聖書からのメッセージ

世界中で最も読まれている書物『聖書』から、人生の真理を思い巡らします。
第一礼拝・第二礼拝は同じメッセージです。

礼拝の時間について、ここをクリックして確認できます。

5月

5月

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ルカの福音書 1章55節
いつまでも忘れない

 

私たちの父祖たちに語られたとおり、 アブラハムとその子孫に対するあわれみをいつまでも忘れずに。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 卑しいはしため

マリアは自分を「卑しいはしため」と言います。
身分の低い、小さな存在、見向きもされないような立場にある自分を、聖書の神様は見てくださっていると大胆に告白します。
マリアは田舎の小さな町の人でした。謙遜でも何でもなくて、確かにマリアは身分の低い、小さな存在なのです。
マリアの周りにいる人も、マリア自身も、マリアは見向きもされない存在だと思っていました。
にもかかわらず、神様は小さく弱い立場にあるマリアのことを覚えてくださり、目を留めてくださるのです。

 

  1. マリアは祝福のモデル

マリアは自分だけが特別扱いされるわけではないと知っています。
主の憐れみは、マリアだけに向けられるのではありません。代々にわたって、主を恐れる者、神に信頼する人に与えられるのです。
マリアが特別なのではなく、さまざまな厳しさを通っている人に対して、神様は目を向けてくれるという救いのメッセージがはっきりと語られます。
思い出したいのはマリアの前に、恵みを受けたのは、年老いたザカリヤとエリサベツ夫妻でした。
エリサベツは長年、恥を抱えながら生きてきたのですが、神から祝福を受けたのです。

 

  1. 召天者記念礼拝

周りから、また自分でも「恥」だと思うようなことを抱えている人のことを、神様は決して忘れないと聖書は約束します。
マリアはこの賛美を「私」という言葉で始めながら、最後は「私たち」で終わります。
信仰とは私の体験でありつつも、大きな救いの歴史の一部であり、私たちの体験になるのです。
時代は変わっても、変わらない真理について聖書は教えます。
それは神の救いの歴史の中に私たちは生かされているということです。

 

■一緒に考えてみましょう

  • 「卑しいはしため」に対して神様が恵みをもって応答してくださる出来事を聖書の中でも、私たちの周りでも、思い浮かぶことはあるでしょうか。

4月

4月

受難週、イースター

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説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ルカの福音書 1章3節
外国人から見たイエス

 

私も、すべてのことを初めから綿密に調べていますから、尊敬するテオフィロ様、あなたのために、順序立てて書いて差し上げるのがよいと思います。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. ルカだから伝えられる人がいた

ギリシャ語が流暢に扱えるルカだからこそ、ギリシャ人に向けた福音書を書くことができました。
ルカも自分の使命を理解していたでしょう。例えば、マタイの使命はユダヤ人クリスチャンに待ち望んでいた救い主キリストはイエスだと伝えることでした。
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ。ここにも「でこぼこがいい」の精神が見てとれます。
それぞれの背景が違う4つの福音書が残され、4人の視点を通して、イエスの福音の豊かさを受け取ることができるのです。

 

  1. 「神の友」となって一緒に読もう

「尊敬するテオフィロ様」という言葉遣いから、地位の高い人に向けた文章だということがわかります。
テオフィロという名前は、「神の友」という意味です。ただ、このテオフィロという人が本名なのかどうかは、学者の間でも意見が分かれます。
大事なことは、テオフィロという人に向けて書くという形を取ることで、当時のギリシャの背景を持った人たちが違和感なく、
イエス・キリストの記録を読み始めることができたということです。私たちも神の友となって一緒に読んでいきましょう。

 

  1. イエスの足元に座るような気持ちで

ルカは「私たちの間で成し遂げられた事柄について」と書き始めました。
この福音書は「私たち」の物語です。信仰を持つことは個人的な決断ですが、信仰は共同体の中で養われていきます。
礼拝の中で、私のことだけ考えるのではなく、一緒に神の前に、神の光に照らされる経験をしていくことを願っています。
テオフィロになって、すでに知っていることもあるでしょうが、ルカの福音書を通して、よりイエス様に近づくことができるように、
イエスの足元に座るような気持ちで、福音書に耳を傾けていきたいと願っています。

 

■一緒に考えてみましょう

  • 3節の最後の「思います」という意味は、自分の考えを述べているというより、聖霊に促されたことを感じるときにルカが使う言葉です。
    聖霊の促しをどのような時に感じるでしょうか。

