最初の契約は1年間でBGCの宣教師D・ビョーク師と一緒に伝道牧会することになりました。
すでにキリスト教ブームは去り、今まで宣教師たちが購入して使用していた大きな西洋館の建物は使用できなくなり、礼拝の出席者は10数名くらいしかいませんでした。そこで、その西洋館についていた小さな物置小屋を改造して礼拝堂にしました。牧師館はその中2階で天井が低く、五畳一間でした。
食べ物がなくても、神にだけ信頼して
そのとき、泉田師は3つの宣教方針を決めたと言います。
第一は、人ではなく生ける全能の神により頼む。宣教団からの援助は受けず、独立自給で行う。
第二は神のことばである聖書のメッセージを語る。そのため、説教は連続講解説教で行い、聖書研究に力を入れる。
第三は、キリストの霊的有機体である教会を牧会の基本に据える。教会員は、それぞれの才能・能力を生かしてともに仕え、ともに成長するようにする。
宣教団の支援を受けないことで経済的には苦しく、時には食べるものがなかったこともありました。そのようなときは、不思議と部屋の戸口に缶詰が置かれていたりして、飢えずにすんだと聞いています。
「人ではなく生ける神により頼む」と口で言うのは簡単ですが、食べるものがなくなっても、それでも神だけをよりどころとする、神だけを信頼するという覚悟がありました。実際に、経済的に苦しくても、それを上回る祝福が受けて、練馬教会は経済的な自立へと着実に足をすすめていったのでした。大人から子どもまで多くの人たちが集うようになり、教会堂の増築を行ったのは1959年のことでした。
1960

墓のない人生は儚い人生

「家には先祖代々のお墓があり、そこに入るために、バプテスマを受けたいのだが受けることができない」という婦人たちのことばが聞こえてきました。
日本では墓は家族の絆であり、教会が墓地を所有する必要があると泉田師は思いました。
ちょうど埼玉県入間郡毛呂山の武蔵野霊園が売りに出されていたころで、そこにはキリスト教専用の墓地スペースがあり、そこを購入することになりました。
やがて日本バプテスト教会連合東京地区連合が管理するようになり、100名を越す方が納められています。
1965

日本バプテスト教会連合設立

1951年以降、宣教団は教会やクリスチャンの数が少ない和歌山県や三重県の南部に集中的に派遣し、宣教に熱中しました。宣教師の熱意によって、いくつかの教会や伝道所と呼ばれるものが作られました。
やがて宣教師に協力する形から、徐々に日本人の牧師たちが教会の中心となり活躍し始めます。1963年、連合がつくられる契機となる、教職者研修会が行われました。
ここで、東京、和歌山、紀南と距離的に離れている諸教会が効果的な宣教を進めていくためには、任意の交わりや会議だけでは不十分だという認識に至りました。
連合の設立が話し合われ、泉田昭師を委員長とした設立準備委員会が発足しました。
1965年9月23-24日、場所は和歌山市磯の浦にある青年の家において設立総会が開かれました。
「日本バプテスト教会連合」という名前も正式に決められ、「教会連合」の名の下に、一つとなって主のわざに励むことが決意されました。
この頃、練馬教会も非常に祝福され、教会における交わりが充実し、積極的に外に向かっていきました。1969年には2度目の会堂の増改築が行われることになりました。
1976

複数牧会へ

1976年 石井忠雄師が副牧師に就任し、泉田牧師との複数牧会が始まりました。
泉田師が練馬での牧会、千葉や多摩集会、連合実行委員長の職務に専念し、石井師が教会学校や青年層、訪問伝道を担うことになりました。
翌年1977年には泉田師の牧会20周年を迎えられ、
記念誌「練馬に光を」が発刊されました。
1981

新会堂建設

狭小住宅「塔の家」を手がけたことで知られる建築家で大阪大名誉教授の東孝光氏によって新会堂は設計されました。
1981年9月、日本バプテスト教会連合センターを兼ねた現在の教会堂が完成。
水と緑のコミュニティーを目指して建築されました。
教会堂建築中から、礼拝が2回になりました。
1993

