聖書からのメッセージ

世界中で最も読まれている書物『聖書』から、人生の真理を思い巡らします。
第一礼拝・第二礼拝は同じメッセージです。

礼拝の時間について、ここをクリックして確認できます。

8月

8月

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説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ルカの福音書 5章8節
得意分野で行き詰まったら

 

8 これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して言った。
「主よ、私から離れてください。私は罪深い人間ですから。」

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 全面的に賛成できなくても、やってみる

5節のシモン・ペテロに注目しましょう。まず自分の気持ちや考え方を正直に伝えます。
漁師の経験から言って、難しいと思います、と。でも、おことばですのでやってみます!とイエスに言われた通りにトライしてみる。
神のなさろうとすることは、大体私たちの現実的な範囲を超えていることばかりです。
ですから、私たちの第一印象としては、神様からの提案に、全面的に賛成することは難しいことが多いものです。
「でも、やってみます!」とイエスの通りに行動に移す。これが神に従うことなのです。

 

  1. 自分の小ささに気づくことから始まる

当時、罪人とは、神から遠く離れていて神の恩恵を受ける資格がない人だと考えられていました。
ですから、ペテロは罪深い私から離れてくださいとイエスに語ったのです。
しかし、罪人こそ、神からの恵みが必要なのです。
イエスが弟子として招くのは、自分は神の働きをする価値がありますという人ではなく、自分の罪深さを自覚している人なのです。
神の前で圧倒的に自分が小さい存在だと気づいている人こそ、神の国の奉仕に相応しいのです。

 

  1. どういう人が弟子に招かれるのか

イエスの弟子としてどういう人が招かれるでしょうか。欠点のない人が求められるのではありません。
いつでも、私たちは自分の足りなさ、欠けを持ったまま、ただ恵みによって招かれるのです。
そして、神の恵みが私たちの信仰を育て、生き方を決定的に変えていきます。
これが神の国の原理原則です。私の足りなさや弱さをそのまま神の前に差し出すことができるでしょうか。
このような正直な献身こそ、私たちの信仰の表明であり、神への信頼なのです。
このようにして従う人を、神はいつの時代も待ち望んでおられます。

 

■一緒に考えてみましょう

・常識とは反して昼間に漁をして多くの魚が捕れたように、神を信じたことで、私たちの予想とは違う結果を目にした経験はあるでしょうか。
・自分の足りなさや弱さを神の前に差し出すとしたら、今日の私は何を献げるでしょうか。

7月

7月

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説教者:片山 信彦 兄
聖    書:使徒の働き 11章25節~26節
“キリスト者“誕生の逸話

 