3月

3月

聖書全体から恵みの福音を

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説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ヨハネの黙示録  22章20-21節
聖書の最後は恵みを祈る

 

20  これらのことを証しする方が言われる。
「しかり、わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。
21  主イエスの恵みが、すべての者とともにありますように。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 人生の危機でも信仰を告白する

イエスは必ず来る。その約束を受けて、アーメン、主イエスよ、来てください。と応答する。
黙示録は信仰が危機にさらされる時があることを思い起こしてくれます。
信仰が危機にさらされているような中で、なお、私はあなたを待ち望みます。
あなたこそ、私の救いです。と告白してきた信仰の先輩たちの背中を心して見たいと思うのです。
人生の難しさが私たちの信仰の中にある不純物を表に出し、神によって、ますます信仰が磨かれ、輝くことがあると教えていただきたいと思います。

 

  1. 恵みの福音:すべての人のために

主イエスの恵みは、クリスチャンの土台です。神の恵みが私たちをイエス・キリストに近づけていきます。
私たちに尽きることのない、渇くことのない命の水をくれます。
ですが、主イエスの恵みは、クリスチャンのためだけではありません。
まだイエス・キリストに出会っていない人のために恵みはあるのです。
この聖書の最後の祈りは、教会がどういう場所であるのかを思い起こさせてくれます。
教会はクリスチャンを支えます。それだけでなく、まだキリストに出会っていない人に常に開かれている場所なのです。

 

  1. 「でこぼこがいい」の土台作りの1年目

この1年間は聖書全体を読み、ざっくりとした聖書の流れを確認しながら、
いつの時代にも神の恵みが豊かに注がれていることを味わえたらと願ってきました。
どの時代も神が一緒にいてくださること。
それが何より大切なことでした。幕屋、神殿、イエス・キリスト、聖霊と、どの時代も神ご自身が一緒にいてくださいます。
この神の現実を、この地で見ることができるように、信仰の目が開かれ、恵みを見せてくださいと祈ることを土台としたいと思います。

 

■一緒に考えてみましょう

  • 私の信仰告白として、20節をゆっくり読み、味わってみましょう。どう感じるでしょうか。
  • この1年を通して、「でこぼこがいい」を感じたことはあったか振り返ってみましょう。

2月

2月

聖書全体から恵みの福音を

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ペテロの手紙第一  2章11-12節
旅人になろう

 

11  愛する者たち、私は勧めます。あなたがたは旅人、寄留者なのですから、たましいに戦いを挑む肉の欲を避けなさい。
12 異邦人の中にあって立派にふるまいなさい。そうすれば、彼らがあなたがたを悪人呼ばわりしていても、
あなたがたの立派な行いを目にして、神の訪れの日に神をあがめるようになります。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 旅人としてこの世界で生きる

信仰の父、アブラハムに始まり、神の民はエジプトでの生活やバビロンでの生活など、旅人・寄留者として長く暮らしてきました。
また、神の民という立場は、この世の民ではなく、神の国の市民を意味しました。
この世界の中で、神の祝福のパートナーになるために、まず言われるのが、肉の欲を避けることでした。
私たちの内側が神に似せられ、外側・行動が変化し、異邦人の中で、立派に生きることができるのです。
理解されず悪人呼ばわりされ続けることもありますが、その生き方を続けることで、神をあがめるように周りの人は変わっていきます。

 

  1. 信仰の旅の歩き方

信仰の旅とは、継続的な応答です。私たちが神を愛したのではなく、神がまず私たちを愛してくださるのです。
神の恵みがいつも先にあります。私たちは神の恵みを探し、神に応答するのです。
神の恵みは私たちをイエス・キリストに似せていきます。
聖霊の働きによって、神の導きを受けて、神の風を見つけ、応答していくのです。
そのために信仰の共同体は不可欠です。そしてこの世界に遣わされていくのです。

 

  1. 恵みの福音:でこぼこがいいを個人、教会、社会に

一人一人が個人的に神に信仰を告白することは大切ですが、信仰の成長のために共同体は欠かせません。
お互いに愛し合いなさいというイエス様の命令は、でこぼこな私たちの間に、
イエスの愛が表されることを信じ、期待し、諦めないで求め続けることなのです。
このように教会はキリストの体として建て上げられていくとともに、教会のためだけでなく、
福音を伝えるために、この世界のために旅人として、遣わされていくのです。

 

