聖書からのメッセージ

世界中で最も読まれている書物『聖書』から、人生の真理を思い巡らします。
第一礼拝・第二礼拝は同じメッセージです。

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10月

10月

余白のある生活

月 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12
2019/10/13

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:マルコの福音書  12章28-34節
常識に縛られない

28  律法学者の一人が来て、彼らが議論するのを聞いていたが、イエスが見事に答えられたのを見て、イエスに尋ねた。
「すべての中で、どれが第一の戒めですか。」
29  イエスは答えられた。「第一の戒めはこれです。『聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。
30  あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』
31  第二の戒めはこれです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。』これらよりも重要な命令は、ほかにありません。」
32  律法学者はイエスに言った。
「先生、そのとおりです。主は唯一であって、そのほかに主はいない、とあなたが言われたことは、まさにそのとおりです。
33  そして、心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛すること、また、隣人を自分自身のように愛することは、
どんな全焼のささげ物やいけにえよりもはるかにすぐれています。」
34  イエスは、彼が賢く答えたのを見て言われた。「あなたは神の国から遠くない。」それから後は、だれもイエスにあえて尋ねる者はいなかった。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 「シェマ」と呼ばれる信仰の基礎

ユダヤ人が朝と夜、皆がこの言葉を毎日祈っていたのがシェマ。
申命記6:4は「聞け、イスラエルよ」と始まりますが、
最初の単語が「聞け」という意味のヘブル語シェマなので、この信仰告白をシェマと呼びます。
シェマとして祈るのは、申命記6:4-9,11:13-21, 民数記15:37-41の3箇所だったと言われます。
本当に大事なことが書かれている部分と言われるのも納得です。
毎日、朝夕に信仰を告白し、自分たちの生活は神によって支えられ、守られていることを思い出していたのでしょう。

「シェマの全文」

申命記6:4-9
6:4聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。
5  あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
6  私が今日あなたに命じるこれらのことばを心にとどめなさい。
7  これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。
あなたが家で座っているときも道を歩くときも、寝るときも起きるときも、これを彼らに語りなさい。
8  これをしるしとして自分の手に結び付け、記章として額の上に置きなさい。
9  これをあなたの家の戸口の柱と門に書き記しなさい。

申命記11:13-21
11:13もしわたしが今日あなたがたに命じる命令、すなわち、あなたがたの神、主を愛し、
心を尽くし、いのちを尽くして仕えよという命令に、あなたがたが確かに聞き従うなら、
14  わたしは時にかなって、あなたがたの地に雨、初めの雨と後の雨をもたらす。
あなたは穀物と新しいぶどう酒と油を集めることができる。
15  また、わたしはあなたの家畜のため野に草を与える。あなたは食べて満ち足りる。
16  気をつけなさい。あなたがたの心が惑わされ横道に外れて、ほかの神々に仕え、それを拝むことのないように。
17  そうでないと、主の怒りがあなたがたに向かって燃え上がり、主が天を閉ざし、雨は降らず、地はその産物を出さなくなる。
こうしてあなたがたは、主が与えようとしているその良い地から、たちまち滅び去ることになる。
18  あなたがたは、わたしのこのことばを心とたましいに刻み、それをしるしとして手に結び付け、記章として額の上に置きなさい。
19  それをあなたがたの子どもたちに教えなさい。
あなたが家に座っているときも道を歩くときも、寝るときも起きるときも、これを彼らに語りなさい。
20  これをあなたの家の戸口の柱と門に書き記しなさい。
21  それは、主があなたがたの父祖たちに与えると誓った地で、あなたがたの日数とあなたがたの子孫の日数が、
天が地の上にある日数のように多くなるためである。

民数記15:37-41
15:37主はモーセに告げられた。
38  「イスラエルの子らに告げて、彼らが代々にわたり、衣服の裾の四隅に房を作り、その隅の房に青いひもを付けるように言え。
39  その房はあなたがたのためであって、あなたがたがそれを見て、主のすべての命令を思い起こしてそれを行うためであり、
淫らなことをする自分の心と目の欲にしたがって、さまよい歩くことのないようにするためである。
40  こうしてあなたがたが、わたしのすべての命令を思い起こして、これを行い、あなたがたの神に対して聖なる者となるためである。
41  わたしが、あなたがたの神、主であり、わたしがあなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から導き出したのである。
わたしはあなたがたの神、主である。」

 

  1. 全焼のささげ物の重要性と形骸化

レビ記の初めに記されている「全焼のささげ物」の規定。全部を焼き尽くす、つまり捧げる側の人間の気持ちとして、
私の全てを神の前に捧げますという献身の思いが込められています。
自らが育てた大切な家畜を身代わりに殺す。命の重さ、聖い神の厳粛さを実感する時です。
しかし、次第に全焼のささげ物が形骸化してしまったのです。
神との関わりを真剣に考えることなく、形式的にささげ物をするが、神に信頼せず自分勝手に生きる人が出てきました。

 

  1. そして、これ以上ないささげ物としての十字架

新約聖書記者は、イエスの十字架の死を「ささげ物」と理解します。
例えばヘブル9:12-15によれば、イエスの十字架で流された血によって、
永遠の贖い(罪の赦し、罪からの解放、罪の身代わり、救い)がなされたと主張します。
「キリストが傷のないご自分を、とこしえの御霊によって神にお献げになったその血は、
どれだけ私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者にすることでしょうか。」(9:15)
このように備えられた神に仕える生き方こそ、神を愛し、人を愛する生き方そのものです。

 

■一緒に考えてみましょう

  • 自分の信仰は形骸化してないでしょうか。どういうことに気をつけたらいいでしょうか。
2019/10/6

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:マタイの福音書  22章34-40節
聖書で最も重要な教え

34  パリサイ人たちはイエスがサドカイ人たちを黙らせたと聞いて、一緒に集まった。
35  そして彼らのうちの一人、律法の専門家がイエスを試そうとして尋ねた。
36  「先生、律法の中でどの戒めが一番重要ですか。」
37  イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』
38  これが、重要な第一の戒めです。
39  『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。
40  この二つの戒めに律法と預言者の全体がかかっているのです。」

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 悪意の試みが神の目的に転じる

「あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。」(創世記50:20)という言葉を思い起こします。
律法の専門家はイエスを試しましたがイエスはこの試みを神の目的のために用いました。
私たちは誰かに悪意を向けられることは、避けたいなと思います。
ですが、試みは私たちの人生には付きもので、神はそれを神の目的のために、聖めることができるんだと知っていることは大きな助けになります。

 

  1. 第一の戒め:主を愛する

申命記6:5の引用です。「主」とは聖書の神の固有名詞で、イスラエルと契約を結ばれた名前です。
例えば、「あなたを決して見放さず、あなたを見捨てない」これは契約の1つです。
この神を愛すると言われるのですが、契約を結ぶ前に、私たちはどこかで神と出会わなければなりません。
この神との出会いが決定的に重要です。イスラエル民族でしたら、エジプトの奴隷状態からの解放、救世主として神と出会いました。
新約の時代それはイエスを通してです。イエスの愛を体験した。これが主を愛する動機になります。

 

  1. 第二の戒め:人を愛する

レビ記19:18の言葉です。レビ記には、契約を結んだイスラエルが神様らしさを身に付けるために、どこに気をつけるべきかが記されています。

19:18の文脈は、「心の中で兄弟を憎んではいけない。復讐してはいけない。恨んじゃダメだよ。
そうではなく、あなたの隣人を愛しなさい。自分自身のようにね。なぜなら、これを命じる私のことを思い出してみなさい。
あなたを愛し、あなたを見捨てない神なんだから。」ということが述べられています。

つまり、神から受けた愛で、周りの人を愛することが教えられています。

 

■一緒に考えてみましょう

  • 「神を愛し、人を愛する」という生き方をするとは、具体的に今の私にとってはどういう生活をすることになるでしょうか。

9月

9月

余白のある生活

月 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12
2019/9/29

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:イザヤ書  58章13-14節
私も周りもハッピーな人生

13 もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、わたしの聖日に自分の好むことをせず、
安息日を『喜びの日』と呼び、主の聖日を『栄えある日』と呼び、
これを尊んで、自分の道を行かず、自分の好むことを求めず、無駄口を慎むなら、

14 そのとき、あなたは主をあなたの喜びとする。
わたしはあなたに地の高い所を踏み行かせ、あなたの父ヤコブのゆずりの地であなたを養う。
──主の御口がそう語られる。」

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 余白を持つことで恵みがわかる

私たちから周りへ恵みが溢れていきます。ぶどうの木の例えで言うならば、私たちは豊かな実を結ぶことになります。
美味しい実だったら、それを食べた人が笑顔になります。周りに幸せが広がっていくということです。
神からの恵みなので、栄光を神にお返しすることができます。
ただ、余白がないと、クリスチャンでも、気づかないで、素通りしてしまいます。だから、生活に余白を持ちたいのです。
神からの恵みが私たちを潤していることに気づきたいのです。

 

  1. 余白の1つとしての安息日

安息日は恵みのリズムの1つです。神を思い、立ち止まる。
なぜなら、私たちを中心に世界が回っているのではなく、私たちは神によって作られた存在だということを思い起こためです。
ですが、神の前に立ち止まる事よりも、優先したい事があるように思える。そういう葛藤が起こります。
葛藤があることが悪いのではありません。そういう時に、自分の心を見つめ、整理し直し、自分の生活を確認するのです。
安息日を守ることで、神を心から喜びとする意味がわかってきます。
神に守られ、祝福される事を体験できます。余白のある生活の一場面です。

 

  1. 私にぴったりの生活習慣

家庭礼拝を始める事で生活に変化が出たという人がいます。寝る前の過ごし方を変えた事で、ゆっくり眠れるようになった人がいます。
ぴったりくる習慣は人によって違います。安心、安全な場所で、神に心を開きましょう。
助けとなる習慣を身につけることによって、私たちの生活を生き生きとさせる神の恵みを味わう事ができます。
神の恵みは私たちの生活を潤します。そして、私たちの生活に留まらず、私たちの周りに流れ出し、この世界を祝福するのです。

 

■一緒に考えてみましょう

  • 今の私にぴったりの信仰を成長させてくれる生活習慣は何でしょうか?
  • あの人のこういう姿を見ると、「素敵だな」と思うという具体的な姿を思いつくでしょうか?
2019/9/22

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ローマ人への手紙  12章3-8節
ないものはない

3 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがた一人ひとりに言います。思うべき限度を超えて思い上がってはいけません。
むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深く考えなさい。
4  一つのからだには多くの器官があり、しかも、すべての器官が同じ働きをしてはいないように、
5  大勢いる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、一人ひとりは互いに器官なのです。
6  私たちは、与えられた恵みにしたがって、異なる賜物を持っているので、それが預言であれば、その信仰に応じて預言し、
7  奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教え、
8  勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれを行いなさい。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 思い上がり/過小評価 を避ける秘訣

思い上がり相手を下に見ることと、自分を低く見積もることは正反対のように見えますが、本質的には同じことです。
信仰の量りに応じた恵み受け取ることができてない。人と比べて、上だとか下だとかやってしまう。しかも教会の中です。
それはローマ教会だけの課題ではなく、私たちにも通じます。あなたがまず、神様に与えられた恵みを十分に受け取りましょう。
神様は私たちに恵みをぴったり与えてくれるので、これで十分、いや十二分だなと思えます。

 

  1. 多様性を良いものと受け止める

私たちは違っていていいのです。個性はあった方がいいのです。皆が同じ働きをするわけではありません。
多様性が認められている、これが教会の本質です。
ただし、あまりにも個性が豊かだとまとまるのが大変だったというのがローマ教会でした。
ユダヤ人とギリシャ人が一緒にやるのは難しいことでした。まとめるのが難しいから個性を否定するのでしょうか。
それは違います。まとまる点を明確にすることです。「キリストにあって1つ」。
これが何よりも大事です。私たちの違いが魅力的になるのは、キリストのうちで一致するときです。

 

  1. 人生の季節も賜物

私たちの人生の季節は、それが何であれ、私たちの内にキリストが形作られる助けになります。
人生のすべての季節、いつでも、意味があり、美しさがあります。
もちろん、好きな季節、嫌いな季節はあるかもしれません。ですが、その季節ならではの楽しみがあるはずです。
せっかくなら、楽しみ、味わいたいものです。
あなたが人生のどんな季節にいても、あなたはそれを好もうと好まないとに関わらず、神様が備えてくれた人生の季節の過ごし方があります。
そこで信仰を深めることができるのです。

 

■一緒に考えてみましょう

  • 多様性(違い)があってよかったなと思う出来事や経験を思い出してみましょう。
  • 私の人生の季節はいつだと思いますか?
2019/9/15

説教者:渋谷 昌史 伝道師
聖    書:テサロニケ人への手紙第一4章9-12節
落ち着いた生活を送るために

9.兄弟愛については、あなたがたに書き送る必要がありません。あなたがたこそ、互いに愛し合うことを神から教えられた人たちで、
10.マケドニア全土のすべての兄弟たちに対して、それを実行しているからです。兄弟たち、あなたがたに勧めます。ますます豊かにそれを行いなさい。
11.また、私たちが命じたように、落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くことを名誉としなさい。
12.外の人々に対して品位をもって歩み、だれの世話にもならずに生活するためです。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

1.愛こそ「神の国」に生きる私たちの要

できたばかりテサロニケの教会は、迫害の危機にさらされながらも、パウロが伝えた福音に生き、
そこからキリストの愛が広まりつつあったことが伺えます(9節、10節)。凄いことですよね!
パウロはテサロニケの教会の人々にむけて、兄弟愛については、あなたがたに書き送る必要がありません、と書いているのです。
神から人への愛は完全な愛ですが、人から神への愛、人から人への愛は不完全な愛です。
だからパウロは兄弟愛を実践しているテサロニケの信徒たちに、「ますます豊かに互いに愛し合いなさい」と勧めるのです。
実は、この生き方こそ、私たちにとってもこの世界にイエスがもたらした「神の国」を生きるための要となる生き方なのです。

 

2.今に焦点を合わせる生き方

しかしテサロニケの教会に問題がなかったわけではありません。パウロはここで日常生活についての戒めも記しているのです。
私たちクリスチャンにとっての日常生活とはキリストを模範とするみことばに生きる生活です。
その生活に身を置くと、「今」イエスが共におられ、そのイエスが「過去」の解釈を変え、
「未来」においては、新天新地においてリアルに主と共に生活できることが約束されている、ということを心に留めることができます。
聖書の物語の中に自分の身を委ねられるようなれば、私たちの生活は、自然と「落ち着いた生活」になるのではないでしょうか?