25 それから、バルナバはサウロを捜しにタルソに行き、
26 彼を見つけて、アンティオキアに連れて来た。彼らは、まる一年の間教会に集い、大勢の人たちを教えた。
弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 本日の聖書箇所は、このアンティオキアで、初めて信者がキリスト者と呼ばれたと書かれています。
    本日は「”キリスト者“誕生の逸話」と題して、少し想像力を働かせてこの背景を見てみたいと思います。
    そして、そこには、人生における“たまたま”と言える出来事があったことを再発見したいと思います。
  1. マルコ15:21~ ここにイエスの十字架を背負わされたクレネ人シモンという人物が出てきます。
    クレネ人はアフリカ東部の出身者だと言われています。つまりユダヤ人ではなく異邦人です。
    それなのに彼の出身地とアレクサンドロとルフォスという二人の息子の名前まで聖書に記されています。
    このシモンは、たまたまイエスが十字架に至る所に通りかかったのですが、この“たまたま”が彼の人生だけでなく、
    後の“キリスト者”誕生に大きな影響を及ぼすことになったのです。
    十字架を背負わされたシモンとその家族について、ローマ16:13では、シモンの息子ルフォスの母親、つまりシモンの妻をパウロは、「私の母」と呼んでいます。それほどシモン一家がパウロと親しい関係にあったことが想像できますが、なぜパウロはルフォスの母を「私の母」と呼ぶほどに親しかったのでしょうか。
  1. 使徒11:19~20 クレネ人の信者はエルサレムから迫害を逃れてアンティオキアに逃げたようです。
    シモン一家も信仰が与えられて、このクレネ人信者の中にいたのだと思われます。
    アンティオキアは当時のローマ帝国第三の都市と呼ばれるほど繁栄していた都市でしたからアンティオキアの様な大きな都市にいれば目立たない、と考えて逃れたのかもしれません。
    そのアンティオキアにパウロがバルナバによって連れられてきて、一年以上滞在しました。
    一年以上滞在したパウロの泊る所や炊事洗濯など日常生活の世話をしたのがシモン一家だったのではないでしょうか。
    シモン一家は家族ぐるみでパウロの生活の助けをしたので、パウロは「私の母」と呼んだのではないか、と想像できます。
  2. パウロはこのシモン一家に支えらえたので一年間アンティオキアに滞在でき、
    人々に福音を伝えることができたので信者たちが“キリスト者”と呼ばれるようになったのです。
    “キリスト者”誕生の陰には誠実に伝道者パウロを支えた一家の存在があったのです。
    たまたまシモンが通りかかり、無理矢理に十字架を背負わされたことから、シモン一家が“キリスト者”誕生の立役者になったと言っても良いでしょう。シモン一家は直接伝道の働きをしたのではないかもしれませんが、この一家がパウロを支えたことでこのアンティオキアからパウロの伝道旅行が始まり、キリスト教がローマ世界に広がる出発点ともなります。
    シモン一家はパウロの様にキリスト教の歴史の表舞台には出てこないけれど、陰で支えたに違いない人たちです。
    それが、シモン当人にとってはたまたまと思えることが出発点でした。
    でもそこに神様の計画があるのではないかと思わされますね。
  3. 皆さんが練馬教会に集うようになったのも、“たまたま”と思えることがきっかけだったかもしれませんね。
    人生の不思議です。シモンの様に、“たまたま”がきっかけで思いもかけない人生に踏み出すことも有るのではないでしょうか。
    たまたまの出会いによって後に良いことが起きるかも知れませんし、困難にぶつかるようなことがあるかもしれません。
    でもそのたまたまの出来事、出会いに真摯に向き合い、誠実に生きる時に神様の計画の中でその人に相応しい歩みができる。
    神の計画の中に生きることができるのではないかと思います。
    日々の生活の中で、“たまたま”を大切に、たまたまの基にある神様の計画を信頼して生きていきたい、とシモンの歩みから教えられるのです。

6月

6月

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説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ルカの福音書 2章44-46節
少年イエス3日後に発見

 

44 イエスが一行の中にいるものと思って、一日の道のりを進んだ。後になって親族や知人の中を捜し回ったが、
45見つからなかったので、イエスを捜しながらエルサレムまで引き返した。
46そして三日後になって、イエスが宮で教師たちの真ん中に座って、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 慌てふためき、必死に探すような時

12歳の息子が突然いなくなってしまうという場面には遭遇しないかもしれませんが、
イエスの両親のように、私たちが慌てふためき、後悔し、苦しむような時はあるかもしれません。
その後、必死に探して、思いがけない形で解決に至ることがあるかもしれません。
思いも寄らない神様の言葉を聞いて、受け止めることができますように。
もしかしたら、私たちが見失っただけで、神様はなすべきことをなし、働き続けていたのかもしれません。

 

  1. 芯のある生き方

心配していた両親とは対照的なのが神殿で議論しているイエスです。12歳の時点で、イエスは自分の人生の芯が見えていました。
「どうしてわたしを捜されたのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当然であることを、ご存じなかったのですか。」(49節)。
天の父なる神の家である神殿にいる、もしくは天の父なる神の働きをしているということは、私にとって当然なことですとイエスは語ります。
軸のある生き方と言ったらいいでしょうか。私たちの人生にとっての中心は何でしょうか。

 