■一緒に考えてみましょう

  • 旅人・寄留者のような、肩身の狭いような部外者のような体験を思い出してみましょう。
  • 信仰の旅の歩き方を読んで、印象に残る部分はあるでしょうか。

1月

1月

連合主題聖句2022

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ヨハネの福音書 4章23-24節
礼拝する心

 

23  しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。
今がその時です。父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。
24 神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 御霊に敏感になることが不可欠

御霊について理解を深めるためにヨハネ3章8節のニコデモとの対話を紹介します。
風は思いのまま吹きます。風がどこから吹いてくるのか分からないように、人は神をコントロールすることはできません。
私たちがすべきことは、風を感じることです。神の働きに敏感になることです。
神の働くスペースを作ると表現することがありますが、どこに神様の風が吹いているだろうかと私たちが意識を向ける。
これが御霊によって礼拝する人の特徴です。

 

  1. 礼拝は場所に縛られない

神は霊ですから、物質が大事なわけではありません。場所に縛られることもありません。
先週、イエスが神殿です。イエス・キリストこそ、この世界の罪を取り除くための子羊として十字架で死なれた方であり、
大祭司として私たちの祈りを神に執り成してくださるお方です。
イエスが神殿であるなら、イエスがいるところこそ、私たちの礼拝する場所です。
それはどこか。イエスがご自分の代わりに遣わされた真理の御霊がいるところです。

 

  1. 恵みの福音:聖霊によって礼拝する

まことの礼拝者とは、聖霊によって礼拝を献げる人たちのことです。聖霊に導かれることを待ち望む人たちです。
私たちの礼拝は、常に一歩先を歩いてくれている神の働きに注意を向けることです。
今、イエスはどこにいるでしょうか。イエスは聖霊を通して、至るところにいてくださいます。
礼拝とは日曜日に教会ですることであり、また真理の御霊が私の生き方を導かれルナら、私たちの日々の生活が神への礼拝になるのです。

 

■一緒に考えてみましょう

  • アドベントの時期に、マリアの祈りに注目しました。神のなさることを受け入れ、みこころがなりますようにとの祈りを礼拝者として今日、神の前に献げたいものです。
  • 礼拝に聖霊の導きは欠かせません。どのようにして、聖霊の導きを見極め、従っていくことができるでしょうか。自分に合ったやり方を見つけているでしょうか。よく分からないと思ったら正直にイエス様に相談してみましょう。

12月

12月

聖書全体から教会の使命を

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ルカの福音書 2章22-24節
富めるときも、貧しいときも

 

22  そして、モーセの律法による彼らのきよめの期間が満ちたとき、両親は幼子をエルサレムに連れて行った。
23それは、主の律法に「最初に胎を開く男子はみな、主のために聖別された者と呼ばれる」と書いてあるとおり、幼子を主に献げるためであった。
24また、主の律法に「山鳩一つがい、あるいは家鳩のひな二羽」と言われていることにしたがって、いけにえを献げるためであった。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 裕福な家に生まれたわけではなかった

ヨセフとマリアは24節にあるように「山鳩一つがい、あるいは二羽の家鳩」を献げたと書いてあります。
当時の習慣を知っている人はこのルールの前には「もし羊を買う余裕がなければ」という言葉が入っているのを知っていました。
二羽の山鳩か、二羽の家鳩のひなを献げる人、羊を買う余裕のない人でした。
つまり、イエスは経済的に豊かな家に生まれたわけではなかったというが分かります。
もしお金が幸せの絶対条件だったら神様はイエスをこのような家に生まれさせなかったでしょう。

 

  1. 1年の最後に、私の願いを問い直そう

「健康や病気、富や貧しさ、成功や失敗、長生きや短命などに望みを託してはいけません。
すべてのものは、神との永遠の生活に対するより愛に満ちた反応を、私たちの中に呼び起こす可能性を持っているからです。
私たちの唯一の願い、そして唯一の選択はこうでなければなりません。
私は、私の中での神の深まる命に、より良くつながるものを望み、それを選ぶのです。」
(イグナチオ・ロヨラ『霊操』
Translation by David L. Fleming, SJ, in Draw Me into Your Friendship: The Spiritual Exercises—A Literal Translation and a Contemporary Reading

 

  1. 恵みの福音:今、ここで恵みを味わう

パウロも言いました。
「乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました。」(ピリピ4:11)
私たちがこの社会の中で神の価値観を生きることができますように。
何に目を向け、何から解放されるべきでしょうか。私たちの現実は決して恵みだけでも罪だけでもありません。
イエス様はこの現実に暗闇を照らす光として来てくださいます。
イエス様を私たちはこの場所に、今いるところにお迎えしたいのです。