 

3.心の思いが態度になって現れる

12節では、パウロが11節で語った日常生活の戒めについての目的が二つ述べられています。一つは、外の人々に対して品位をもって歩む、ということです。私たちの心と身体は密接に連動しているから心の思いが態度に現れます。迫害にあいながらも、落ち着いた生活を送ることのできたパウロは、主のみこころを第一とする生き方を貫き、自分の振る舞いがいかに周りに影響を与えるかということを常に考えていたことでしょう。もう一つは、だれの世話にもならずに生活する、ということです。日々の務めに忠実であるなら、私たちの必要をすべてご存じの神さまが満たして下さるのです。

 

■一緒に考えてみましょう

  • 自分の日常生活を顧みて、今の自分は主と共にどのような霊的生活を送りたいかということを考え、話せる範囲で、自由に分かち合いましょう。
2019/9/8

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ペテロの手紙第二  1章10節
聖書が教える努力とは

10 ですから、兄弟たち。自分たちの召しと選びを確かなものとするように、いっそう励みなさい。
これらのことを行っているなら、決してつまずくことはありません。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 聖書の約束する将来像にワクワクしたい

聖書の約束にワクワクしたいし、魅了されたいというのが今日の大事なポイントの1つです。
ここは本当に大事だなと思っていて「教会ってワクワクするよね」「何か温かい雰囲気があるよね」人によって表現の仕方は違っても、
神様らしさがど真ん中にある教会でありたいなと思います。
聖書の神様が私たちを魅了できないわけがないです。
もし、神様に魅力を感じていないなら、その読み方、生活の仕方、何かズレている可能性があると思うのです。

 

  1. 努力・熱意を傾けるのはここ

神に信頼するところから始まります。神らしさを少しずつ身近なところで見せてもらいましょう。
私たちが体験しましょう。だんだんと自分の欲望をコントロールできるようになります。
自制できるようになります。決して動揺するような事柄がなくなるわけではありません。
動揺する事態に直面しても、神への信頼が揺るがないようになります。
そういう経験を重ねると神を敬う心が増し加わり、神を愛するように、人を愛することができるようになってきます。
まずは教会の中から。そして教会の外へ。神の愛は広がっていきます。

 

  1. さあ、やってみよう

神様はワクワクする将来像を約束してくれました。でも、進んでいくのは私自身です。
ここは強制ではありません。私たちは、自分の意思で従っていくのです。この相互作用を神様は楽しみにしています。
パートナーとして神様は一緒にいてくれますから、安心して私たちは努力をしましょう。
私たちそれぞれにぴったりの生活場所、生活習慣があるはずです。
ワクワクさせてもらい、約束に魅了され、自分の精一杯の熱意を傾け生活すると、実際変わってきます。

 

■一緒に考えてみましょう

  • 私は実際、神の約束に心踊っているだろうか、期待しているだろうか?
  • 最近の私が努力、熱意を傾けたらいいことは、何だろうか?
2019/9/1

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:テサロニケ人への手紙第二  1章11-12節
私専用の神様プラン

11 こうしたことのため、私たちはいつも、あなたがたのために祈っています。
どうか私たちの神が、あなたがたを召しにふさわしい者にし、
また御力によって、善を求めるあらゆる願いと、信仰から出た働きを実現してくださいますように。

12  それは、私たちの神であり主であるイエス・キリストの恵みによって、私たちの主イエスの名があなたがたの間であがめられ、
あなたがたも主にあって栄光を受けるためです。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 若い教会を支えた2つの祈り

テサロニケ教会は若い教会です。彼らの信仰を支えたパウロたちの祈りがありました。
1つは召しにふさわしく!もう1つは、内側の思いが神と重なり、外に出る行動が信仰に基づくものに!という祈りでした。
召しとは、神の子どもになりなさいという呼びかけであり、神の子どもとして神らしさを映し出す生活をしなさいということです。
神に信頼しないと到底私にはできそうにないというレベルの要求を受けることもあるからこそ、祈りのサポートは必須です。

 

  1. 「栄光は神にのみ、ふさわしい」のですが

神が栄光を受ける。これは神にふさわしいことなので、聖書の記述としては自然なことです。
ここでびっくりするのは、神の働きをしている私たちも神の中で栄光を受けると書かれた部分です。
栄光は神にお返しするものですし、神だけが栄光を受けるにふさわしいのですが、
神の働きをしているあなたも、栄光を受けなさいと言われているのです。
身に余る光栄とは、こういうときに使うのでしょう。
そして、この栄光も主イエスの恵みに応じていただくのです。

 

  1. 練馬教会で聖書の追体験を

テサロニケ教会に宛てた手紙が、白浜ミッショントリップに送り出した私たちの姿と重なると気づき、
私自身本当にびっくりしましたが、聖書の体験を、ここ練馬教会で追体験させてもらいたいのです。
パウロのチームが若い始まったばかりのテサロニケ教会をいつも祈り支えたように、白浜ミッショントリップも祈って支えていただきました。
若い信仰が続けて成長できるように覚えてください。
彼らへの召しを受け取り、彼らもベストを尽くし、神様の栄光を肌で感じたはずです。
特別な体験を彼らはしましたが、彼らで終わらずに広がっていくように。

 

■一緒に考えてみましょう

  • 私にぴったりの生活習慣を考え始めましょう。どこで神のあふれる恵みを感じたいでしょうか。
  • 聖書に書いてあることが、実際に私も体験したという経験があるでしょうか。思い出してみましょう。

8月

8月

余白のある生活

月 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12
2019/8/25

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ルカの福音書12章13-21節
お金に目がくらむ

13  群衆の中の一人がイエスに言った。「先生。遺産を私と分けるように、私の兄弟に言ってください。」
14  すると、イエスは彼に言われた。「いったいだれが、わたしをあなたがたの裁判官や調停人に任命したのですか。」
15  そして人々に言われた。「どんな貪欲にも気をつけ、警戒しなさい。人があり余るほど持っていても、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」
16  それからイエスは人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。
17  彼は心の中で考えた。『どうしよう。私の作物をしまっておく場所がない。』
18  そして言った。『こうしよう。私の倉を壊して、もっと大きいのを建て、私の穀物や財産はすべてそこにしまっておこう。
19  そして、自分のたましいにこう言おう。「わがたましいよ、これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ休め。食べて、飲んで、楽しめ。」』
20  しかし、神は彼に言われた。『愚か者、おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』
21  自分のために蓄えても、神に対して富まない者はこのとおりです。」

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 祈りの奥底に何があるか

一見すると、常識的な願いに聞こえるかもしれませんが、イエスは本質を見抜きました。
気づかないうちに、私たちの祈りが「貪欲」に支配されていることもあるかもしれません。
貪欲とは、神様に与えられている範囲で満足できずに、もっと、もっとほしいという心です。
満たされない心は、まだ足りないと言い続けます。本当に足りてないのでしょうか。
神様はあなたを満たしていないのでしょうか。
心にある想いは素直に祈っていいと思います。でも、私たちの祈りは常に純粋とは限りません。
むしろ、混ざり物、不純物がたくさん混ざってしまっているでしょう。
それは仕方のないことですが、不純物を取り除いてもらうことが必要です。

 

  1. 状況を生かしているか

17-19節、たった3節で「私の」という言葉を4回も使っています。
私の作物、私の蔵、私の穀物、私のたましい。自分のことばかり考えている人だったということが読み取れます。
いつも満足できず、もっと欲しいと思っている人が描かれています。
このような姿を見ながら、自分自身に問いかけたいのです。状況を生かしているか。
自分のことばかりに心が奪われていないか。
目の前のお金や財産に心が奪われていないか。
神様のスペース、余白はあるか。

 

  1. 自分自身に何と語っているか

自分のたましいに、自分の1番深い部分に、私自身、何と語りながら、毎日の生活をしているでしょうか。
本音の部分で、何と言い聞かせながら、私は生活しているでしょうか。
「我が魂よ」と聞いたら、聖書では、普通は「わがたましいよ、主をほめたたえよ」という呼びかけが詩篇では何度も何度も繰り返されていることを思い出します。
自分の深い部分に語りかける言葉が神への賛美でしょうか。
神に「愚か者」と呼ばれる神を無視する生き方でしょうか。

 

■一緒に考えてみましょう

  • 私はどの分野で「まだ足りない」「心配だ」「安心できない」と思っているでしょうか?
  • 神に信頼し、他の何かに惑わされなかった体験を1つ思い出してみましょう。
2019/8/18

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:創世記 2章15節
サザエさん症候群の処方箋

15 神である主は人を連れて来て、エデンの園に置き、そこを耕させ、また守らせた。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 「仕事」は本来、祝福の大事な要素

仕事は神からの祝福の一部ということです。聖書の神はそもそも働く神なんです。仕事そのものに価値を見出していました。
「神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。」(創世記1:31)とありますように、
神は働かれ、全てを造り、これは素晴らしい!と言われました。
良い仕事、満足のいく仕事ができたというのがこの世界の始まりです。
この神のなさった尊い働きを託されたのが人間だと聖書は言います(創世記2:15)。
この使命は幕屋で働くレビ族に引き継がれ(民数記3:7-8)、キリストを通して、教会が担う使命です。

  1. なぜ仕事が辛いのか

「仕事」を含めて、全ての価値が歪められてしまいました。
人間の生活のあらゆる側面に、罪がもたらした災いが色濃く影響しているというのが聖書が説明するこの世界のもう1つの現実です。
神が創造した素晴らしい世界が罪によって大きく損なわれてしまった。
仕事に関しても、「一生の間、苦しまなければならない。」(創世記3:17)と宣告されました。
その影響が確かに、世界中に今も残っています。サザエさん症候群です。仕事は憂鬱で、苦しいのです。
神の世界に、いばらとあざみが広がったているから、仕事は辛いのです。

  1. 恵みを体験している人の働き方は全然違う

聖書のメッセージは私が何かを達成する前に、私は神に愛されるに値する価値のある人間だと思い出させてくれます。
奉仕や仕事や家事や子育てや介護を通して、自分がどれくらいできる人間なのか証明しなくても大丈夫なのです。
クリスチャンになっても、慣れ親しんだ罪に縛られた生き方に支配されてしまうことがあります。
だから、私たちは恵みを思い出すのです。
終わりのないプレッシャーと戦わなくていい。何かを成し遂げることによってあなたは認められるんじゃない。
神の溢れる恵みを知っている人は、自分のために仕事をするのではなく、ただ神と人を愛するために仕事に集中できるという全く違う働き方ができるのです。

 

■一緒に考えてみましょう

  • 私の毎日の生活(仕事)は神から託されたものだと意識しているでしょうか。
    この納得感があるとないとでは、毎日の生活で神と過ごす感覚が全く違うものになってきます。
2019/8/11

説教者:渋谷 昌史 伝道師
聖    書:マルコの福音書10章28-31節
後(あと)の者が先になる?

28.ペテロがイエスにこう言い出した。「ご覧ください。私たちはすべてを捨てて、あなたに従って来ました。」
29.イエスは言われた。「まことに、あなたがたに言います。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子ども、畑を捨てた者は、
30.今この世で、迫害とともに、家、兄弟、姉妹、母、子ども、畑を百倍受け、来るべき世で永遠のいのちを受けます。
31.しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になります。」

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

1.人間のおごり

ペテロはどんな思いで28節のことばを語ったのでしょうか?
自信満々に語っている様子が、「こう言い出した」という表現から伺えますよね。
「先生、私たちは偉いですよね。前途有望なあの青年と違って、すべてを捨てて、あなたに従って来たのですから」と言わんばかりです。
あの青年にできなかったことを、私は成し遂げたというおごりを感じさせます。
並行箇所のマタイの福音書19章27節を見ると、自分たちの行いに対する見返りを期待している様子がありありと見えます。
このように見返りを求めるペテロに対し、イエスは「何だ!その態度は」とは言われませんでした。
しかし、富める青年と同様、「ペテロ!あなたもその考えではいけないんですよ。
本当に、あなたはすべてを捨ててきたと言えるのですか?」とイエスは問うのです。

 

2.わたしのために、また福音のために

29節で目を引く表現は、イエスが言われた「わたしのために、また福音のために」ということばではないでしょうか?
イエスがすべての関係に修復をもたらすのです。
そのこと注目し、29、30節の原文を確認すると、
まことに、あなたがたに言います。わたしのために、また福音のために、
“あるいは”兄弟“あるいは”姉妹“あるいは”“あるいは”“あるいは”子ども“あるいは”畑を捨てた者は、
今この世で、迫害とともに、家“と”兄弟“と”姉妹“と”“と”子ども“と”畑を百倍受け、来るべき世で永遠のいのちを受けます
、と訳せます。
神を神とすることによってすべての関係が修復へと導かれることは、30節に「父」という言葉が出てこないところに暗示されているように思えないでしょうか? 父なる神がすべてを秩序立て、イエスにとってそして私たちにとっても「父」とは「神」なのです。

 

3.「神の国」の原理

31節でイエスがペテロに語っていることは「神の国」の原理です。
猛烈な努力など必要なく、後にいる多くの者が先になるためには、出会ったイエスに信頼し、イエスと共に歩み続ければよいのです。
「神の国」の原理においては、信仰の長さや短さなど関係なく、大事なことは、どれだけイエスを愛し、どれだけイエスに信頼し、
どれほどまでに神に愛されているか、ということを知ることでしょう。
「人にはできないが、神にはすべてのことができる」という信仰が、私たちの過去の解釈をも変え、
いずれはよみがえりの身体でもって、主イエスとリアルに完成された「神の国」で永遠に生きられる、ということを心に刻みたいと思います。

 

■一緒に考えてみましょう

  • あなたにとっての先の者が後になる体験、後の者が先になる体験にはどんな出来事がありましたか? 話せる範囲で自由に分かち合いましょう。
2019/8/4

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:詩篇 127篇1-5節
むなしさ、さようなら

都上りの歌。ソロモンによる。
1  主が家を建てるのでなければ 建てる者の働きはむなしい。
主が町を守るのでなければ 守る者の見張りはむなしい。
2  あなたがたが早く起き 遅く休み 労苦の糧を食べたとしても それはむなしい。
実に 主は愛する者に眠りを与えてくださる。
3  見よ 子どもたちは主の賜物 胎の実は報酬。
4  若いときの子どもたちは 実に 勇士の手にある矢のようだ。
5  幸いなことよ 矢筒をその矢で満たしている人は。彼らは門で敵と論じるとき 恥を見ることがない。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. この汗を神様に捧げます

ロサンゼルスのCBCチームの1人の青年はレクリエーション担当で、外で思いっきり子どもたちと遊んで、さらに前でダンスを踊ってたので、
たくさんの汗をかいていました。そんな彼が言った言葉なんです。これを笑顔でいうんですよ。
私は今まで、汗を神様に捧げたことはなかったので、これから長い夏が始まりますが、この言葉を知っているだけで、
だいぶ前向きな生活が送れるんじゃないかと思うんです。神の働きをしていると汗も光り輝きますね。

 

  1. 眠りを神への信頼に

神の与えてくれるものが眠りって、ちょっと期待外れに思うかもしれません。
でも、眠りには特別な意味があります。私たちは誰も自分の人生、全てをコントロールすることはできません。
これは悲しい知らせではありません。なぜなら、私よりももっと信頼できる安心できる神の手の中にあるからです。
神の守りの中に常にいる、神に愛されていると知っていると、私の想像を超えたことが起こったとしても、右往左往しなくなります。
どんな時でも神様が私の人生を一緒に歩いてくれるからです。このような信仰の具体的な表れとして、睡眠があるのです。

 

  1. 「子どもは賜物」を教会として受け止めたい

まず言いたいことは、独身の人、子供のいない家庭、そういった方が肩身の狭い思いをすることがないようにということです。
立場が違う人たちをお互いに思いやれる場所でありたいと願います。そして、日本全体の子供の数は減っています。
教会に来る子どもも少なくなるでしょう。そういう時代に、70人もの子供たちが福音を聞くことができた。
これはまさに、神様からの賜物でした。
CBCとの出会いに感謝をし、言葉の壁を超えて、練馬の地域のために、福音のために一緒に
奉仕できたことを心より私たちの救い主、イエス・キリストに感謝を捧げたいと思います。

 

■一緒に考えてみましょう

  • あなたのしていることは、神がしておられることでしょうか?どう見分けたらいいでしょう?
  • 「むなしさ」という言葉が今日の私には、どう響くでしょうか?