  1. すぐに理解できなくても、心に留める

「母はこれらのことをみな、心に留めておいた。」(51節)と母マリアの姿勢が書かれています。
3日間、死ぬほど心配したかもしれません。イエスを見つけた際にその心配を伝えました。
親が自分の主張をするだけでなく、子供であるイエスの言葉に耳を傾け、心に留めようとすることです。
相手の話に耳を傾けるゆとりを持っているだろうかと思うのです。
その場で理解ができないことでも、言葉や出来事を心に留めて思い巡らす。
これが母マリアが繰り返し、行っていることなのです。

 

■一緒に考えてみましょう

・今日の出来事の中で、特に関心が向いた内容は何でしょうか。なぜ、そこに関心が向いたのでしょうか。

5月

5月

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説教者:片山 信彦 兄
聖    書:マルコの福音書 5章25節~34節
気づき、探し、向き合うイエス・キリスト

25 そこに、十二年の間、長血をわずらっている女の人がいた。
26 彼女は多くの医者からひどい目にあわされて、持っている物をすべて使い果たしたが、何のかいもなく、むしろもっと悪くなっていた。
27 彼女はイエスのことを聞き、群衆とともにやって来て、うしろからイエスの衣に触れた。
28 「あの方の衣にでも触れれば、私は救われる」と思っていたからである。
29 すると、すぐに血の源が乾いて、病気が癒やされたことをからだに感じた。
30 イエスも、自分のうちから力が出て行ったことにすぐ気がつき、群衆の中で振り向いて言われた。「だれがわたしの衣にさわったのですか。」
31 すると弟子たちはイエスに言った。
「ご覧のとおり、群衆があなたに押し迫っています。それでも『だれがわたしにさわったのか』とおっしゃるのですか。」
32 しかし、イエスは周囲を見回して、だれがさわったのかを知ろうとされた。
33 彼女は自分の身に起こったことを知り、恐れおののきながら進み出て、イエスの前にひれ伏し、真実をすべて話した。
34 イエスは彼女に言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。苦しむことなく、健やかでいなさい。」

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

1.今日の箇所は、多くの群衆に囲まれたイエスの後ろからその群衆をかき分けて、でも静かに目立たない様に近づいて、
主イエスの衣(多分当時普通に着ていたと思える上着で、マタイ9:20のよれば、房が付いていた衣のようです)に触れて、
病が癒された女性の箇所です。
この個所をさっと読むと、12年も出血が止まらない婦人科系の病気を持っていた夫人が主イエスの衣に触れて病気が癒された。
主イエスには癒しの力を持った方だ、と読んでしまいます。でもこの個所にはとても深い物語があるように思います。

 

2. この女性がなぜ、主イエスの後ろから主イエスに近づいたかです。正面から出なく。
この女性は12年もの間、出血が止まらない病気で苦しんでいました。
いろいろな医者にかかったのですが医療費だけがかさみ、病気は一向に治りませんでした。
この病気のおかげで、この夫人は肉体的な痛みだけでなく、経済的にも苦しかったでしょう。
この種の病気にかかった人は、当時のユダヤ人の世界では宗教的にけがれた人と見られていたようです。
その結果、堂々と人前に出ることができない社会的にも差別される存在であったようです。
つまり、肉体的、経済的、宗教的、社会的、更には精神的にも大きな苦しみの中にいたのだと思います。
ですから、主イエスの前から来ることができなかった存在だったとのでしょう。でもこの女性は主イエスと正面から出会います。

この女性の態度や行動から、私たちは一人の存在として主イエスに触れるように進むべきこと。
主イエスと向き合う時は、自分の痛みや苦しみを隠すことなく、真実をすべて話すこと。
そうすれば、主イエスからの安心が与えられ、健やかに歩むことができる、ということを学びます。
と同時に、この女性の様に、自分は主イエスを求め、主イエスの触れるような行動をとっているだろうか、
そして何よりも恐れおののいてイエスの前にひれ伏してすべてを開け放して、
自分の真実の姿を主イエスの前にすべて出しているだろうかとも問われているようです。

 

3. この女性に対する主イエスの行動から私たちは学ぶことができます。

① 気づく:主イエスは私たちの存在に気付いてくださる方です。
決して私たちの存在を忘れることなく、私たちが主イエスに触れる時に私たちの存在気づいてくださる方です。