パイプオルガン奉献

パイプオルガンは価格も高く耐用年数も長いため、一度購入すると世代を越えて使用していくことになります。練馬教会に必要とされるオルガンはどういうものか、様々な懸案事項を検討する中で神様は明らかにしてくださいました。
次期オルガンについて話し合いが始められたのは1985年のこと。
実に8年もの歳月を経て、練馬教会の礼拝堂に合わせて設計された現在のオルガンが設置されるにいたりました。
日曜日の礼拝はもちろんのこと、チャペルコンサートとして近隣にお住まいの方々がパイプオルガンの音色を聴きに教会に足を運んでいます。

小グループ充実を目指して

1994年頃から、自主的な小グループ活動について検討が始まり、自主的な家庭集会が多く生まれたのが1990年代中頃です。
学びがあり、交わりがあり、励ましがある小グループ活動は新しい時代に向かう大切なあり方だという認識がありました。
世代別のグループや地域のグループに加えて、関心別のグループが生まれるようにという願いは泉田師から眞田師へと引き継がれました。
2012年、「小グループ活動を柱とした教会形成」というフレーズが基本方針に登場します。
長い歴史のある世代別のグループや聖書の学び会に加え、フラワーアレンジメントや賛美フラ、アウトドアといった多種多様な活動がなされています。

キリストを頭とし、互いに仕え、愛し合い、福音を宣べ伝える教会

3つの特色のある礼拝

多種多様なグループ活動

大きな教会より多くの教会を

1958
1958年、練馬区石神井で幼稚園を借りて、スコーグランド宣教師によって開拓伝道が始められ、
練馬バプテスト教会の奉仕神学生であった野中幸雄牧師が就任しました。
(石神井バプテスト教会)
1968
1968年、坂本博牧師が東京都清瀬市でスコーグランド宣教師と協力して伝道を始め、
教会堂を建てました。
坂本師は広島から家族で上京し、練馬バプテスト教会の礼拝に出席していました。
(清瀬バプテスト教会)
1971
1971年、荒木寛二牧師が埼玉県上福岡市(現在のふじみ野市)で伝道を始めました。
大学在学中に練馬バプテスト教会でバプテスマを受け、青年会のリーダーなどで活躍していました。
会社での勤務を経て、聖契神学校で学び、新しい教会を始めました。
(上福岡バプテスト教会)
1982
1982年、北国哲夫牧師が埼玉県坂戸市で伝道を始めました。
練馬バプテスト教会に転会してから東京基督教神学校でさらに学びを深め、
卒業後に坂戸で牧会を始めました。
(坂戸バプテスト教会)
1989
1989年、福井誠牧師が東京都世田谷区二子玉川で教会を始めました。
聖契神学校に入学後、奉仕神学生として練馬バプテスト教会で奉仕をし、
卒業後に玉川で教会を始めました。
(玉川キリスト教会)
1990
1990年、飯島勅牧師が東京都福生市で牧会を始めました。
国分寺バプテスト教会が始めていた教会に就任しました。
飯島牧師は学生時代に練馬教会に転会し、聖書神学舎で学びました。
(拝島バプテスト教会)
1992
1992年、川口恭生牧師は静岡県浜松市で伝道を開始しました。
川口牧師は夫妻で練馬バプテスト教会に転会し、聖契神学校で学びました。
卒業後に、三重県熊野市にある木本バプテスト・キリスト教会に赴任。
その後、浜松での伝道を始めました。
(浜松バプテスト・キリスト教会)
1996
1996年、伊藤明生師は練馬バプテスト教会の衛星教会として千葉県印西市で伝道を開始しました。
2002年からは木森隆先生が牧師となり、2013年に千葉ニュータウン・バプテスト教会として自立教会となりました。
(千葉ニュータウン・バプテスト教会)
2001
2001年、岸尾光牧師は埼玉県新座市で伝道を開始しました。
岸尾牧師は大学時代に練馬バプテスト教会でバプテスマを受け、
宣教団体で働いた後、聖契神学校で学びました。
(新座志木バプテスト教会)
2005
2005年、石井忠雄牧師は1990年頃から行っていた東京都練馬区光が丘団地での伝道を引き継ぎました。
石井牧師は長年、練馬バプテスト教会で牧会をされ、練馬の働きを引き継いで、自立教会となりました。
(光が丘バプテスト教会)
2015
2015年、田弼安牧師は東京都江戸川区で教会を始めました。
田牧師は韓国から派遣された宣教師です。
練馬バプテスト教会での牧会を経験し、江戸川区松江で教会を始めました。
(江戸川志音教会)
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