7月

7月

余白のある生活

月 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12
2019/7/28

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:コリント人への手紙第一 6章19-20節
からだの声を聞く

19 あなたがたは知らないのですか。
あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。
20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 性的関係は慎重になる「べき」だけど、規則を守るだけでも…

当時の文化として、売春婦と性的関係を持つこと自体は法律的にはOKでした。
でも、聖書の価値観からすると深刻な問題がありました。
あなたのからだは誰のもので、何のために使うべきか。
これは生き方の本質に関わることでした。

ただし、規則を守ることに終始しても、結局、その規則に込められた神の思いを理解していないと表面的な信仰しか育ちません。
パリサイ派に代表されるように、人を裁くだけで愛を示さない人になってしまいます。
教会もそうならないように注意しなければなりません。

 

  1. 私が丸ごと肯定される体験を

イエスの周りには当時の罪人と軽蔑された人がどんどん集まってきた。
取税人、遊女。そういう人がイエスのところに集まってきた。
イエスは罪人を甘やかしたのでしょうか。そうではないです。罪深い生活を肯定したわけではありません。
イエスはまず、目の前の人を丸ごと受け入れただろうと思うのです。
私たちに最初に必要なのも、それは「あなたそのものが肯定される体験」です。
こんな自分は誰にも愛されるわけない。そう思っていた人に向かって、イエスは、あなたも愛される神の子どもだって伝えました。
これが福音です。

 

  1. 十字架の恵みを味わうことから

あなたを買い取ったと言われたイエスは、あなたが背負うべき人生の重荷、呪い、傷、その全てを代わりにイエスご自身が十字架で負われました。
だから、私たちがすべきことは、十字架の恵みを存分に味わうこと尽きます。
神の赦しの宣言を今日も聞かせていただきましょう。

それから、からだの声に耳を傾けてみましょう。
最初に聞こえてくるのはあなたの内側にある声、欲望が大声で叫んでいる声だけかもしれません。
でも、よーーく聞いてほしいんです。あなたは聖霊、神の住まいです。
全ての人は、神のイメージに似せて造られていて、神の美しさを求める声も私たちのうちから必ず聞こえてくるはずです。
この声を聞き分けられるようになりたいのです。

 

■一緒に考えてみましょう

  • 私が罪悪感を強く感じる分野はどこでしょうか?
  • 私のからだの声に耳を傾けてみましょう。どんな声が聞こえてくるでしょうか?
2019/7/21

説教者:渋谷 昌史 伝道師
聖    書:マルコの福音書10章23-27節
人にはできなくても神には・・・

23.イエスは、周囲を見回して、弟子たちに言われた。「富を持つ者が神の国に入るのは、なんと難しいことでしょう。」
24.弟子たちはイエスのことばに驚いた。しかし、イエスは重ねて彼らに言われた。
「子たちよ。神の国に入ることは、なんと難しいでしょう。
25.金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通る方が易しいのです。
26.弟子たちは、ますます驚いて互いに言った。「それでは、だれが救われることができましょう。」
27.イエスは彼らをじっと見て言われた。
「それは人にはできないことです。しかし、神は違います。神にはどんなこともできるのです。」

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

1.弟子たちに言われたイエス(23節と24節の前半)

今日のみことばの前の箇所(6月16日の説教)で、神ご自身が富める青年とかみ合わない対話をしていたのですが、
今度は、神ご自身がご自分のあとについてきた弟子たちと対話をはじめます。
「お前たちは、あの青年とちがって、わたしについて来ているから立派だよ」とはイエスは決して言いません。
「神の国」に最も近いと思われた人が「神の国」に入るのが難しいとはどういうことか?
そもそもあなたにとって「神の国」に入るとはどういうことなのか?と言う問いを、イエスは弟子たちに、そしてわたしたちに投げかけるのです。
イエスは、ときに私たちが勝手に常識だと思い込んでいるような事柄に対し、それをぶち壊すようなことを言われ、考えさせるのです。
みことばを通してイエスと対話するとは、このような側面もあるのです。

 

2.重ねて言われるイエス(24節の途中から26節)

ここでイエスは「重ねて」言われています。
「重ねて」いるからには、最も大事な問いを弟子たちに、そして私たちに投げかけていると言えましょう。
「あの青年が救われないのであるなら、誰が救われるのだろうか」という疑問を持っていた弟子たちは、
イエスに心を読まれたかのような問いを直球で投げかけられるのです。
だから、「弟子たちはイエスのことばに驚いた」(24節)のでしょう。
そして25節のイエスのことばに驚愕した彼らは、ついに、心の中で考えていたことをイエスにぶつけます。
「それでは、だれが救われることができるのでしょう」(26節)、と。
ここで私たちが考えなければならないのは、私たち人間の常識で「そんなの無理」と判断しようとするのではなく、
「神の視点」で考えなさいと問われている点です。

 

3.じっと見て言われるイエス(27節)

イエスはここで人間の常識をはるかに超えた価値観の転換を、弟子たちに、そして私たちに迫ります。
人は自分の力や努力では「神の国」に入ることはできないけれど、イエスは、まったく別の方法で「神の国」に入れることを弟子たちに考えさせ、
気づかせようとします。
自分の常識から離れ、「神の視点」でもって27節のみことばを読むと、
「それは人にはできないことです。しかし、神は違います。神にはどんなこともできるのです」というみことばの背後から、
「だからわたしに信頼しなさい。わたしがすべてのことを成し遂げるから。安心して、わたしのあとについて来なさい」というイエスの声が聴こえてくるのではないでしょうか?
今、イエスと共に「神の国」を生きるとは、人間の常識を超えた「神の常識」を味わい、生きることなのです。
そのために必要なことは、イエスを自分の心に受け入れるだけです。
そしてイエスと共に歩む人生を重ねていく中で、「人にはできなくても神にはできる」という神への信頼をベースに置いた信仰生活を送れるよう、
私たちは変えられていくのです。

 

■一緒に考えてみましょう

あなたにとってイエスとはどういうお方ですか?
イエスに信頼し、イエスのあとをついて行く人生の中で体験したあなただけの証詞を、自由に分かち合い、主をほめたたえましょう。

2019/7/14

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:マルコの福音書 10章46-52節
何が望みかと神に聞かれたら

46  さて、一行はエリコに着いた。そしてイエスが、弟子たちや多くの群衆と一緒にエリコを出て行かれると、
ティマイの子のバルティマイという目の見えない物乞いが、道端に座っていた。
47  彼は、ナザレのイエスがおられると聞いて、「ダビデの子のイエス様、私をあわれんでください」と叫び始めた。
48  多くの人たちが彼を黙らせようとたしなめたが、「ダビデの子よ、私をあわれんでください」と、ますます叫んだ。
49  イエスは立ち止まって、「あの人を呼んで来なさい」と言われた。
そこで、彼らはその目の見えない人を呼んで、「心配しないでよい。さあ、立ちなさい。あなたを呼んでおられる」と言った。
50  その人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。
51  イエスは彼に言われた。「わたしに何をしてほしいのですか。」すると、その目の見えない人は言った。
「先生、目が見えるようにしてください。」
52  そこでイエスは言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救いました。」すると、
すぐに彼は見えるようになり、道を進むイエスについて行った。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 周りに人には全く理解されなくても

周りに大勢の人たちがいましたが、彼らはバルティマイの味方にはなってくれませんでした。
黙らせるために強く叱り続けた。これが直訳です。うるさい、黙れと大勢が怒鳴っていたのかもしれません。
目の見えない物乞いは、イスラエルの社会の中で最も低い地位だと言われており、
お前みたいなやつが会ってもらえるわけないだろうと言われるのは普通の感覚でした。
でも、バルティマイは決して諦めません。マルコ福音書で大事にされる信仰の姿勢です。

 

  1. 自分の願いと神の約束とが重なる答え

物乞いをしながら、人の憐れみを受けながら生きてきたけど、神は小さな社会に隅にいる私にも必ず恵みを与えてくださる。
そう信じて、バルティマイはこの日まで生きてきました。質問され、すぐに答えました。
「目が見えるようにしてください」これは救い主が来たときに叶えられると聖書に約束されていたことでした。
彼はただ、自分のために目を開けてくれと言っているのではなく、イエスこそ長年、待ち望んでいた救い主だと心から告白したのです。
見えない私の目が見えるようにしてくれるのはイエスだけだと信じ切った彼の告白は見事でした。

 

  1. 「わたしに何をしてほしいのか」と私たちも問われる

私の答えは、何でしょうか。
説教の前に白浜ミッショントリップの証を聞きましたが、今回のミッショントリップは証してくださった方にとっての神様からの答えだったと思うんです。
そういう夢が、この場所で、たくさん実現していく。私はそのことを楽しみにしています。
ぜひその他、大勢の群衆ではなく、また黙れと言った常識に縛られた名もなき人でもなく、
バルティマイのように当事者になり、聖書の約束を信じ、大胆に求める教会でありたいのです。

 

■一緒に考えてみましょう

  • この記録を読んで、自分はどこように感じるでしょうか?
  • 私の信仰の目は開いているでしょうか?イエスの問いかけに私は何と答えるでしょうか?
2019/7/7

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:列王記第一 19章1-8節
もう限界と思ったあと

1  アハブは、エリヤがしたことと、預言者たちを剣で皆殺しにしたこととの一部始終をイゼベルに告げた。
2  すると、イゼベルは使者をエリヤのところに遣わして言った。
「もし私が、明日の今ごろまでに、おまえのいのちをあの者たちの一人のいのちのようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。」
3  彼はそれを知って立ち、自分のいのちを救うため立ち去った。ユダのベエル・シェバに来たとき、若い者をそこに残し、
4  自分は荒野に、一日の道のりを入って行った。彼は、エニシダの木の陰に座り、自分の死を願って言った。
「主よ、もう十分です。私のいのちを取ってください。私は父祖たちにまさっていませんから。」
5  彼がエニシダの木の下で横になって眠っていると、見よ、一人の御使いが彼に触れ、「起きて食べなさい」と言った。
6  彼が見ると、見よ、彼の頭のところに、焼け石で焼いたパン菓子一つと、水の入った壺があった。
彼はそれを食べて飲み、再び横になった。
7  主の使いがもう一度戻って来て彼に触れ、「起きて食べなさい。旅の道のりはまだ長いのだから」と言った。
8  彼は起きて食べ、そして飲んだ。そしてこの食べ物に力を得て、四十日四十夜歩いて、神の山ホレブに着いた。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 大預言者の「いのちを取ってください」という告白

聖書には、人間の弱さがはっきりと記されていて、弱さを抱えた中でどう生きるのか教えられています。
聖書は決して命を軽んじているわけではありません。
ただ、もうこれ以上無理と、あの大預言者エリヤの口からも出てきたという事実を今日、私たちは受け止めたいのです。
一番、人に言いたくないというか、伝えたくないような、極限まで追い詰められた弱い部分を、エリヤは神に見せたのです。
一番深いところにある感情を正直に、包み隠さずに伝え、神の前に無防備な姿をさらすことができました。

  1. 神は、責任追及ではなく食事と水と睡眠を

ある人は、お前は無責任だと罵るかもしれません。
あなたは献身者で、預言者で、神に人生を捧げたのだったら、神への信頼が足りないのだ!不信仰だ!と責め立てる人がいるかもしれません。
エリヤが自分の限界を悟ったとき、神ご自身はどうなさったのでしょうか。
5,6節に注目してください。代理人を送って神がしたことは、食事を取らせ、また眠らせることでした。
エリヤを責める言葉は何もありません。ただ、食べさせ、休ませる。それが神の方法です。

  1. 逃亡がいつの間にか神の計画した旅へ

エリヤはただ逃げたかっただけでした。でも、逃亡の旅のままにせず、神は神の計画した新しい旅に変えたのです。
エリヤは、ただ逃げ出しました。イゼベルが怖かったのです。預言者という立場も全部捨てて、とにかく逃げ出しました。
誰にも見つからないところまで逃げました。
それなのに、いつの間にか、神の山ホレブ(シナイ山のこと)、神とイスラエルが契約を結んだ特別な場所へ向かう聖なる旅となったのです。
余白がゼロになってしまうような時でも、私たちのために恵みを直接くださる神が私たちの神です。

■一緒に考えてみましょう

  • 今、振り返るとあの時は追い詰められたエリヤに近かったなと思う体験はあるでしょうか?
  • ただ逃げただけだったのに、神様が良きこととして用いてくださった経験はあるでしょうか?

6月

6月

ペンテコステ 余白のある生活

月 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12
2019/6/23

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ヨハネの福音書 15章15節
友情という贈り物

15 わたしはもう、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべなら主人が何をするのか知らないからです。
わたしはあなたがたを友と呼びました。父から聞いたことをすべて、あなたがたには知らせたからです。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. God in my everything(神が私の全てに)という感覚

邦題は『忙しい人を支える賢者の生活リズム』と言いますが、ケン・シゲマツが生活のすべてで神様を感じたいよねという内容の本を書きました。
右の図は彼が本の中で扱っているテーマです。奇しくも、これまで扱ってきたテーマ(安息日、聖書、祈り)は基盤として扱われています。
ケン・シゲマツの分類に従うと、今日は「関係」に分類される友人関係を扱います。
このテーマで生活が網羅されるわけではありませんが、私らしい霊的習慣を考える上で、視野を広げてくれるはずです。

 

 

  1. 父から聞いたこと、それは愛について

イエスは父から聞いたすべてのことをあなたがたに伝えましたと弟子に語りました。何を伝えたのでしょうか。
神についての教えでしょうか。生活の細かいルールでしょうか。それらも含まれるでしょうが、
9節にある「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました」とあるように、
イエスが父なる神から聞いたこと、それはきっと愛についてだと思うのです。
「人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません」(13節)と
イエスが弟子たちに愛について語ったことについても納得がいきます。

 

  1. イエスの友情とリンクさせる私の友情

イエスとの関係が実際の私たちの日常的な友人関係に影響が出るでしょうか。
イエスとの友情と友達との友情がリンクしているか、別個のものになっているのか。
ここをいかに1つのものとできるかどうかが肝です。このリンクに気づくための余白のある生活です。
ぶどうの木としてイエスにつながり、私たちが実を結び、その実が周りの人の喜びとなり、神の栄光として帰される。
これがイエスとの関係が深まっていく中で、私たちの日々の生活にも恵みは広がっていくということです。

 

 

 

 

 

 

 

■一緒に考えてみましょう

  • 「友情」というキーワードを聴きながら、誰かの顔が浮かんできたでしょうか?こういう時の直感は大事にしてください。
2019/6/16

説教者:渋谷 昌史 伝道師
聖    書:マルコの福音書10章17-22節
余白を欠いた生活を送らないように

17.イエスが道に出て行かれると、一人の人が駆け寄り、御前にひざまずいて尋ねた。
「良い先生。永遠のいのちを受け継ぐためには、何をしたらよいでしょうか。」
18.イエスは彼に言われた。「なぜ、わたしを『良い』と言うのですか。良い方は神おひとりのほか、だれもいません。」
19.戒めはあなたも知っているはずです。
『殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽りの証言をしてはならない。だまし取ってはならない。あなたの父と母を敬え。』」
20.その人はイエスに言った。「先生。私は少年のころから、それらすべてを守ってきました。」
21.イエスは彼を見つめ、いつくしんで言われた。
「あなたに欠けていることが一つあります。帰って、あなたが持っている物をすべて売り払い、貧しい人たちに与えなさい。
そうすれば、天に宝を持つことになります。そのうえで、わたしに従って来なさい。」
22.すると彼は、このことばに顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。多くの財産を持っていたからである。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

1.神と人とのかみ合わない対話

この青年の熱心さは本物です。
しかし「永遠のいのちを受け継ぐためには、何をしたらよいでしょうか」(17節)という質問したことから、
心に何か満たされないものがあったように感じます。
何かよいことをすることでもって、「神の国」の保証を自分のものにしたかったのですが、
この人は「自分」という人間の価値観で持って話し、イエスは「神のみこころ」を話されます。
対話が成り立たちません。私たちにもイエスさまとの対話がかみ合わないときに、「神のみこころがわからない」と嘆くことがありますが、
そのようなときに「神さまが今の私に何を語りかけようとしておられるのか」ということを少しでも思い巡らす心の余白があるのでしょうか?

 

2.本当に「すべて守ってきた」と言えるか?