② 知ろうとする:そして私たちの持っている痛みや苦しみを深く知ろうとされる方です。
決して群衆として大勢のまとまりの中にいる人として見るのではなく、群衆の中から一人の人として知ろうとされる方です。
共同訳聖書では、「見つけようと」とあり、私たちを深く知ろうとして、私たちを一人の存在として探してくださる方です。

③ 向き合う:自分の前に出てきたこの女性と一対一で向き合い、その話を聞いてくださる方です。

④ 信仰に感動して、安心させる:そして、この女性の信仰に感動して、大丈夫ですよと声をかけ、安心させてくださる方。
安心させるような言動・行動をとってくださる方です。この主イエスが私たちに与えられている幸いを感謝します!

 

4. しかし、自分は何と人や物事に気づきにくい、鈍い存在なのだろうかとも思いますまた気づいても、
より深く知ろうとしているか、周りの人や出来事にしっかり向き合っているだろうか、
向き合っても安心を与えるような行動をしているだろうか、とも問われているようです。

主イエスに触れさせてくださいと主イエスを求め、主イエスと同じように、
気づき、向き合い、何らかの行動をとれる者とさせてくださいと祈りたいと思います。

4月

4月

受難週、イースター

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説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ルカの福音書 1章3節
外国人から見たイエス

 

私も、すべてのことを初めから綿密に調べていますから、尊敬するテオフィロ様、あなたのために、順序立てて書いて差し上げるのがよいと思います。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. ルカだから伝えられる人がいた

ギリシャ語が流暢に扱えるルカだからこそ、ギリシャ人に向けた福音書を書くことができました。
ルカも自分の使命を理解していたでしょう。例えば、マタイの使命はユダヤ人クリスチャンに待ち望んでいた救い主キリストはイエスだと伝えることでした。
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ。ここにも「でこぼこがいい」の精神が見てとれます。
それぞれの背景が違う4つの福音書が残され、4人の視点を通して、イエスの福音の豊かさを受け取ることができるのです。

 

  1. 「神の友」となって一緒に読もう

「尊敬するテオフィロ様」という言葉遣いから、地位の高い人に向けた文章だということがわかります。
テオフィロという名前は、「神の友」という意味です。ただ、このテオフィロという人が本名なのかどうかは、学者の間でも意見が分かれます。
大事なことは、テオフィロという人に向けて書くという形を取ることで、当時のギリシャの背景を持った人たちが違和感なく、
イエス・キリストの記録を読み始めることができたということです。私たちも神の友となって一緒に読んでいきましょう。

 

  1. イエスの足元に座るような気持ちで

ルカは「私たちの間で成し遂げられた事柄について」と書き始めました。
この福音書は「私たち」の物語です。信仰を持つことは個人的な決断ですが、信仰は共同体の中で養われていきます。
礼拝の中で、私のことだけ考えるのではなく、一緒に神の前に、神の光に照らされる経験をしていくことを願っています。
テオフィロになって、すでに知っていることもあるでしょうが、ルカの福音書を通して、よりイエス様に近づくことができるように、
イエスの足元に座るような気持ちで、福音書に耳を傾けていきたいと願っています。

 

■一緒に考えてみましょう

  • 3節の最後の「思います」という意味は、自分の考えを述べているというより、聖霊に促されたことを感じるときにルカが使う言葉です。
    聖霊の促しをどのような時に感じるでしょうか。

3月

3月

聖書全体から恵みの福音を

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説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ヨハネの黙示録  22章20-21節
聖書の最後は恵みを祈る

 

20  これらのことを証しする方が言われる。
「しかり、わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。
21  主イエスの恵みが、すべての者とともにありますように。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 人生の危機でも信仰を告白する

イエスは必ず来る。その約束を受けて、アーメン、主イエスよ、来てください。と応答する。
黙示録は信仰が危機にさらされる時があることを思い起こしてくれます。
信仰が危機にさらされているような中で、なお、私はあなたを待ち望みます。
あなたこそ、私の救いです。と告白してきた信仰の先輩たちの背中を心して見たいと思うのです。
人生の難しさが私たちの信仰の中にある不純物を表に出し、神によって、ますます信仰が磨かれ、輝くことがあると教えていただきたいと思います。

 

  1. 恵みの福音:すべての人のために

主イエスの恵みは、クリスチャンの土台です。神の恵みが私たちをイエス・キリストに近づけていきます。
私たちに尽きることのない、渇くことのない命の水をくれます。
ですが、主イエスの恵みは、クリスチャンのためだけではありません。
まだイエス・キリストに出会っていない人のために恵みはあるのです。
この聖書の最後の祈りは、教会がどういう場所であるのかを思い起こさせてくれます。
教会はクリスチャンを支えます。それだけでなく、まだキリストに出会っていない人に常に開かれている場所なのです。

 

  1. 「でこぼこがいい」の土台作りの1年目

この1年間は聖書全体を読み、ざっくりとした聖書の流れを確認しながら、
いつの時代にも神の恵みが豊かに注がれていることを味わえたらと願ってきました。
どの時代も神が一緒にいてくださること。
それが何より大切なことでした。幕屋、神殿、イエス・キリスト、聖霊と、どの時代も神ご自身が一緒にいてくださいます。
この神の現実を、この地で見ることができるように、信仰の目が開かれ、恵みを見せてくださいと祈ることを土台としたいと思います。

 

■一緒に考えてみましょう

  • 私の信仰告白として、20節をゆっくり読み、味わってみましょう。どう感じるでしょうか。
  • この1年を通して、「でこぼこがいい」を感じたことはあったか振り返ってみましょう。

2月

2月

聖書全体から恵みの福音を

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説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ペテロの手紙第一  2章11-12節
旅人になろう

 

11  愛する者たち、私は勧めます。あなたがたは旅人、寄留者なのですから、たましいに戦いを挑む肉の欲を避けなさい。
12 異邦人の中にあって立派にふるまいなさい。そうすれば、彼らがあなたがたを悪人呼ばわりしていても、
あなたがたの立派な行いを目にして、神の訪れの日に神をあがめるようになります。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 旅人としてこの世界で生きる

信仰の父、アブラハムに始まり、神の民はエジプトでの生活やバビロンでの生活など、旅人・寄留者として長く暮らしてきました。
また、神の民という立場は、この世の民ではなく、神の国の市民を意味しました。
この世界の中で、神の祝福のパートナーになるために、まず言われるのが、肉の欲を避けることでした。
私たちの内側が神に似せられ、外側・行動が変化し、異邦人の中で、立派に生きることができるのです。
理解されず悪人呼ばわりされ続けることもありますが、その生き方を続けることで、神をあがめるように周りの人は変わっていきます。

 

  1. 信仰の旅の歩き方

信仰の旅とは、継続的な応答です。私たちが神を愛したのではなく、神がまず私たちを愛してくださるのです。
神の恵みがいつも先にあります。私たちは神の恵みを探し、神に応答するのです。
神の恵みは私たちをイエス・キリストに似せていきます。
聖霊の働きによって、神の導きを受けて、神の風を見つけ、応答していくのです。
そのために信仰の共同体は不可欠です。そしてこの世界に遣わされていくのです。

 

  1. 恵みの福音:でこぼこがいいを個人、教会、社会に

一人一人が個人的に神に信仰を告白することは大切ですが、信仰の成長のために共同体は欠かせません。
お互いに愛し合いなさいというイエス様の命令は、でこぼこな私たちの間に、
イエスの愛が表されることを信じ、期待し、諦めないで求め続けることなのです。
このように教会はキリストの体として建て上げられていくとともに、教会のためだけでなく、
福音を伝えるために、この世界のために旅人として、遣わされていくのです。

 

■一緒に考えてみましょう

  • 旅人・寄留者のような、肩身の狭いような部外者のような体験を思い出してみましょう。
  • 信仰の旅の歩き方を読んで、印象に残る部分はあるでしょうか。

1月

1月

連合主題聖句2022

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説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ヨハネの福音書 4章23-24節
礼拝する心