この青年の「私は少年のころから、それら全てを守ってきました」(20節)という発言から、彼は神から与えられた「十戒」を、自分の守れるものへと変えてしまっていることがわかります。
自分の力で守れるなら、神に頼る必要がありません。
そうなると自分を基準に考え、自分を基準にして相手をほめたり、裁いたりします。結果、神さまがわからなくなります。
神が働かれるスペースも生まれようにありません。
イエスは「良い先生」と呼びかけ質問してくる青年に対し、「良い方は神おひとりのほか、だれもいません」(18節)と言われ、
この人の心を神に向かうように促します。
しかし、この人は神がどういうお方かということを体験するような生き方はしてこなかったのです。
だからどこかに心が満たされない思いを抱えていたでしょう。

 

3.わたしに従って来なさい

ここで心に留めたいのは、イエスは彼を見つめ、いつくしんでおられたことです。
イエスは何かをしたら「神の国」に入れるのではなく、わたしと共に生きることでもって、
「神の国」を味わうことができるということを教えようとします。
でも、この青年はイエスの前から去ってしまいました。この青年はどうしたらよかったのでしょうか?
「財産を捨てなさい」とのイエスの答えに対して、「そんなことできません。できるようにするにはどうしたらよいのでしょうか?」とイエスにすがり、
イエスのあとについて行けばよかったのです。
財産を捨てられない思いを抱えたまま主と共に歩き、とことん語り合い、苦しいときにすがり、
できないことは主が成して下さると信頼すればよかったのです。
そのような歩みの中で、この人は余計なものを捨て、心に余白が生まれ、
心の余白でもって「永遠のいのち」を味わうことができるようになったことでしょう。

 

■一緒に考えてみましょう

  • あなたにとって「余白のある生活」とはどのような生活でしょうか?
2019/6/9

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ヨハネの福音書 14章16節
イースターの次はペンテコステ

16 そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、
その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. ペンテコステ(五旬節、聖霊降誕日)とは

元々はイスラエルの3大祭りの1つ、春の収穫祭。当時、世界中からこの日、エルサレムで礼拝するために人々が集まっていました。
その日に、聖霊に満たされた弟子たちが世界中の言語で福音を語りました(使徒2章)。
実はペンテコステは、出エジプトをして50日目、シナイ山で律法をいただき、神の特別な民とされた特別な日でもありました。
その関連でいうと、イエス・キリストの十字架と復活の後50日後に、
聖霊を受けた弟子たちは、イエスの使命を引き継ぐ「教会」としての自覚を持った記念日とも言えます。
エルサレムに集まっていた世界中の人に福音を伝えた。これが聖霊に導かれた教会の原点です。

 

  1. 聖霊とは

最後の晩餐でイエスが語ったことは、イエスの代わりに助け主が送られるということでした。それが聖霊です。
イエスの代わりに、イエスのように、私たちを助け、慰め、弁護してくれるのです。
これが聖書の神の本質であり、クリスチャンはよく思い出してみたら、神に助けられ、慰められ、味方になってもらったという経験を自分のこととして体験しているはずです。
ただ、普通の人には聖霊はわかりません(ヨハネ14:17)。
だから、ある意味、神に愛され、受け入れられているという、普通の人にはわからないことを先に知った私たちの役割は重要なのです。

 

  1. いま、私たちが聖霊を受けるとは

早宮の事件を受けて、隠されていた問題が知れ渡ったように思います。
もちろん、引きこもりだけが問題じゃないわけですが、私たちの周りには救いを必要としている人たちがたくさんいる。
私たちだからできることがきっとあります。神様を知っている私たちだから、できることがあるはずです。
神様の働きのために、私自身を差し出す覚悟がある人たちを神様は待っています。
弟子たちはエルサレムで何をしていたのか?祈って待っていたんです。
その時が来るのを。私たちもまず祈ることから始めませんか。
私たちも誰かの隣にいることができるはずです。

 

■一緒に考えてみましょう

  • 私は誰の隣にいることが、神に託された務めだと今日、感じているでしょうか?
2019/6/2

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:詩篇 13篇1-6節
脱 優等生

指揮者のために。ダビデの賛歌。

1  主よ いつまでですか。 あなたは私を永久にお忘れになるのですか。
いつまで 御顔を私からお隠しになるのですか。
2  いつまで 私は自分のたましいのうちで 思い悩まなければならないのでしょう。
私の心には 一日中 悲しみがあります。いつまで 敵が私の上におごり高ぶるのですか。
3  私に目を注ぎ 私に答えてください。 私の神 主よ。
私の目を明るくしてください。私が死の眠りにつかないように。
4 「彼に勝った」と 私の敵が言わないように。私がぐらつくことを 逆らう者が喜ばないように。
5  私はあなたの恵みに拠り頼みます。私の心はあなたの救いを喜びます。
6  私は主に歌を歌います。主が私に良くしてくださいましたから。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 弱さや苦しみと不信仰は違う

この祈りは、苦しい胸の内を神にさらけ出すところから始まります。これが祈りであり、私たちの日常だと言えるでしょう。
そのはずなのですが、終わりの5,6節「神に信頼してます」しか言ってはいけないような空気もあるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
信仰の優等生がいるとして、その人はいつも神様への信頼と賛美に満たされているというイメージがあるでしょうか。
それははっきり言って、間違いです。この祈りの前半部分の苦しみ、これも信仰の一部です。
先の見えない中、神を必死に求めていく。これも当然信仰です。

 

  1. 信仰が練られる体験

神を信頼してなかったら、それほど苦しまない。
この神は決して私を見捨てない、決して私を忘れないと信じているから、神が見えない現実を前に苦しむのです。
これは不信仰ではなくて、信仰者の苦しみです。
ここを誤解しないでください。いわゆる聖人と呼ばれる信仰の達人みたいな人の記録を読めばわかりますが、みんなこういう暗闇を通っています。
信仰があるから苦しい。そして、日々の生活ではいつ5節の瞬間が訪れるかわからないから余計に苦しい。
でもこの4節から5節の間の行間の中で、私たちの信仰は練られて研がれるのです。

 

  1. 体験することで、懐は広げられる

今の時代、安心して自分の姿を見せられる場所を、みんなが必要としています。
でも、プライドもあるし、見栄もある。そんな自分を受け入れてくれる場所なんて、あるわけないと思っています。
聖書は教会は、私たちの周りにいる人が求めている魅力的なものを託されています。
教会自体、いつまで経っても不完全だと思うし、私たちの誰もが回復途中なわけですけど、まずは自分がここにいていいと思えることが大事だし、
そういう体験を重ねる中で、私たちの懐も少しずつ広げられ、そのままのあなたで大丈夫ですよと言える場所になっていくでしょう。

 

■一緒に考えてみましょう

  • 日常生活と同じように、教会で周りの人からの評価がどのような時に気にしているでしょうか。

5月

5月

余白のある生活

月 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12
2019/5/26

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ヨハネの黙示録5章1-14節
約束された勝利

1.また私は、御座に着いておられる方の右の手に巻物を見た。それは内側にも外側にも字が書かれていて、七つの封印で封じられていた。
2.また私は、一人の強い御使いが「巻物を開き、封印を解くのにふさわしい者はだれか」と大声で告げているのを見た。
3.しかし、天でも地でも地の下でも、だれ一人その巻物を開くことのできる者、見ることのできる者はいなかった。
4.私は激しく泣いた。その巻物を開くにも、見るにも、ふさわしい者がだれも見つからなかったからである。
5.すると、長老の一人が私に言った。
「泣いてはいけません。ご覧なさい。ユダ族から出た獅子、ダビデの根が勝利したので、彼がその巻物を開き、七つの封印を解くことができます。」
6.また私は、御座と四つの生き物の真ん中、長老たちの真ん中に、屠られた姿で子羊が立っているのを見た。
それは七つの角と七つの目を持っていた。その目は、全地に遣わされた神の七つの御霊であった。
7.子羊は来て、御座に着いておられる方の右の手から巻物を受け取った。
8.巻物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老たちは子羊の前にひれ伏した。
彼らはそれぞれ、竪琴と、香に満ちた金の鉢を持っていた。香は聖徒たちの祈りであった。
9.彼らは新しい歌を歌った。「あなたは、巻物を受け取り、封印を解くのにふさわしい方です。
あなたは屠られて、すべての部族、言語、民族、国民の中から、あなたの血によって人々を神のために贖い、
10.私たちの神のために、彼らを王国とし、祭司とされました。彼らは地を治めるのです。」
11.また私は見た。そして御座と生き物と長老たちの周りに、多くの御使いたちの声を聞いた。その数は万の数万倍、千の数千倍であった。
12.彼らは大声で言った。「屠られた子羊は、力と富と知恵と勢いと誉れと栄光と賛美を受けるにふさわしい方です。」
13.また私は、天と地と地の下と海にいるすべての造られたもの、それらの中にあるすべてのものがこう言うのを聞いた。
「御座に着いておられる方と子羊に、賛美と誉れと栄光と力が世々限りなくあるように。」
14.すると、四つの生き物は「アーメン」と言い、長老たちはひれ伏して礼拝した。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

■アウトライン

1.封印された神のみことば

神さまはご自身の右の手に、内側にも外側にも字がびっしり書かれた巻物をお持ちでしたが、その巻物は封印されていました。
ヨハネの目の前には、御座に着かれた神さまがおられ、力と勝利に満ちたその右の手には「神の確かなご計画」が記された巻物があるのに、
その封印を解くのにふさわしい者がいないのです。
開かれないからにはその巻物に何が記されているかわからないのでヨハネは激しく泣きます。
しかしそこに唯一巻物を開くことのできるお方が登場するのです。

2.巻物を開く神の子羊キリスト

ここで唯一巻物を開くことのできるお方こそイエスさまでした。イエスさまはユダ族から出た獅子として絶対的な力をお持ちでした。
それにもかかわらず、神としてのあり方をお捨てになられたのは、罪に苦しむ私たちをその罪から救うためでした。
私たちの心に本当の意味で寄り添うために人となられ、私たちのための罪のいけにえとして、ご自身を捧げたのです。
屠られた子羊がそのことを表わしているのですが、この屠られた子羊の十字架上の死と復活の出来事こそ、
旧約聖書で預言された「救い主」がイエス・キリストであることを明らかにしているのです。

3.「天の礼拝」を先取りして

私たちがこの地上で、毎聖日、教会に集まって神さまに捧げる礼拝は「天の礼拝」の先取りです。
聖書が約束する救いの完成の日、イエス・キリストを救い主だと信じるすべての人が栄光の身体をもってよみがえり、「天の礼拝」に加えらるのです。
そのとき私たちは、再び、出会う兄弟姉妹たちとどんなことを語り合うのでしょうか? 私は証詞だと思うのです。
キリスト教の約2000年の歴史における信仰者たちの膨大な数の証詞のことを思うと、
天では主をほめたたえる賛美がどれほど壮大に鳴り響くことでしょうか?
先に召された信仰の諸先輩方といつの日か必ず会えることを心に留め、
私たちは、今、「天の礼拝」の先取りを味わわせて頂いている恵みに感謝し、いつまでも共に主をほめたたえようではありませんか!

■一緒に考えてみましょう

・あなたは毎聖日どのような思いで「主の祈り」を捧げていますか?自由に分かち合いましょう。

2019/5/19

説教者:荒木 泉 宣教師
聖    書:創世記 8章1~17節
神のペースで生きる

1 神は、ノアと、彼とともに箱舟の中にいた、すべての獣およびすべての家畜を覚えておられた。
神は地の上に風を吹き渡らせた。すると水は引き始めた。
2 大水の源と天の水門が閉ざされ、天からの大雨がとどめられた。
3 水は、しだいに地の上から引いていった。水は百五十日の終わりに減り始めた。
4 箱舟は、第七の月の十七日にアララテの山地にとどまった。
5 一方、水は第十の月まで減り続け、第十の月の一日に、山々の頂が現れた。
6 四十日の終わりに、ノアは自分の造った箱舟の窓を開き、
7 烏(からす)を放った。すると烏は、水が地の上から乾くまで、出たり戻ったりした。
8 またノアは、水が地の面から引いたかどうかを見ようと、鳩を彼のもとから放った。
9 鳩は、その足を休める場所を見つけられなかったので、箱舟の彼のもとに帰って来た。水が全地の面にあったからである。彼は手を伸ばして鳩を捕らえ、自分がいる箱舟に入れた。
10 それからさらに七日待って、再び鳩を箱舟から放った。
11 鳩は夕方になって、彼のもとに帰って来た。すると見よ、取ったばかりのオリーブの若葉がそのくちばしにあるではないか。
それで、ノアは水が地の上から引いたのを知った。
12 さらに、もう七日待って、彼は鳩を放った。鳩はもう彼のところに戻って来なかった。
13 六百一年目の第一の月の一日に、水は地の上から干上がった。
ノアが箱舟の覆いを取り払って眺めると、見よ、地の面は乾いていた。
14 第二の月の二十七日には、地はすっかり乾いた。
15 神はノアに告げられた。
16 「あなたは、妻と、息子たちと、息子たちの妻たちとともに箱舟から出なさい。
17 すべての肉なるもののうち、あなたとともにいる生き物すべて、鳥、家畜、地の上を這うすべてのものが、あなたとともに出るようにしなさい。
それらが地に群がり、地の上で生み、そして増えるようにしなさい。」

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

2019/5/12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ルカの福音書 10章38-42節
聖書で心にゆとりを

38 さて、一行が進んで行くうちに、イエスはある村に入られた。すると、マルタという女の人がイエスを家に迎え入れた。
39 彼女にはマリアという姉妹がいたが、主の足もとに座って、主のことばに聞き入っていた。
40 ところが、マルタはいろいろなもてなしのために心が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください。」
41 主は答えられた。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。
42 しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

■アウトライン

  1. イエスがいても渇くことも

マルタはイエスを家に迎えていたのに、マルタの心は潤されなかったということがわかります。
先週、安息日について取り上げましたが、安息日に礼拝を捧げていても、私たちの心が潤されないことだって起こり得るということもできるでしょう。
マルタがもてなすのに忙しくなってイエスの言う本質を見失ったように、私たちも仕事や家族、教会の奉仕や地域のためにと活動そのものは、
いいことであっても、それが忙しくなりすぎて、忙しさが正当化されて、イエスの方が間違っているんじゃないかと思うこともあるのです。

 

  1. 常識と非常識と神の価値観と

妹のマリアは相当変わっていました。聖書の先生の足元で話を聞くのは男性にしか許されていない行為でした。
姉のマルタは、極めて常識的で、気が利きます。責任感もありました。大変だからと言って、すぐに投げ出すこともせず、自分の託された仕事に忠実でした。
そんなマルタでしたが、不満は段々溜まっていって、自分の主張が絶対に正しいと思って、あの発言をするのです。
イエスの答えはどうだったでしょうか。
マルタを責めると言うよりも、むしろマルタの発想を広げ、イエスはマルタに余白を見せてくれました。他の考え方もあるんだと。

 

  1. もっと自由に、枠を越えて

聖書の教えはカウンターカルチャーと言われ、この世の常識を飛び越えていくことが多々あります。
これが正義だ!と、しがみついていないで、あなたが手放していいことは実はたくさんあるよ、と聖書は語ります。
イエスの言葉は、大抵、私たちを驚かせ、時にイラっとさせることもあるかもしれませんが、
「神様、いつものですね」と自分の枠を広げようとするサインに慣れていけたらいいなと思うのです。
自分の枠を私が勝手に狭めて苦しむこともありますし、あなたの常識が誰かを枠にはめ、苦しめることもあります。
神様に枠を広げてもらいましょう。

 

■一緒に考えてみましょう

  • マルタが抱えていたように、ずっと溜まっている不満があったら思い切ってイエス様にぶつけちゃいましょう。
    そうすると思いがけない返事が返ってくるかもしれません。
2019/5/5

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:マルコの福音書 2章23-28節
教会の働き方改革

23 ある安息日に、イエスが麦畑を通っておられたときのことである。弟子たちは、道を進みながら穂を摘み始めた。
24  すると、パリサイ人たちがイエスに言った。「ご覧なさい。なぜ彼らは、安息日にしてはならないことをするのですか。」
25  イエスは言われた。「ダビデと供の者たちが食べ物がなくて空腹になったとき、ダビデが何をしたか、読んだことがないのですか。
26  大祭司エブヤタルのころ、どのようにして、ダビデが神の家に入り、祭司以外の人が食べてはならない臨在のパンを食べて、一緒にいた人たちにも与えたか、読んだことがないのですか。」
27  そして言われた。「安息日は人のために設けられたのです。人が安息日のために造られたのではありません。
28  ですから、人の子は安息日にも主です。」

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

■アウトライン

  1. 安息日を守ることは大切

自分が誰であり、この世界は誰のものか、思い起こす。これが安息日です。
天地創造した神のリズムに従い、6日働き7日目に休む。私は神に造られたものであり、この世界も神のもの。
だから、7日目は手を止めて、神の前に出て、神を礼拝するのです。
イスラエル民族が安息日に出エジプトの救いを思い出したように、私たちも十字架と復活を思い出す。
私たちが立ち止まり恵みを思い起こすことによって、周りの人にも恵みが流れていくのです。

  1. 「安息日を守る」意味を間違えてはいけない

パリサイ人は、聖書の知識をたくさん持っていましたし、安息日を守ることにも一生懸命でした。
でも、人を助けるというよりは、人の粗を探すために、聖書の知識を使いました。
この時点で「あなたの知識は何のために身につけたのか」と神様に問われそうです。
イエスはこのような姿勢に対して「あなたが受けた恵みを、人を裁くために使っているじゃないか。神の救いはどこにいったんだ。安息日は何をする日なのか、思い出しなさい」と言っているのです。

  1. 「聖なる悩み」はとことん悩もう

目の前の人を愛することが大事だと頭では理解していても、信仰の熱心さゆえに、細かいルールを人に押し付けてしまうこともあるでしょう。
では信仰に対する情熱を捨てればいいのか。それも違うでしょう。だから悩むのです。
この悩みを「聖なる悩み」と私は名付けたいと思います。余白のある生活を意識するほど、残念な自分を発見するものです。
覚えておきたいのは、このような私を誰よりも助けたいと思っているのが神なのです。
こういう現実を実は誰よりも分かってくれるのが父なる神が、豊かな実を結ぶために刈り込みをしてくれるでしょう。

■一緒に考えてみましょう

  • 私にとっての働き方改革とは、具体的にどのようなことを指すでしょうか?
  • 安息日を守る上で、どんな葛藤があるでしょうか?
  • 熱心に信仰を求めつつ、パリサイ人のような方向に進まないために、どのようなことに注意を払ったらいいでしょうか?