 

23  しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。
今がその時です。父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。
24 神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 御霊に敏感になることが不可欠

御霊について理解を深めるためにヨハネ3章8節のニコデモとの対話を紹介します。
風は思いのまま吹きます。風がどこから吹いてくるのか分からないように、人は神をコントロールすることはできません。
私たちがすべきことは、風を感じることです。神の働きに敏感になることです。
神の働くスペースを作ると表現することがありますが、どこに神様の風が吹いているだろうかと私たちが意識を向ける。
これが御霊によって礼拝する人の特徴です。

 

  1. 礼拝は場所に縛られない

神は霊ですから、物質が大事なわけではありません。場所に縛られることもありません。
先週、イエスが神殿です。イエス・キリストこそ、この世界の罪を取り除くための子羊として十字架で死なれた方であり、
大祭司として私たちの祈りを神に執り成してくださるお方です。
イエスが神殿であるなら、イエスがいるところこそ、私たちの礼拝する場所です。
それはどこか。イエスがご自分の代わりに遣わされた真理の御霊がいるところです。

 

  1. 恵みの福音:聖霊によって礼拝する

まことの礼拝者とは、聖霊によって礼拝を献げる人たちのことです。聖霊に導かれることを待ち望む人たちです。
私たちの礼拝は、常に一歩先を歩いてくれている神の働きに注意を向けることです。
今、イエスはどこにいるでしょうか。イエスは聖霊を通して、至るところにいてくださいます。
礼拝とは日曜日に教会ですることであり、また真理の御霊が私の生き方を導かれルナら、私たちの日々の生活が神への礼拝になるのです。

 

■一緒に考えてみましょう

  • アドベントの時期に、マリアの祈りに注目しました。神のなさることを受け入れ、みこころがなりますようにとの祈りを礼拝者として今日、神の前に献げたいものです。
  • 礼拝に聖霊の導きは欠かせません。どのようにして、聖霊の導きを見極め、従っていくことができるでしょうか。自分に合ったやり方を見つけているでしょうか。よく分からないと思ったら正直にイエス様に相談してみましょう。

12月

12月

聖書全体から教会の使命を

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ルカの福音書 2章22-24節
富めるときも、貧しいときも

 

22  そして、モーセの律法による彼らのきよめの期間が満ちたとき、両親は幼子をエルサレムに連れて行った。
23それは、主の律法に「最初に胎を開く男子はみな、主のために聖別された者と呼ばれる」と書いてあるとおり、幼子を主に献げるためであった。
24また、主の律法に「山鳩一つがい、あるいは家鳩のひな二羽」と言われていることにしたがって、いけにえを献げるためであった。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 裕福な家に生まれたわけではなかった

ヨセフとマリアは24節にあるように「山鳩一つがい、あるいは二羽の家鳩」を献げたと書いてあります。
当時の習慣を知っている人はこのルールの前には「もし羊を買う余裕がなければ」という言葉が入っているのを知っていました。
二羽の山鳩か、二羽の家鳩のひなを献げる人、羊を買う余裕のない人でした。
つまり、イエスは経済的に豊かな家に生まれたわけではなかったというが分かります。
もしお金が幸せの絶対条件だったら神様はイエスをこのような家に生まれさせなかったでしょう。

 

  1. 1年の最後に、私の願いを問い直そう

「健康や病気、富や貧しさ、成功や失敗、長生きや短命などに望みを託してはいけません。
すべてのものは、神との永遠の生活に対するより愛に満ちた反応を、私たちの中に呼び起こす可能性を持っているからです。
私たちの唯一の願い、そして唯一の選択はこうでなければなりません。
私は、私の中での神の深まる命に、より良くつながるものを望み、それを選ぶのです。」
(イグナチオ・ロヨラ『霊操』
Translation by David L. Fleming, SJ, in Draw Me into Your Friendship: The Spiritual Exercises—A Literal Translation and a Contemporary Reading

 

  1. 恵みの福音:今、ここで恵みを味わう

パウロも言いました。
「乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました。」(ピリピ4:11)
私たちがこの社会の中で神の価値観を生きることができますように。
何に目を向け、何から解放されるべきでしょうか。私たちの現実は決して恵みだけでも罪だけでもありません。
イエス様はこの現実に暗闇を照らす光として来てくださいます。
イエス様を私たちはこの場所に、今いるところにお迎えしたいのです。

 

■一緒に考えてみましょう

  • 私のうちにある正直な思いを神様の前に祈ることができます。神様はそれをちゃんと聞いてくださいます。
    まず安心、安全な神様の前で正直に祈りましょう。
  • 「健康や病気、富や貧しさ、成功や失敗、長生きや短命」それぞれの中に神の恵みを見つけることができるでしょうか。

11月

11月

聖書全体から教会の使命を

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:詩篇 61篇1節
耳を傾けてもらう体験を

 

神よ 私の叫びを聞き
私の祈りに耳を傾けてください。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 耳を傾けてもらう体験

聖書の神様は私たち一人一人の存在に注意を向け、愛を持って、関わってくださるお方なので
「神よ 私の叫びを聞き 私の祈りに耳を傾けてください。」と私たちも祈ることができます。
「私の叫びを聞いてください」と、神様の前に大胆に祈りを捧げたいと思います。
当たり障りのない会話ではなくて、一番、気になっていることを話す時間を取っているでしょうか。
人には言えないと思うようなことでも、絶対に秘密を守り、安全な空間を作ってくださる神様に打ち明けることができます。

 

  1. 耳を傾ける体験

交わりの中でひとりがほかの人に負っている第一の奉仕は、<その人の言葉に深く耳を傾ける>ということにおいて成り立つ。
神への愛は私たちが神の言葉を聞くことから始まるように、兄弟への愛の始まりは私たちが兄弟の言葉を聞くことになることである。
神が私たちにその言葉を与えて下さるだけでなく、私たちにその耳をも貸して下さるということは、私たちに対する神の愛である。
だから、もし私たちが兄弟の言葉に傾聴することを学ぶなら、私たちが兄弟に対してしていることは神のわざである。
ボンヘッファー著『共に生きる生活』より

 

  1. 恵みの福音:神は耳を傾けてくださる

神様に耳を傾けてもらう体験を通して、神様の愛に触れることができますように。
この神様の御前は、安心・安全な場所です。私たちが重荷を安心して下ろすことができますように。
同時に、多くの人たちが聞いてくれる耳を求めています。
神様が聞いてくださるように、聞く耳を差し出すことができますように。

 

■一緒に考えてみましょう

  • 神様と話すべきことを話しているかなと問いかけることは大切です。当たり障りのない会話ではなく、
    本当に大事なこと、1番聞いてもらいたいことを神様の前に差し出しているだろうかと振り返ってみましょう。

10月

10月

聖書全体から教会の使命を

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ハガイ書1章1-2節
いつやるの?

 

1 ダレイオス王の第二年、第六の月の一日に、預言者ハガイを通して、シェアルティエルの子、ユダの総督ゼルバベルと、
エホツァダクの子、大祭司ヨシュアに、主のことばがあった。
2 万軍の主はこう言われる。「この民は『時はまだ来ていない。主の宮を建てる時は』と言っている。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

1. 時はまだ来ていない、主の宮を建てる時は
ハガイが語り始めたとき、人々は主の神殿を再建する時はまだ来ていないと思っていました。
実際、自分たちの生活の基盤は十分に整っていませんでした。
前回、見たように神殿を作ることを邪魔する人たちもいました。
もう少し、状況が落ち着いてから、ゆとりができたら、主の宮を建てようと考えていました。
そうこうするうちに、16,7 年の年月が過ぎました。