4月

4月

余白のある生活

月 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12
2019/4/28

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ヨハネの福音書 15章1-5節
これ、元気もらえる

1 わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫です。
2  わたしの枝で実を結ばないものはすべて、父がそれを取り除き、実を結ぶものはすべて、もっと多く実を結ぶように、刈り込みをなさいます。
3  あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、すでにきよいのです。
4  わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。
枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、
あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
5  わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。
人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。
わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

■アウトライン

  1. 頭と心が繋がっている人に

聖書の知識は必要です。でも、知識はあるけど、頭でっかちという残念なパターンもあります。
つまり、イエスの愛についてよく知ってるけど、自分の行動は愛とはかけ離れているみたいな人にあちこちで会って、
知識だけじゃダメなんだと思うようになりました。
頭と心がきちんと繋がっているというか、聖書を知っているということが「その人自身の生活を豊かにし、その人だけでなく、その人の周りにいる人にまで祝福が広がっていく」ような生き方が聖書には書いてあるんだろうなと思っています。
そういう生活を実際にしたいと思いませんか?

  1. 「枝」という立場に反発したくなる

あなたは「枝」なんだというイエスの言葉を素直に受け入れられるでしょうか。それとも、反発を覚えるでしょうか。
ここは大きな分かれ道です。おそらく、反発するのが一般的でしょう。
神の目から見たらぶどうの木の「枝」ですが、私たちは「枝」だなんて思わない。
「自分でがんばって、実を結べるんだ。余計なお世話だ。勝手に縛り付けるんじゃない。自由にやらせろ」と言いたくなる。
言うだけじゃなくて実際に、木から離れた。これが聖書が表現する「罪」というものです。
でも、枝が木から離されたら枯れていくようなものだと聖書は警告します。

  1. 「枝」として「実り」という恵みの体験を

「あなたを通して祝福が広がる」とイエスにとどまる枝に向けて言われるのです。
ほんと、びっくりしちゃうと思いますし、ついつい「神様、私からは、おいしい実なんてできなさそうですけど」と言いたくなるかもしれません。
でも、イエスにつながる「枝」(教会、クリスチャン)がイエスの実をならせていくんですよね。
教会の使命とも言えます。イエスにちゃんと繋がっていたら、豊かな実がなるよ。
イエスから離れたら失敗するよ。原則はシンプルです。

■一緒に考えてみましょう

  • 「枝」という立場だと言われて、今日の私はどう感じるでしょうか?
  • ぶどうの木に繋がっている「枝」だったから、あのような「実り」を体験できたと思い当たることはあるでしょうか?
2019/4/21

説教者:渋谷 昌史 伝道師
聖    書:マルコの福音書16章1-8節
何度でもやりなおせる

1.さて、安息日が終わったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメは、イエスに油を塗りに行こうと思い、香料を買った。
2.そして、週の初めの日の早朝、日が昇ったころ、墓に行った。
3.彼女たちは、「だれが墓の入り口から石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。
4.ところが、目を上げると、その石が転がしてあるのが見えた。
5.墓の中に入ると、真っ白な衣をまとった青年が、右側に座っているのが見えたので、彼女たちは非常に驚いた。
6.青年は言った。「驚くことはありません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。
あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められていた場所です。
7.さあ行って、弟子たちとペテロに伝えなさい。『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。
前に言われたとおり、そこでお会いできます』と。」
8.彼女たちは墓を出て、そこから逃げ去った。震え上がり、気も動転していたからである。
そしてだれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

■アウトライン

1.イエスを失った心

今日の聖書箇所には、マグダラのマリアとヤコブの母マリアとサロメという3人の女性たちが登場します。
どんな女性たちかというと、イエスの宣教の初めからイエスにつき従い、イエスの十字架上の死と墓への葬りを目撃した人たちです。
女性たちは、ずっとイエスさまの傍にいたかったからイエスさまのあとについて行ったのでしょう。
しかし、そのイエスさまが目の前で殺されてしまったのです。イエスを失った女性たちの心はまるで墓のようです。
その心に、イエスは過去の「思い出」として葬られようとしているのですが・・・。

 

2.イエスを愛し続ける者に届けられる知らせ

墓の入口が開いています。その中に入った女性たちは御使いから声をかけられます。
「あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められていた場所です」(6節)という、
およそ人間には想像できない衝撃告白を耳にするのです。
それだけに留まらず、御使いは、よみがえられたイエスが、ガリラヤの地で会おうとされていることを、弟子たちやペテロにも伝えるように、という伝言も女性たちに託されるのです。
ガリラヤは女性たちや弟子たちがイエスに出会った地。
イエスが死んだままだとしたら再会などあり得ませんが、イエスの復活は再会を可能にするのです。

 

3.「恐ろしかったからである」という体験

マルコの福音書の「恐ろしかったからである」(8節)という結びは、何とも不思議な終わり方のように思えますが、
人知を越えた神のわざに出くわした人間が、神に対する「恐れ」を抱かないことがあるでしょうか?
私たちがイエスさまに出会った場所は人それぞれ違います。
しかし、その場所は誰にとっても「心のガリラヤ」と言えるところでしょう。
そこは復活の主が何度でも「あなたに会おう」と言って下さる場所です。
よみがえりのイエスは、かつて弟子たちや女性たちを召したガリラヤの地で、再び、会おうとされます。
そのことは、私たちにとっても、神に立ち返れば、何度でもやり直せることを意味するのではないでしょうか?

 

 

■一緒に考えてみましょう

  • イエスのよみがえりは、あなたにとってどのような意味がありますか?
2019/4/7

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:コリント人への手紙 第2  9章8節
余白のある生活

神はあなたがたに、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えることがおできになります。
あなたがたが、いつもすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれるようになるためです。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

■アウトライン

  1. 神のためのスペース、空いていますか?

シンプルライフというような言葉を聞くようになりましたが、キリスト教の伝統では1000年以上も前から、そういう考えがありました。
ラテン語でVacare Deoと言いますが直訳すると、「神の空間」という意味の言葉です。
あなたの生活は、神のためにスペースが空いていますか。あなたの生活は、神のために余白が残っていますか。
時間的ゆとりもそうですし、心のゆとりもについてもです。
恵みは溢れていると聖書は約束しています。問題は、私たちに余白があるかどうかです。
このような意識で「余白のある生活」を1年かけて考えたいのです。

  1. 「私らしい生活リズム」を見つける

これが1番大事です。そのために「神のために時間を作る」ことから始めましょう。
普通、自分の目線で物事を判断すると思いますが、神に目を向ける時間をもちましょう。
例えば礼拝。神様に出会う、神の声に耳を傾ける、私を無条件で受け入れてくれる神の愛を思う、神の愛に応答する。
こういう時間を通して、神の恵みが見えてきます。
ただし、注意したいことが1点あって、礼拝や聖書を読むような、いわゆる宗教行為はわかりやすく満足しがちです。
でも、いわゆる宗教行為が終わった途端、いつもの自分に戻ってしまうとしたらもったいないです。

  1. 生活の中に神を招く

礼拝するとき、ここで神様に会いたいと期待します。
同じように、私のいつもの生活の中に、神様いてください!という感覚を持ちたいのです。
変な言い方ですが、私たちが願う前から、神の恵みはあります。でも、悪気はなくても見過ごしてしまうのです。
だから、意識して「私の職場で恵みをください。ここに来てください」と祈ると、そこにあった恵みが見えてきて、
生活の中で、溢れる恵みを実感できるようになっていくのです。

 

 

 

 

 

 

さらに言うと、恵みは受けたら、今度は私たちを通して次の人に流れていきます。
神の質の働きを私たちがさせてもらえる。
ここまで含めて「余白のある生活」をさせていただく1年であるように祈りましょう。

■一緒に考えてみましょう

  • 神のためのスペースが空いてないとしたら、何でふさがっているでしょうか?
  • 私らしい神のための「余白のある生活」を送るためにどんな工夫ができそうですか?

3月

3月

 エペソ書講解

月 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12
2019/3/31

説教者:根城  昌美 神学生
聖    書:ルカの福音書 19章1~10節
あなたのところに来ました

1 それからイエスはエリコに入り、町の中を通っておられた。
2 するとそこに、ザアカイという名の人がいた。彼は取税人のかしらで、金持ちであった。
3 彼はイエスがどんな方かを見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。
4 それで、先の方に走って行き、イエスを見ようとして、いちじく桑の木に登った。
イエスがそこを通り過ぎようとしておられたからであった。
5 イエスはその場所に来ると、上を見上げて彼に言われた。
「ザアカイ、急いで降りて来なさい。わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから。」
6 ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。
7 人々はみな、これを見て、「あの人は罪人のところに行って客となった」と文句を言った。
8 しかし、ザアカイは立ち上がり、主に言った。
「主よ、ご覧ください。私は財産の半分を貧しい人たちに施します。だれかから脅し取った物があれば、四倍にして返します。」
9 イエスは彼に言われた。「今日、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。
10 人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

■アウトライン

  1. 心の内にある「破れ口」

破れ口に立つとは、一番弱いところ、戦いの一番激しいところに立って、命がけで戦うという意味です。
聖書では、神様と人との間をとりなす、仲立ちをするということ。
共同体の中での居心地の悪さ、寂しさ、ザアカイを辛くさせる「破れ口」に、彼と人々との間に立つと言ってくれる人は誰もいませんでした。

  1. そのままで、イエス様の呼びかけに応えて

「罪人」と言われ続けてきた、人の評価で傷つき、自分でも自分を低めてしまっていたザアカイに、イエス様は「ザアカイ」と名前を呼んでくださいました。
イエス様が友となってくださって、ザアカイは、神様との関係が回復し、気持ちが他の人へと向かっていったのです。

  1. あなたの「破れ口」に立つイエス・キリスト

イエス様は、人の見方とは違う見方であなたを見ます。
他の人がどう見ても、イエス様は、あなたのことを大切な1人の友として見てくださっているのです。
「破れ口」をもったままで、イエス様の呼びかけに応えて、イエス様とともに歩いてみませんか。

※世界のクリスチャン人口の総数に誤りがありました。訂正してお詫び申し上げます。
約21億7千万人と言われています。
参考:日本経済新聞https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM04H0I_W5A400C1EAF000/

■一緒に考えてみましょう

  • あなたの「破れ口」は何でしょうか。
  • 人の評価と神様(イエス様)の見るあなたは、何が違うでしょうか。
2019/3/24

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:エペソ人への手紙 6章21-24節
手紙の最後に祝福の祈りを

21私の様子や私が何をしているかを、あなたがたにも分かってもらうために、愛する兄弟、主にある忠実な奉仕者であるティキコがすべてを知らせます。
22  ティキコをあなたがたのもとに遣わすのは、ほかでもなく、あなたがたが私たちの様子を知って、心に励ましを受けるためです。
23信仰に伴う、平安と愛が、父なる神と主イエス・キリストから、兄弟たちにありますように。
24  朽ちることのない愛をもって私たちの主イエス・キリストを愛する、すべての人とともに、恵みがありますように。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

■アウトライン

  1. 神との和解は人との和解に

平和という言葉に手紙で書いてきた全てがぎゅっと詰まっています。
イエスのくださった平和、それは神との平和であり、人との平和でした。
神との間にあった溝が埋められ、神との関係が修復し、神との間に平和が戻ったのです。
まだ過去の傷がうずくかもしれないけど、あなたの罪の清算は十字架で完了しています。
罪に支配される人生ではなくて、神の恵みに支配される人生を送ることができるようにとパウロは最後まで祈るのです。
神との平和を取り戻すと、以前は気にも留めなかったかもしれませんが、人の間にある壁が見えてきます。
この壁もイエスはぶっ壊すと言われます。でも、実際には教会の人間関係に嫌気が指すことがあります。

  1. 祈れないなら、代わりに祈る、それが教会

諦めて、そこで終わりにしたくないんです。自分では祈りたくもないときもあるでしょう。
そうしたら、周りの誰かが代わりに祈ります。
「嫌な思いしたけど、それでも私たちの常識や経験をはるかに超える神の働きを見させてください」と祈っていきたいんです。
覚えておきたいのは、本当に困難な状況を前にして、そこを私たちの想像もしない方法で神が解決を与えてくださる、
そういう体験を重ねていく中で、神の豊かさを私たちは味わっていくということです。

  1. 「恵み」に生かされる毎日を

直前20節でパウロは使節、神の国の代表者として、この世界に遣わされていると語ったように、
今の時代、私たちが神の国の代表者として神を映し出す特別な役割を果たすという名誉ある働きを任されています。
私の手が神の手になり、私の口が神の口になるのです。これはただただ恵みによるです。
「自分が優れているから、神の働きができる」とんでもない誤解です。ふさわしくないけど、それでも私たちに託してくださるのです。
そのために、「精一杯、神を愛し、昔のような生活を捨てて、神の愛を生活の中心におくんですよ」と言われます。

■一緒に考えてみましょう

  • 神との和解、人との和解。今の私はどちらに関心が向くでしょうか。
  • 「この人ために祈りたい」と思い浮かぶ人がいたら、その人のために祝福を祈りましょう。
2019/3/17

説教者:渋谷 昌史 伝道師
聖    書:エペソ人への手紙6章18-20節
祈ろう、祈ってもらおう

18.あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。
そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。
19.また、私のためにも、私が口を開くときに語るべきことばが与えられて、福音の奥義を大胆に知らせることができるように、祈って下さい。
20.私はこの福音のために、鎖につながれながらも使節の務めを果たしています。
宣べ伝える際に、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

■アウトライン

1.祈らないクリスチャンはどうなるの?