2. あなたがたの歩みをよく考えよ
これが今日、私たちへの神様からの問いかけです。
「あなた方の歩みを注意深く考えなさい。人生における優先順位をもう 1 度考えてみなさい。」誰が私たちを満たすのでしょうか。
何が私たちの奥深くに安心を与えるのでしょうか。
神ご自身が私たちを誰よりも心配し、誰よりも気にかけ、誰よりも待ち望んでくださっているお方です。
必死に生きていても、何か満たされない。足りない。
もし、そうだとしたら、「あなたは神をないがしろにしていないか」という聖なる問いかけがされています。
私たちを陥れる問いかけではありません。これは私たちを救いに導く聖なる問いかけです。

3. 恵みの福音:心配しなくていい、わたしが共にいる
一生懸命、私たちは生きています。ベストを尽くし、限界を越えるまでがんばっても、うまくいかないことがあります。
知らず知らずのうちに、そんなつもりはなくても神を後回しにしていることがあるかもしれません。
今日、心に留めたいことは、神は私たちを招いてくださるということです。
「そのままでいいから、私のところに来なさい。私があなたを満たす。
私があなたの神だから。私があなたと共にいる。だから、何も心配しなくていい。」

■小グループで分かち合うヒント
● 一緒にいるから心配しなくていいと言ってくださる神の前で、「あなたがたの歩みをよく考えよ」という神からの問いかけを振り返ってみましょう。
● 後回しにしていたけど、今取りかかるように神様に招かれていることはあるでしょうか

9月

9月

聖書全体から教会の使命を

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説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ダニエル書 6章20節
救いを目撃した異国の王

 

20  その穴に近づくと、王はダニエルに悲痛な声で呼びかけ、こうダニエルに言った。
「生ける神のしもべダニエルよ。おまえがいつも仕えている神は、おまえを獅子から救うことができたか。」

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 異国の王の口に「生ける神」という言葉が

「生ける神」という言葉は、聖書では、イスラエル人の口から語られるものです。
ダニエルを近くで見ていたペルシャの王様は、ダニエルの神のことを知っていて、「生ける神」にいつも、王自ら語ることができたのでしょう。
それほどダニエルの信仰は筋が通っていて、国の全てを握っている異国の王にも伝わっていました。
神に仕え、人に仕えるダニエルは、悪事を考えることはなく、王に対しても、国に対しても、
誠実に、忠実に働いてきたことが王にも伝わっていたことでしょう。

 

  1. 恵みの福音:神への忠誠が人との関係に

ダニエルの場合、優先順位がはっきりしていました。神が第一。
日に3度の祈りを止めなかったように、神への信仰は決して譲りませんでした。
しかし、王への忠誠がないのかといえば、そういうわけでもありませんでした。
神に忠誠を誓うように、王への忠誠を誓っていました。
どちらかと問われれば、堂々と神を選ぶでしょうが、それは人に対して誠実に仕えることを妨げることはないし、
むしろ、神との確かな関係があればこそ、ダニエルは敵対者に訴える口実を何も与えなかったのです(6:4)。

 

  1. ダニエルから励ましを受け取ろう

このダニエルの姿勢に、日本で暮らすクリスチャンは大いに励ましを受けることができると思います。
自分だけがクリスチャンで周りは理解がないとしても、私たち一人一人が神様と繋がっていることによって、
神への忠実さや誠実さを養うなら、家族に対して、会社に対して、本当の意味で、裏切ることなく、
愛し、仕えることができるようになるということがダニエルの生き方からわかります。

 

■一緒に考えてみましょう

  • 信仰が理解されない場面は、日本で生活していると少なからずあるでしょう。今まで、どのような葛藤を覚えてきたでしょうか。
  • 全ての人に理解されることは難しいですが、筋の通った信仰を見て、神の救いを目撃する人もきっと出てくるでしょう。
    どんな証を聞いたことがありますか。

礼拝の時間

grade

第一礼拝

10:00-10:30

ピアノとベース
現代的な曲も

第二礼拝

11:10-11:40

パイプオルガン
伝統的な曲が中心

子ども礼拝

10:50-11:20

赤ちゃんから小学校6年生まで
保護者の方も

礼拝に来た人

grade
50
第一礼拝
29
第二礼拝
20
子ども礼拝

7月31日の出席者

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少しでも不安がありましたら、お問い合わせください。
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