パウロの最後の勧めは「祈り」です。
というのも、やっきになって悪魔が策略にかけようとするのは、実は、聖霊に満たされた「祈るクリスチャン」だからです。
そのことは、バプテスマを受けたばかりのイエスさまが、福音宣教に出て行かれる前に、「悪魔の試み」にあわれたことからもわかるでしょう。
だからパウロは、世に出て行く私たちに対して、キリストを着て、神のことばを持ち、
「あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。
そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい」
と言うのです。
祈らないクリスチャンは、悪魔の策略に引っかかっていたと気づくところから再スタートを切りましょう。
神さまに心を向けた瞬間から祈りの質は変わります。

2.祈りのある生活から、生活そのものが祈りになるように

18節のもともとのギリシャ語を直訳すると、
「すべての祈りと願いとによって、すべての機会に、霊によって祈りつつ。
そしてそのために、すべての忍耐とすべての聖徒たちのための願いとをもって、眠らないで」
となり、
ここには「すべての」というギリシャ語の単語が4回も出てくることがわかります。
要するに、クリスチャンはすべての機会に「聖霊によって」祈りなさい、とパウロは言うのです。
すべての機会に祈る生活をしていたら、私たちの生活そのものが祈りになります。 

3.互いに祈り合う関係へ

19、20節に見られるパウロの「祈ってください」という願いは、「悪魔の攻撃にあっているから祈って」という弱気なものではありません。
鎖につながれ不自由な身であっても、キリストに捉えられ、キリストのためにますます大胆に語り続けることができるよう祈って欲しい、とパウロは言うのです。
パウロもエペソ書の読者も互いに会ったことはありませんが、キリストを通して、祈り合える関係にあります。
悪魔の攻撃は、絶え間なく起こるでしょうが、恐れることはありません。
十字架にある勝利に心を向け、私たちの教会が「祈りの家」となるよう共に祈り合い、
私たちの生活そのものが祈りになるよう、イエスさまの背中を見つめて歩もうではありませんか。

■一緒に考えてみましょう

  • あなたにとって「祈り」とはなんですか?
2019/3/3

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:エペソ人への手紙 6章10-17節
悪魔の策略にご注意を

10  終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
11悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。
12私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。
13ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、一切を成し遂げて堅く立つことができるように、神のすべての武具を取りなさい。
14そして、堅く立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、
15足には平和の福音の備えをはきなさい。
16これらすべての上に、信仰の盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢をすべて消すことができます。
17救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

■アウトライン

  1. 神の武具を身につけて悪魔の策略に立ち向かう

10-11節が今日の要約になります。神様が私たちを強くしてくれる。
具体的には、神の武具を身につけることで悪魔の策略にも、立ち向かうことができる。
最初に話した育児も、そうだなと思うんです。
まんまと策略にハマれば、「なんでオレばっかり子どもの面倒を見なくちゃいけないんだ」と思うでしょうし、
育児を通して神の恵みを見つけることもできるのです。
これが今日のテーマ、毎日の生活を舞台にした霊的な戦いです。

 

  1. イエス・キリストこそ神の武具

神の武具は、真理、義、平和の福音、信仰、救い、神のことばです。共通点は、イエス・キリストです。
イエスこそ真理であり、私たちは真実を語るべきです。イエスこそ私たちを神に受け入れられるように(義)としてくださったお方です。
それが平和の福音であり、イエスのなさった真実さと私たちの信頼が私たちを救うのです。
イエスは神のことばを用いて、悪魔の誘惑を退けました。
イエス・キリストがなしてくださったことこそ、神の武具なのです。

 

  1. 私たちが神の家なのです

この約束の実現を夢見た1年でした。ここが神の住む場所でありたいし、ここで神に会いたいと祈ってきました。
まさに教会が教会らしく、神を映し出そうとするとき、戦いが起こるということを今日、改めて教えられたように思います。
悪魔は必死に領土を守ろうと攻撃を仕掛けてきます。教会の中は混乱するでしょう。私たち個人個人も同じです。
神に信頼しようとするとき、悪魔は必死に攻撃をしてきます。それに驚いてはいけないのです。
戦いは起こるけど、この戦いを制する秘訣は神の武具を身につけて、強くしていただくということです。

■一緒に考えてみましょう

  • 私たちの戦いの最前線はどこでしょうか。
    教会にとって、また私たちそれぞれの個人的な生活での悪魔の策略に翻弄されそうな戦いの最前線はどこでしょうか。

2月

2月

 エペソ書講解

月 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12
2019/2/24

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:エペソ人への手紙 6章5-9節
職場関係の秘訣

5  奴隷たちよ。キリストに従うように、恐れおののいて真心から地上の主人に従いなさい。
6  ご機嫌取りのような、うわべだけの仕え方ではなく、キリストのしもべとして心から神のみこころを行い、
7  人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。
8  奴隷であっても自由人であっても、良いことを行えば、それぞれ主からその報いを受けることを、あなたがたは知っています。
9  主人たちよ。あなたがたも奴隷に対して同じようにしなさい。脅すことはやめなさい。
あなたがたは、彼らの主、またあなたがたの主が天におられ、主は人を差別なさらないことを知っているのです。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

■アウトライン

  1. 「奴隷」が「キリストの奴隷」に

仕事上の肩書きが「奴隷」だとしても、もうただの奴隷ではありません。「キリストの奴隷」に変わりました。
あなたのアイデンティティは、イエス様に出会い、愛され、結ばれて、全く新しくされます。
キリストはギリシャ語で皇帝、王様という意味ですから「キリストの奴隷」は「皇帝に仕えるしもべ」です。
自分自身が誰であるのか、という認識は本当に大きな変化をもたらします。
人の目から、神の目を意識するようになります。
ミケランジェロはシスティーナ礼拝堂の天井画の細部まで手を抜かなかった理由を「神様がご覧になる」と言ったそうです。

 

  1. 同じ仕事なのに、全然違う。そのコツは、

「喜んで!仕えなさい。主に仕えるように」(7節)。
この言葉が明日からの仕事の質を変えてくれる神様の約束だと私は信じています。
喜んで!に強調点があります。目の前にいるのはいつもと同じ人ですが、意識するのは主なる神。
明日の仕事は神様に捧げる。そんなモチベーションで取り組んでみませんか?
「今日の仕事は神様、あなたに捧げます。あなたに仕えるように喜んで仕事をさせてください!!」
バッハが楽譜の最後に、SDGと書き込んだと2017年の秋に話しました。
ラテン語でSoli Deo Gloriaただ神に栄光あれ、ですね。
祈って始めて、栄光を神に帰して仕事を終える。明日の仕事に衝撃が走る予感がします。

 

  1. 生活に直結する福音のリアル

今日は仕事や職場の人間関係について話しましたが、今日まで3週間に渡って、人間関係にフォーカスしてきました。
夫婦関係、親子関係、そして家の奴隷との関係。
どの関係の中でも、神様を映し出すことができますが、簡単なことではありません。
今、苦しんでいる人もいるでしょう。
慎重に扱わなければいけないテーマであるのは間違いないですが、そういう生活に直結するレベルの話題だからこそ、リアルです。
完璧な模範である必要はないですが、キリストを示すことができますようにと祈ります。

■一緒に考えてみましょう

  • 「キリストの奴隷」なら、キリストのために働く奴隷という意味でしょうか。
    あなたの立場を「キリストの〇〇」と言い換えると、どうなりますか?どんな意味があるでしょうか?
2019/2/17

説教者:渋谷 昌史 伝道師
聖    書:エペソ人への手紙6章1-4節
主イエスがなさったように

1.子どもたちよ。主にあって自分の両親に従いなさい。これは正しいことなのです。
2.「あなたの父と母を敬え。」これは約束を伴う第一の戒めです。
3.「そうすれば、あなたは幸せになり、その土地であなたの日々は長く続く」という約束です。
4.父たちよ。自分の子どもたちを怒らせてはいけません。むしろ、主の教育と訓戒によって育てなさい。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

■アウトライン

1.「主にあって」(6:1)

私たちが親子関係と聞いて思い浮かべることは、自分の両親との関係、自分の子どもとの関係でしょう。
しかしパウロの頭にあるのは、父なる神と子なるキリストの関係だけです。私たち人間の親子関係ではないのです。
だから、「イエスさまだったらどうされるだろうか?」という問いかけは、親子関係を見つめる上でも大切になってきます。
1節にある、「子どもたちよ。主にあって自分の両親に従いなさい。これは正しいことなのです。」というみことばと向き合うには、
『主にあって』という言葉を絶対に見落としてはいけないのです。

2.幸せをもたらすキリスト(6:2,3)

子が一番初めに心を向けるべきは「イエスさま」であって、両親ではありません。
そのことに気づくことができれば、子が親を思う気持ちは変わります。
ここでパウロはモーセの十戒を例に挙げて、「『あなたの父と母を敬え。』これは約束を伴う第一の戒めです。『そうすれば、あなたは幸せになり、その土地であなたの日々は長く続く』という約束です」と言っています。
それは、キリストが父なる神に仕えたように、私たちも「キリストの心」をもって父と母を敬うことができれば、幸せになれる、とみことばが約束しているからです。

 3.「主の」教育と訓戒によって(6:4)

親の思いがそのまま子どもへと向かったらどうなるでしょう? 自分の子どもたちを怒らせる結果を招くのではないでしょうか。
そうではなくて、「『主の』教育と訓戒によって育てなさい」というみことばを心に留め、神さまに祈りつつ、子どもとの接し方を考えていけば、
親と子がぶつかり合うことも、親が一方的に子どもを服従させるようなことも、なっていくと思うのです。
主イエスがなさったことは何なのか? 自分を捨てて、神に仕え、人に仕える生き方ではなかったでしょうか?
子である者も、父や母である者も「主にならって」生きることができれば、互いに幸せになります。
「その土地であなたの日々は長く続く」という約束は、永遠のいのちでもって、主イエスと共に「神の国」を生きるという祝福へとつながることでしょう。

■一緒に考えてみましょう

  • 自分の親子関係が「主にある」関係かどうか見つめ直してみましょう。
2019/2/10

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:エペソ人への手紙 5章22-33節
夫婦関係の秘訣

5:22 妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい。
5:23 キリストが教会のかしらであり、ご自分がそのからだの救い主であるように、夫は妻のかしらなのです。
5:24 教会がキリストに従うように、妻もすべてにおいて夫に従いなさい。
5:25 夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。
5:26 キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、
5:27 ご自分で、しみや、しわや、そのようなものが何一つない、聖なるもの、傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。
5:28 同様に夫たちも、自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する人は自分自身を愛しているのです。
5:29 いまだかつて自分の身を憎んだ人はいません。むしろ、それを養い育てます。キリストも教会に対してそのようになさるのです。
5:30 私たちはキリストのからだの部分だからです。
5:31 「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」
5:32 この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。 33 それはそれとして、 あなたがたもそれぞれ、自分の妻を自分と同じように愛しなさい。 妻もまた、自分の夫を敬いなさい。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

■アウトライン

  1. イエスのように従いなさい

妻たちよ、夫に従いなさい。
イエスが仕えさせるためではなく、仕えるために人生を過ごされたのと同じように、夫に従いなさい。
これはイエス・キリストを証しする生活です。

真剣に聖書に従おうとする人たちを、誤った方向に導くことはしたくありません。
はっきり言えることだけ語ります。
それは、男性も女性もイエスのように生きなさい。お互いを大切にしなさい。
神に愛された者として、目の前にいる大切な人を神からの愛で大切にするのです。

 

  1. イエスのように愛しなさい

夫たちよ、妻を愛しなさい。
イエスが十字架にかかったように、あなたの全て妻に捧げなさい。明確にイエスの生き方を指し示しています。
ここでいう愛とは、自分勝手な愛ではありません。あなたが神様から受けた愛を、あなたは妻のために使いなさい。
イエスがあなたに新しい命を与えてくれたのなら、その人生を妻のために使いなさい。
これが夫への言葉です。「女性は男性の所有物」だと見なされていた時代にあって、革命的な教えです。

 

  1. 夫婦の姿がキリストを証しする

夫婦の姿は、キリストと教会の奥義を指していると言われます。
キリストが神の元を離れ、教会と結ばれ、今はキリストと教会は一つである。
教会は汚れ、シミ、しわ、そういうものを抱えているけど、キリストと結ばれたゆえに、聖なるものと呼ばれるのです。
教会が元々、聖いのではなく、キリストと一つになっているから、聖くされていく。
これは、夫婦関係で言えば、夫は妻を愛することで、妻は夫を敬うことで、夫婦を通して、キリストの愛が表され、聖められていく。
だから、夫婦のあり方は、実はキリストと教会を指し示すのです。

■一緒に考えてみましょう

  • 夫婦関係かどうかはわかりませんが、あなたの最も大切な関係は今、どうでしょうか?
2019/2/3

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:エペソ人への手紙 5章15-21節
私を酔わせるもの

5:15  ですから、自分がどのように歩んでいるか、あなたがたは細かく注意を払いなさい。知恵のない者としてではなく、知恵のある者として、
5:16  機会を十分に活かしなさい。悪い時代だからです。
5:17  ですから、愚かにならないで、主のみこころが何であるかを悟りなさい。
5:18  また、ぶどう酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。むしろ、御霊に満たされなさい。
5:19  詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い、主に向かって心から賛美し、歌いなさい。
5:20  いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって、父である神に感謝しなさい。
5:21  キリストを恐れて、互いに従い合いなさい。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

■アウトライン

  1. 知恵とは、神に信頼すること

聖書で「知恵」と言ったら、多くの場合、神を知っている、神が私の人生の最終責任者、神への信頼、そういう信仰的な意味で使われます。
生活の知恵と言いますが、聖書を語り継いできたイスラエル民族にとって、何が大事なのかと言えば、
結局「聖書の神を忘れるなよ」ということに尽きるので「知恵」という言葉が神への信頼を表すようになったのでしょう。

昨日の葬儀に際して「湿っぽいのは嫌いだから、明るく送り出してください。天国へ駆け上がっていくのですから」とリクエストを受けたのですが、
まさに知恵ある人の言葉でした。

 

  1. お酒ではなく、聖霊に酔う

お酒が人に影響を与えるという点については、自分で飲む人も、飲まない人も想像できると思います。
「お酒に影響を受けるくらい、神様の霊に影響を受けていますか?」これが大事な問いかけです。
お酒に力がありますが、聖霊の影響力はそれ以上。これがパウロの主張です。

聖霊に影響を受けることと「賛美、賛美、感謝、従う心」この4つが密接な関係があるのです。
聖霊に影響を受けるために賛美や感謝、従う心が役に立つし、賛美や感謝、従う心によって聖霊の影響を受けることもありそうです。

 

  1. 賛美と感謝と従う心

4つのうち、前半2つは賛美です。
それだけ賛美と聖霊の満たしは関係が深いのでしょう。私の内側から出てくるものを主に向かって歌う。
そういう意味で、正しい音で歌うことも大事ですけど、自分の心を賛美に重ねて歌うことはもっと大事です。

3つ目は感謝です。
以前、リトリートで霊的習慣として「感謝」を取り上げましたが、生活を振り返って感謝を数えると、見過ごしていた神の恵みに気づくことができ、有益です。

4つ目は従う心です。
人生のものさしがキリストであるなら、キリストのような生き方をしなさい。従う心はキリストの心です。

■一緒に考えてみましょう

  • 聖霊に満たされている、導かれているという私なりの感覚があったら言葉にしてみよう。
  • 私の人生のものさしは何だろうか。何を恐れ、何を気にしながら生活しているだろうか。

1月

1月

エペソ書講解

月 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12
2019/1/27

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:エペソ人への手紙 5章8-14節
暗闇を照らす勇気

5:8  あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。光の子どもとして歩みなさい。
5:9  あらゆる善意と正義と真実のうちに、光は実を結ぶのです。
5:10何が主に喜ばれることなのかを吟味しなさい。
5:11実を結ばない暗闇のわざに加わらず、むしろ、それを明るみに出しなさい。
5:12彼らがひそかに行っていることは、口にするのも恥ずかしいことなのです。
5:13しかし、すべてのものは光によって明るみに引き出され、明らかにされます。
5:14明らかにされるものはみな光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ、起きよ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストがあなたを照らされる。」

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

■アウトライン

  1. イエスの光を求める勇気

自分では闇に、罪に、気づくことが難しいから、神が私たちのところに来てくれるのです。
イエスは言いました。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」(ヨハネ8:12)
イエス・キリストは私たちの光です。イエス・キリストが暗闇から救い出してくれるのです。
ここで必要なことは、自分の内にある闇を認める勇気、そしてイエスを心から求める勇気です。
イエスに人生を明け渡す人は誰でも、光の子ども、神の子どもと呼ばれます。

  1. 神にストップをかけてもらう勇気

甘い誘惑はあるのです。今までの慣れ親しんだライフスタイルがあるのです。
あれだけ一大決心をして昔の誘惑から離れたのに「ちょっとくらい、大丈夫かな」と自分の内側から声が聞こえてくるかもしれないし、
周りが言うかもしれません。光から離れそうになる時、引き込まれそうになる暗闇を照らす勇気が必要です。
「神様、助けてください。誘惑に屈しそうです。あまりにも魅力的に見えます。助けてください。神様の光で暗闇を照らし、その行き着く先を教えてください。」と祈り、神様にストップをかけてもらいたいのです。

  1. 暗闇を祝福に変えてもらう勇気

闇から光に移してくれた神は、私たちの口にするのもはばかられる恥ずべきことを神様が明るみに出すことで、
私たちが生来の弱さや自分の人格の深い傷をくぐり抜け、霊的に成長するように導かれます。
これを知る前と知った後では、私の暗闇(弱さや傷)に対する見方が180度、変わりました。
本当に恥ずべきことであっても、本能的に隠そうと思っても、神にも知られたくない暗闇を、神は用いる。
傷口は祝福の入口になるのです。これが福音の豊かさです。暗闇さえ、祝福へと変えてくれる。
「闇の中から光を輝き出よと言われる神」(2コリント4:6)は、私たちの人生の暗闇を祝福へと変えてくださるお方なのです。

■一緒に考えてみましょう

  • 神が示してくれた私にとっての暗闇とは何でしょうか。
  • 神様が教えてくれた暗闇を照らす勇気はどのようにして持つことができるでしょうか。
2019/1/20

説教者:渋谷 昌史 伝道師
聖    書:エペソ人への手紙5章3-7節
聖徒として生きる

3.あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、淫らな行いも、どんな汚れも、また貪りも、口にすることさえしてはいけません。
4.また、わいせつなことや、愚かなおしゃべり、下品な冗談もそうです。これらは、ふさわしくありません。むしろ、口にすべきは感謝のことばです。
5.このことをよく知っておきなさい。淫らな者、汚れた者、貪る者は偶像礼拝者であって、こういう者はだれも、キリストと神との御国を受け継ぐことができません。
6.だれにも空しいことばでだまされてはいけません。こういう行いのゆえに、神の怒りは不従順の子らに下るのです。
7.ですから、彼らの仲間になってはいけません。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

■アウトライン

1.聖徒にふさわしく(5:3)

「聖徒」とは「クリスチャン」のことです。それでは「聖徒」にふさわしい生き方とはどんな生き方なのでしょうか?
5章に3つのことが書かれています。
一つは「愛されている子どもらしく、神に倣う者となりなさい」(5:1)ということ。
二つ目は「愛のうちに歩みなさい」(5:2)ということ。
そして三つ目は「あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、淫らな行いも、どんな汚れも、また貪りも、口にすることさえしてはいけません」(5:3)ということです。
私たちは、この三つ目の警告をパウロが私たち「クリスチャン」に語っていることを忘れてはならないでしょう。

2.感謝の言葉をもって(5:4)

ここで心に留めておきたいことは、パウロが「聖徒にふさわしく」と言っているのは、
クリスチャンは既に「聖徒」にされているのだから、「聖徒にふさわしく生きなさい」、ということなのです。
そして、パウロは「聖徒」にふさわしくないこととして、わいせつなことや、愚かなおしゃべり、下品な冗談を挙げたあと、
「口にすべきは感謝のことばです」と言いました。
主への感謝のことばも、自分や他人をも傷つけることばも、その両方が私たちの口から出るのであるなら、
私たちは自分の口を制して、神さまに感謝のことばを捧げ、隣人を生かす言葉を口にしたいですよね。

3.キリストと神との御国を受け継ぐために(5:5-7)

「淫らな者、汚れた者、貪る者は偶像礼拝者であって、こういう者はだれも、キリストと神との御国を受け継ぐことができません。」(5:5)とまでパウロが言うのは、そういう人は自分のことをクリスチャンと言いながら、神を神としない生き方を選び、イエスさまを「主」と告白しながらキリストに従う生き方を拒んでいるからです。
これは聖徒の生き方、クリスチャンの生き方ではないのです。
それなら私たちは「キリストと神との御国を受け継ぐ」ためにどう生きたら良いのでしょうか?
「聖徒」として生きればよいのです。自分の口を制し、主をほめたたえ、主に感謝を捧げる生き方です。
愛されている子どもらしく、神に倣う生き方であり、愛のうちに歩む生き方です。

■一緒に考えてみましょう

  • クリスチャンになってからの聖霊に導かれた人生を振り返ってみましょう。
2019/1/6

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:コリント人への手紙第一 13章13節
君の夢を聞かせて

13  こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

■アウトライン

  1. 大事に握っているものは変わらないものか

今日の聖句は連合の2019年度の主題聖句です。理事長の米内先生が神様から受けた夢です。米内先生の言葉です。
「かつてこの国の中で掲げられてきた「進歩、発展、成長」というような言葉を現在は使えずとも、時代を超えて常に変わらない主の真実が教会にはあります。
「信仰と希望と愛」は変わることなく、人間と教会、社会の原動力なのです。」
前後の文脈を読むと、一次的で廃れる賜物と、決して廃れない愛が対比されています。原動力が廃れたら一大事です。

  1. 一時的で廃れるもの、決して廃れないもの

どんな才能も能力も賜物も、廃れるときがくる。それが神様からいただいた特別なものであっても、いつかは廃れる。
でも、決して変わらないものがある。信仰、希望、愛です。特に13章では愛を取り上げて、賜物と比較します。
どれほど神様が役に立つ賜物をくださったとしても、立派な行いをしたとしても、持っているすべての持ち物を分け与えたとしても、
そんなの何の役にも立たない、そこに神からのいただいた愛がないなら。
これが聖書の価値観です。神の愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

  1. 教会を通して、世界を変える

10年前、前任者の真田牧師が、笑われるかもしれないけどと前置きした上で「教会を通して、世界を変える」と夢を語りました。
私は痺れました。牧師室で1人、感動しました。
練馬区桜台、ここから世界を変えて行こうと神様からチャレンジを受けた人は私だけじゃなかったと知ったからです。
泉田先生は「聖書を説き、教会を建て、社会に仕えよう」と言われました。
私は、まだ自分なりの言葉を探し始めたところですが、ここにいる皆さんと一緒に、神様からの夢を見たいのです。
「神様、あなたの夢を聞かせてください」と一緒に祈りたいのです。

■一緒に考えてみましょう

  • 個人的な願望とは違う、神様から託されたあなたの夢を持っていますか?
  • 教会の働きとして、神様から託された夢だと思って、心の中で温めてきたことはありますか?

12月

12月

アドベント、クリスマス

月 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12
2018/12/30

説教者:渋谷 昌史 伝道師
聖    書:マタイの福音書28章16-20節
託された人をイエスの弟子に

16.さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示された山に登った。
17.そしてイエスに会って礼拝した。ただし、疑う者たちもいた。
18.イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしは天においても地においても、すべての権威が与えられています。
19.ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、
20.わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

■アウトライン

1.再出発が赦されている恵み(16-17節)

舞台はガリラヤです。私たちにとってそこはどんな場所なのでしょう。
そこは神ご自身であられるイエスさまが、たった一人、福音宣教を始められた場所です。
弟子たちにとっては「イエスさまと共に歩み始める」スタート地点であり、復活のイエスさまと共に歩み始める「再出発」の場でもありました。
主イエスを信じたり疑ったりすることを繰り返してしまう私たちも、一人一人が「心のガリラヤ」をお持ちです。
そこは一人一人がイエスさまと出会ったところであり、何度でも立ち返ることのできるところです。主が共におられるのですから。

2.イエスさまの声は、天地万物の支配者の声(18節)

イエスさまを疑ったり、離れたり、一歩を踏み出すのをためらってしまう私たち。
そのような私たちに声をかけて下さるのは、いつもイエスさまの方からです。
イエスさまは、ご自分のことを「天においても地においても、すべての権威が与えられている」と言われました。
私たちはキリストに出会い「救われた」と言いますが、その救いの範囲は、私たちの想像をはるかに超えた壮大なものです。
「あなたと共にいるよ」と私たちに言い続けて下さるお方の声は、天地万物、すべてのものの支配を神さまから委ねられたイエスさまの声です。
その声を私たちは誰に届けますか?

 3.託された人をイエスの弟子に(19-20節)

「天地万物、全世界、全宇宙を支配するわたしの弟子にするように」とイエスさまは私たち一人一人に言われます。
とてつもなく大きな使命ですよね。「私になんてとても無理です」と尻込みしてしまうこともあるでしょう。
しかし、自分の救いを思い返してみて下さい。
私たち一人一人が救いへと導かれるまでに、先に救いへと導かれたイエスさまの弟子である教会員、牧会者、他教会の皆さまから、
私たちはどれほど祈られ、イエスの弟子になるためにみことばから教えられてきたことでしょう。
今度は、私たちが自らに託された人をイエスの弟子へと導く番です。

■一緒に考えてみましょう

  • 2018年の歩みの中で、主と共に歩む幸いを感じた出来事を思い起こし、主に感謝の祈りを捧げましょう。
    そして来る2019年の信仰の歩みのために祈りましょう。
2018/12/23

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:マタイの福音書 1章18-25節
悩むけど救いを見つけた

18  イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。
19  夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。
20  彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて言った。
「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。
21  マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」
22  このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。
23 「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」
それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。
24 ヨセフは眠りから覚めると主の使いが命じたとおりにし、自分の妻を迎え入れたが、
25 子を産むまでは彼女を知ることはなかった。そして、その子の名をイエスとつけた。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

■アウトライン

  1. 救い主の父親も「悩むけど救いを見つけた」

戸惑いから始まり、絶望を通りつつ、神と人との前に誠実な判断を下そうとしたヨセフ。
そこに神が介入するのです。恐れるなと声をかけ、すべきことと状況説明をします。
そして、神から使命が託されます。救い主の父親になりなさいと。
そして長年、聖書で語られてきた変わることのない神の約束「神が私たちとともにおられる」が語られます。
夢から覚めたヨセフは神のことばを信じ、従いました。
「悩むけど救いを見つけた」救い主の父親のストーリーです。

  1. リスクはあるけど、神の確かな守りの中を

ヨセフは神の言葉に信頼し、神の言われた通りに行動しました。リスクはありました。
そして、この先もリスクを抱えていきます。それでも神に従う道を選び、神の約束の確かさを実感する人生を歩むのです。
神に与えられた使命、神の命じられた生き方を貫くなら、最後まで神が責任をとってくれます。
恐れを抱く現実が目の前にないわけではありません。困難もあるでしょう。
だけど、神は言われます。「恐れるな。あなたを見放さず、見捨てない。あなたの行くところどこにでも、わたしがあなたとともにいる」

  1. 絶対に裏切られない関係がここに

人生、悩みはつきものです。神に従う人も、背中を向ける人も悩みはあります。
でも、本当に追い込まれたときに、1人じゃないって知っていることは大きいです。
神の約束は決して変わりません。「一緒にいる」と約束したら「一緒にいる」。
クリスチャンになっても悩みは尽きません。でも、全てが変わっていく世の中にあって、本当に変わらないものを握っていられる。
絶対に裏切られない関係がある。100%信じて大丈夫な関係がある。これは一生の支えです。

■一緒に考えてみましょう

  • 「悩むけど、救いを見つけた」というあなたのストーリーを教えてください。
2018/12/16

説教者:渋谷 昌史 伝道師
聖    書:ヨシュア記1章1-9節
いつも私たちと共におられる主

1.のしもべモーセの死後、はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに告げられた。
2.「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこの民はみな、立ってこのヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの子らに与えようとしている地に行け。
3.わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたが足の裏で踏む場所はことごとく、すでにあなたがたに与えている。
4.あなたがたの領土は荒野からレバノン、そしてあの大河ユーフラテス川まで、ヒッタイト人の全土、日の入る方の大海までとなる。
5.あなたの一生の間、だれ一人としてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしはモーセとともにいたように、あなたとともにいる。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。
6.強くあれ。雄々しくあれ。あなたはわたしが父祖たちに与えると誓った地を、この民に受け継がせなければならないからだ。
7.ただ強くあれ、雄々しくあれ。わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法のすべてを守り行うためである。
これを離れて、右にも左にもそれてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたが栄えるためである。
8.このみおしえの書をあなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさめ。そのうちに記されていることすべてを守り行うためである。
そのとき、あなたは自分がすることで繁栄し、そのとき、あなたは栄えるからである。
9.わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。
あなたが行くところどこででも、あなたの神、主があなたとともにおられるのだから。」

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

■アウトライン

1.信仰の一歩を踏み出す(1-4節)

ヨシュア記で記されている戦いは「神の戦い」です。
「『信仰とは戦いである。』これがヨシュア記のテーマだ」とある先生が言われましたが、「信仰とは戦いである」と考えると、ヨシュア記の物語は、今を生きる私たちにとって関係無いとは言えません。
それどころかすべての信仰者の心に訴えかける物語でしょう。
私たちの信仰の戦いの舞台は何処でしょうか? そうです「心」です。
神さまが支配して下さる心の領域が広がると、平安がもたらされます。
しかし、神さまから離れ、心が不信仰に傾くと、心は穏やかでなくなります。
だから徹底して神に頼って生きるには、折に触れて自分の思いを捨てて行くことが求められます。それは信仰者に必要な試練かもしれません。

2.わたしはあなたとともにいる(5-7節)

私たちを強く雄々しくさせるのは、「わたしはあなたとともにいる。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない」(5節)という神さまからの約束によるのです。
神を信じるすべての人のために、神さまは「あなたとともにいる」と言われます。
私たちの側で神さまから離れてしまっても、神さまはそれでも「わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない」と言って下さるお方です。
神さまがそのように私たちに語りかけて下さるから、私たちは勇気を出して一歩前へと進むことができるのです。
信仰の戦いに必要な勇気は、神さまから来るのです。

3.みことばに信頼する

「主が共におられる」という事実は、みことばに生きる者だけが体験し得る奇跡であり、祝福です。
神のことばそのものである聖書のみことばを心に蓄えて口ずさみ、みことばに信頼し、みことばに生きるのであるなら、私たちの歩みは主によって真っすぐにされます。
私たちの歩みは右にも左にもそれなくなっていくでしょう。不信仰に陥ることも次第に減ってくるでしょう。神を信頼し、みことばに生きたヨシュアだからこそ、神さまに勇気づけられ、強く雄々しくいられたのです。

■一緒に考えてみましょう

  • 「あなたと共にいる」と言われる主のことばに助けられて信仰の一歩を踏み出したとき、あなたの人生にどんな変化が生じましたか?
  • 「この世の闇に、モーセが遣わされたように、あなたを遣わす。」と聞いてどう思いますか。
2018/12/9

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:出エジプト記 3章9-12節
叫びは届く

9  今、見よ、イスラエルの子らの叫びはわたしに届いた。わたしはまた、エジプト人が彼らを虐げている有様を見た。
10  今、行け。わたしは、あなたをファラオのもとに遣わす。わたしの民、イスラエルの子らをエジプトから導き出せ。」
11  モーセは神に言った。「私は、いったい何者なのでしょう。ファラオのもとに行き、イスラエルの子らをエジプトから導き出さなければならないとは。」
12  神は仰せられた。
「わたしが、あなたとともにいる。これが、あなたのためのしるしである。このわたしがあなたを遣わすのだ。
あなたがこの民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で神に仕えなければならない。」

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

■アウトライン

  1. 私の叫びは届いている

私たちはこの世界で、神を知らない、神なんかいないと否定する世界にいます。
そこで過ごす時間が多ければ多いほど、信仰が揺さぶられるリスクは上がります。
「私は必要なかった。いなくてもどうとでもなる」と思ってしまうような現実と向き合うことがあるでしょう。
だから、この日曜日、神を礼拝する時間に、今日も確認しましょう。私の叫びは神に届いていたんだと。
「神様、助けてください」と祈れないほど追い込まれていたとしても、それでも私のうめきを神は注意深く聞いてくれた。
これが出エジプトの時代から変わらない私たちの父なる神です。

  1. 神に託された使命に怖気づく

「神様、私はいったい何者なのでしょうか。」と言ったモーセの気持ちはよくわかります。
私たちも、神様に大切な役目を託されたとき、モーセのように答えるだろうなと思うのです。私たちは誰もそんな器ではありません。
大事な役目だと理解しているから、その重大さがわかっているから、私ではない、ほかの人に当たってくださいと断りたくなる。
でも、神様がモーセに託したように、あなたに託したよと言っていることがきっとあると思います。
あなたが見て見ぬ振りをしてきたことはないでしょうか。

  1. 「わたしが共にいる」という神の約束

「わたしがあなたと共にいる。モーセ、あなたは何者でもないかもしれない。でも、あなたと共にいるのが誰かよく考えなさい。
神であるわたしがあなたと共にいる。あなたを守り、助け、導くのはあなたじゃない、わたしだ。わたしが保証する。
わたしがあなたを遣わすのだ。この先、わたしが遣わした先で起こるすべてのことは、このわたしが確かに保証する。」と聖書の神様は言われるのです。
私たちが頼りになるかどうかはわかりませんが、誰よりも頼りになり最後まで責任を取ってくれる神が保証してくれる。これほど心強いことはありません。

■一緒に考えてみましょう

  • 「あなたの叫びは届いている」と言われる神からの答えを聞いて、どう思いますか。
  • 「この世の闇に、モーセが遣わされたように、あなたを遣わす。」と聞いてどう思いますか。
2018/12/2

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:詩篇 5篇1-12節
私の声を聞いて

1 私のことばに耳を傾けてください。主よ。 私のうめきを聞き取ってください。
2 私の叫ぶ声を耳に留めてください。 私の王 私の神 私はあなたに祈っています。
3 主よ 朝明けに 私の声を聞いてください。 朝明けに 私はあなたの御前に備えをし 仰ぎ望みます。
4 あなたは悪を喜ぶ神ではなく わざわいは あなたとともに住まないからです。
5 誇り高ぶる者たちは 御目の前に立つことはできません。 あなたは不法を行う者をすべて憎まれます。
6 あなたは偽りを言う者どもを滅ぼされます。主は人の血を流す者や 欺く者を忌み嫌われます。
7 しかし私は あなたの豊かな恵みによって あなたの家に行き
あなたを恐れつつ あなたの聖なる宮に向かってひれ伏します。
8 主よ 私を待ち伏せている者がいますから あなたの義によって私を導いてください。
私の前に あなたの道をまっすぐにしてください。
9 彼らの口には真実がなく 心にあるのは破壊です。彼らの喉は開いた墓。彼らはその舌でへつらうのです。
10 神よ 彼らに責めを負わせてください。彼らが自分のはかりごとで倒れますように。
その多くの背きのゆえに 彼らを追い散らしてください。あなたに逆らっているからです。
11 どうか あなたに身を避ける者がみな喜び とこしえまでも喜び歌いますように。
あなたが彼らをかばってくださり 御名を愛する者たちが あなたを誇りますように。
12 主よ まことにあなたは 正しい者を祝福し 大盾のように いつくしみでおおってくださいます。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

■アウトライン

  1. 問題がある/なしよりも、問題にどう対処するか

正直になることからアドベントを始めたいのです。その第一歩がこの祈りです。
この詩篇の祈りは、問題を抱えている人の祈りです。それも深刻な問題です。
だけど、神様ならどうにかできると心から信じている信仰者の祈りです。「私が必死で生きてるの、見てくれてる?」と必死で訴えます。
必死で訴えなきゃいけないくらい苦しい状況に追い込まれています。
そういう状況で、諦めないで、粘り強く祈り続けていますかと私たちはチャレンジを受けるのです。

  1. 祈りは時間をかけて変わっていく

聞いてください!という必死な祈りから始まりました(1-3節)が、
途中で神の恵みがあるから、礼拝をさせてもらえる、神に受け入れてもらえる、という安心感になりました(7-8節)。
最後は、私の問題は全然気にならなくなり、シンプルに神を賛美できるようになるのです(11-12節)。
時間はかかるかもしれませんが、暗闇に向かって必死に祈ることから始まった祈りも、やがて必ず光が差し込み、最後は神の栄光をあがめる恵みを感じるのです。

  1. そんな簡単に私は正義と言えない現実もある

むしろ、私は正義の側にいないという心配もあります。
パウロはローマ3:13で、全ての人は罪を犯したという文脈の中で、詩篇5:9を引用します。
全ての人は罪を犯したので、神からの栄誉を受けられない。
だけど「イエスの恵みによって、私たちは救われる」と語るのです。
そういう意味では、昔も今も、私たちが救われるのは恵みによるのです。
私たちが生まれながら問題が何もなく清く正しいから救われるのではありません。
神の恵みが差し出されて、神の前にひれ伏すとき、永遠に変わることのない神の愛が誰にでも確かに注がれるのです。

■一緒に考えてみましょう

  • 今日、神の前に、差し出すように問われている問題、課題はありますか?

11月

11月

エペソ書講解

月 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12
2018/11/25

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:エペソ人への手紙 4章25節-5章2節
悪に心が傾くとき

4:25ですから、あなたがたは偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。私たちは互いに、からだの一部分なのです。
26  怒っても、罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであってはいけません。
27  悪魔に機会を与えないようにしなさい。
28  盗みをしている者は、もう盗んではいけません。むしろ、困っている人に分け与えるため、自分の手で正しい仕事をし、労苦して働きなさい。
29  悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。むしろ、必要なときに、人の成長に役立つことばを語り、聞く人に恵みを与えなさい。
30  神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。
31  無慈悲、憤り、怒り、怒号、ののしりなどを、一切の悪意とともに、すべて捨て去りなさい。
32  互いに親切にし、優しい心で赦し合いなさい。神も、キリストにおいてあなたがたを赦してくださったのです。
5:1ですから、愛されている子どもらしく、神に倣う者となりなさい。
2  また、愛のうちに歩みなさい。キリストも私たちを愛して、私たちのために、ご自分を神へのささげ物、またいけにえとし、芳ばしい香りを献げてくださいました。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

■アウトライン

  1. 怒りを罪に繋げるのは悪魔の得意技

怒りは自然な感情です。誰にでも怒ることはありますし、神様も怒ります。
ただ、怒りは本当に注意を払うべき感情です。
だから、怒りを持ち続けているとリスクが高いから、できるだけ早く怒りを処理しなければいけません。
怒りの感情は悪魔の大好物で、そこから罪に繋げるのは悪魔の得意技なんだということを覚えてください。
「怒り」を正当化してずっと持ち続けているというのは、悪魔に絶好のチャンスを与え続けていることなのです。

  1. 盗人が与える人に

この一言を取っても、神様らしさがぎゅっと詰まった描写です。
かつては人のものを奪っていた人が、神様に人生を問われ、奪うのではなく与える人に変えられていく。
これが福音の力であり、神の国で見られる景色です。
多分、急には変わらないでしょう。
でも、盗みをしていた人が福音を聞いて、イエス・キリストの十字架の赦しと愛を受け止めて、変わっていきたいと告白するなら、
私たちはその人が変わっていくためにサポートしていくべきでしょう。
忍耐が試される場合が何度もあるでしょうが、神の働きの力強さを特等席で目撃するチャンスです。

  1. もうダメだと諦める前に

悪に心が傾き、一致なんか無理だと諦め、調和なんかしてられるかと投げ出したくなる誘惑が必ずあります。
立ち返るのは、神の愛、キリストの愛です。
私たちを愛し、十字架で自らを捧げてくださり、私たちの罪の身代わりに死んでくださった、このキリストの愛を受け取ってください。
このキリストの愛が私たちを変えていきます。時間はかかりますが、きっと一歩ずつ変えてくださいます。
自分も周りの人をも愛し、人のために使ってくださいと祈る人へと。

■一緒に考えてみましょう

  • 偽り、怒り、盗み、悪口、聖霊への反逆。私たちが今日、捨てるべきは何でしょうか?
2018/11/18

説教者:渋谷 昌史 伝道師
聖    書:エペソ人への手紙4章17-24節
霊と心において新しくされ続ける

17.ですから私は言います。主にあって厳かに勧めます。あなたがたはもはや、異邦人がむなしい心で歩んでいるように歩んではなりません。
18.彼らは知性において暗くなり、彼らのうちにある無知と、頑なな心のゆえに、神のいのちから遠く離れています。
19.無感覚になった彼らは、好色に身を任せて、あらゆる不潔な行いを貪るようになっています。
20.しかしあなたがたは、キリストをそのように学んだのではありません。
21.ただし、本当にあなたがたがキリストについて聞き、キリストにあって教えられているとすれば、です。真理はイエスにあるのですから。
22.その教えとは、あなたがたの以前の生活について言えば、人を欺く情欲によって腐敗していく古い人を、あなたがたが脱ぎ捨てること、
23.また、あなたがたが霊と心において新しくされ続け、
24.真理に基づく義と聖をもって、神にかたどり造られた新しい人を着ることでした。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

■アウトライン

1.教会員の一致をさまたげるもの(17-19節)

4章以降では実践的な勧めが記されています。「教会員はどうのように生きればよいのか?」ということです。
ここでパウロは、神を信じていると言いながら神さまから心が離れてしまっている人や、神さまから心が離れやすい人に対して、
愛に根差した厳しさでもって「こう歩んではいけません」と語るのです。
それは神を知りながら神に頼らず、自分に頼って生きようとする歩みです。
「キリストにあって一つ」となれる場が教会であるのに、クリスチャンと言いながらキリストに頼らず、隣人のことを顧みることなく、
自分の好き勝手にやっているのであるなら、その振る舞いはキリストにある一致を壊しかねないのです。

2.キリストから学び、キリストに聞き、キリストに教わる(20-21節)

パウロは私たちにも問いかけます。
「あなたがたは、心がむなしい訳ないでしょ?
無知じゃないでしょ?
心が頑ななままではないでしょ?
神のいのちに生かされていないの?
無感覚ではなく生き生きとした感覚を持っていないの?
決してそんなことないでしょ。だってあなたがたは、キリストから学び、キリストから聞いているのですよ。
キリストから教わっているんですよ。そうじゃないの?」、と。キリストにこそ私たちを根本から変える力があるのです。

3.「キリスト」という道の上で(22-24節)

ここでパウロは3つのことを勧めています。
一つは、古い人を脱ぎなさいということ。
二つ目は、神の霊によって新たにされ続けなさいということ。
三つめは、新しい人を着なさいということです。
この三つのことは「キリスト」という最も確かな道の上を歩き続けることによって実現します。
キリストという道は、救われた私たちを救いの完成へと導く、最も確かで、最も安全で、最も信頼できる道なのです。
というのも、キリストと共に歩めるようになると、外側からはわかりませんが、
内側では霊的な装いを魂に着るという内側の変化を私たちは体験し続けるからなのです。

■一緒に考えてみましょう

  • あなたはキリストによって霊と心が変えられ続けているという恵みを日々味わっていますか?
2018/11/11

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:エペソ人への手紙 4章7-16節
子どもの成長を祈ろう

7 しかし、私たちは一人ひとり、キリストの賜物の量りにしたがって恵みを与えられました。
8  そのため、こう言われています。 「彼はいと高き所に上ったとき、捕虜を連れて行き、人々に贈り物を与えられた。」
9  「上った」ということは、彼が低い所、つまり地上に降られたということでなくて何でしょうか。
10  この降られた方ご自身は、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く上られた方でもあります。
11  こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。
12  それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。
13  私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。
14  こうして、私たちはもはや子どもではなく、人の悪巧みや人を欺く悪賢い策略から出た、どんな教えの風にも、吹き回されたり、もてあそばれたりすることがなく、
15  むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長するのです。
16  キリストによって、からだ全体は、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることになります。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

■アウトライン

  1. 賜物を与えるキリストは世界の主だから、心配無用

この世界のあらゆるところに、私たちはキリストの光を見出すことができます。
とはいえ、この私の生活のどこに神がおられるのか!と疑いたくなるようなことはよくあるものです。
私たちには、悪いことばかりが目に映るようかもしれません。昔から、そうでした。
「もろもろの天」とは、この世を支配しているかのように見せる存在のことです。
私たちの手には負えないと思っても、聖書の神はあらゆるものよりも高くにいるから心配するなと言うのです。
詩篇68の祈りのテーマは、神の民に敵対する存在があるけど、神様はその敵に勝つということでした。

 

  1. 「奉仕」のイメージ、合っていますか?

教会で奉仕をすることも大事ですが、教会にいる時だけ私たちはクリスチャンなのではなく、
むしろ教会から送り出されたそれぞれの毎日の生活の場も奉仕の場であり、私たち自身が神様の恵みを体験するところです。
恵みを体験する私たちを通して、周りにいる人たちも神様の恵みに触れることができるのです。
すでに私たちは日常的に様々なことをしていますが、
これが神様から託されている務めだという意識があるかないかで、その働き方は大きく変わります。

 

  1. キリストに似ていくことが教会の成長

1人の成熟した大人になって、の部分は言葉を補います。
クリスチャンがそれぞれ成熟した大人になるというよりも、
ユダヤ人とギリシャ人が一緒になって1人の新しい人と呼ばれていたように、教会全体の成熟を表します。
先週も触れたように、信仰の成熟とは、人との関係で測られるもので、
自分だけの問題ではなくて、人に対してどう接することができるかが問われるのです。
神に仕え、人に仕える中で、イエス・キリストがあなたを満たし、キリストらしさが溢れ出る教会になるようにと言われます。

■一緒に考えてみましょう

  • キリストからの贈り物をいただいて、私はどこで、どのように「奉仕」をしているでしょうか。
2018/11/4

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:エペソ人への手紙 4章1-6節
「私」らしい生き方

1 さて、主にある囚人の私はあなたがたに勧めます。あなたがたは、召されたその召しにふさわしく歩みなさい。
2  謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに耐え忍び、
3  平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい。
4  あなたがたが召された、その召しの望みが一つであったのと同じように、からだは一つ、御霊は一つです。
5  主はひとり、信仰は一つ、バプテスマは一つです。
6  すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父である神はただひとりです。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

■アウトライン

  1. 神様が私を召してくれた、これがすべての始まり

「あなたは私の愛する子、私はあなたを喜ぶ」(マルコ1:11) この言葉を心の奥底まで届けてください。
私は神様に愛されていて、神様の子供として大切にされ、神様は私の存在を喜んでくれている。これが神の目に映る私です。
この語りかけは私たちの人生を180度変えてくれます。
誰にも見せたくなかった、自分の素顔を見て、それでも失望しないで
「そういう顔があるんだね。大変だったね。辛いよね。それでもあなたを見捨てないよ。抜け出さなくちゃいけないと思うのなら、力を貸すよ」と言って支えてくれる神様。
何をしても埋められなかった心の空洞を満たしてくれる神の愛。これが神に「召される」ということです。

  1. 教会の根幹部分が狙われる

神と人との間にあった壁、ユダヤ人とギリシャ人の間にあった壁がイエス・キリストの十字架によって破壊されました。
これこそ、キリスト教の根幹部分です。壁のなくなったところに神は住まわれるのです。
でも、その建物は建設中、成長中、未完成です。だからこそ、隔ての壁が壊されたことを忘れずに、平和の状態を保ち、守っていかなければいけません。
なぜなら、御霊の一致はキリスト教の根幹ですから、ここを壊そうと、ありとあらゆる攻撃がされるのです。
そして、一致が乱されるとき、神の栄光は見えなくなります。
不一致を教会が受け入れてしまったら、教会は教会であっても、そこに神はおられなくなってしまいます。

  1. 一つであることは譲れない

イエス・キリストは一つのからだ、人種の壁を超える教会のために死にました。
教会には一つの御霊が住み、一致を保ちます。
イエス・キリストの死は神を知らずに希望を持てずにいきていた私たちに永遠に続く希望をくださいました。
イエス・キリストこと唯一の主です。神と崇められる存在がどの時代にもありますが、イエス・キリストこそ永遠の主、救い主です。
私たちはイエスに信頼します。水のバプテスマを受けることによって信仰を表明しました。
私たちの父なる神は、すべてを治め、すべてを貫き、全てのうちにおられる唯一の神です。

■一緒に考えてみましょう

  • 今日、私が神の前に正直に立つ時、神に探られることは何でしょうか。

3つの礼拝の時間

grade

第一礼拝

10:00-11:00

ピアノとベース
現代的な曲も

第二礼拝

11:10-12:10

パイプオルガン
伝統的な曲が中心
英語への同時通訳

子ども礼拝

11:00-12:10

小学生までの子どもが対象

礼拝に来た人

grade
0
第一礼拝
0
第二礼拝
0
子ども礼拝

10月6日の出席者数

礼拝に関するよくある質問はこちらにまとめてあります。
少しでも不安がありましたら、お問い合わせください。
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