 

■一緒に考えてみましょう

  • 私のうちにある正直な思いを神様の前に祈ることができます。神様はそれをちゃんと聞いてくださいます。
    まず安心、安全な神様の前で正直に祈りましょう。
  • 「健康や病気、富や貧しさ、成功や失敗、長生きや短命」それぞれの中に神の恵みを見つけることができるでしょうか。

11月

11月

聖書全体から教会の使命を

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:詩篇 61篇1節
耳を傾けてもらう体験を

 

神よ 私の叫びを聞き
私の祈りに耳を傾けてください。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 耳を傾けてもらう体験

聖書の神様は私たち一人一人の存在に注意を向け、愛を持って、関わってくださるお方なので
「神よ 私の叫びを聞き 私の祈りに耳を傾けてください。」と私たちも祈ることができます。
「私の叫びを聞いてください」と、神様の前に大胆に祈りを捧げたいと思います。
当たり障りのない会話ではなくて、一番、気になっていることを話す時間を取っているでしょうか。
人には言えないと思うようなことでも、絶対に秘密を守り、安全な空間を作ってくださる神様に打ち明けることができます。

 

  1. 耳を傾ける体験

交わりの中でひとりがほかの人に負っている第一の奉仕は、<その人の言葉に深く耳を傾ける>ということにおいて成り立つ。
神への愛は私たちが神の言葉を聞くことから始まるように、兄弟への愛の始まりは私たちが兄弟の言葉を聞くことになることである。
神が私たちにその言葉を与えて下さるだけでなく、私たちにその耳をも貸して下さるということは、私たちに対する神の愛である。
だから、もし私たちが兄弟の言葉に傾聴することを学ぶなら、私たちが兄弟に対してしていることは神のわざである。
ボンヘッファー著『共に生きる生活』より

 

  1. 恵みの福音:神は耳を傾けてくださる

神様に耳を傾けてもらう体験を通して、神様の愛に触れることができますように。
この神様の御前は、安心・安全な場所です。私たちが重荷を安心して下ろすことができますように。
同時に、多くの人たちが聞いてくれる耳を求めています。
神様が聞いてくださるように、聞く耳を差し出すことができますように。

 

■一緒に考えてみましょう

  • 神様と話すべきことを話しているかなと問いかけることは大切です。当たり障りのない会話ではなく、
    本当に大事なこと、1番聞いてもらいたいことを神様の前に差し出しているだろうかと振り返ってみましょう。

10月

10月

聖書全体から教会の使命を

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ハガイ書1章1-2節
いつやるの?

 

1 ダレイオス王の第二年、第六の月の一日に、預言者ハガイを通して、シェアルティエルの子、ユダの総督ゼルバベルと、
エホツァダクの子、大祭司ヨシュアに、主のことばがあった。
2 万軍の主はこう言われる。「この民は『時はまだ来ていない。主の宮を建てる時は』と言っている。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

1. 時はまだ来ていない、主の宮を建てる時は
ハガイが語り始めたとき、人々は主の神殿を再建する時はまだ来ていないと思っていました。
実際、自分たちの生活の基盤は十分に整っていませんでした。
前回、見たように神殿を作ることを邪魔する人たちもいました。
もう少し、状況が落ち着いてから、ゆとりができたら、主の宮を建てようと考えていました。
そうこうするうちに、16,7 年の年月が過ぎました。

2. あなたがたの歩みをよく考えよ
これが今日、私たちへの神様からの問いかけです。
「あなた方の歩みを注意深く考えなさい。人生における優先順位をもう 1 度考えてみなさい。」誰が私たちを満たすのでしょうか。
何が私たちの奥深くに安心を与えるのでしょうか。
神ご自身が私たちを誰よりも心配し、誰よりも気にかけ、誰よりも待ち望んでくださっているお方です。
必死に生きていても、何か満たされない。足りない。
もし、そうだとしたら、「あなたは神をないがしろにしていないか」という聖なる問いかけがされています。
私たちを陥れる問いかけではありません。これは私たちを救いに導く聖なる問いかけです。

3. 恵みの福音:心配しなくていい、わたしが共にいる
一生懸命、私たちは生きています。ベストを尽くし、限界を越えるまでがんばっても、うまくいかないことがあります。
知らず知らずのうちに、そんなつもりはなくても神を後回しにしていることがあるかもしれません。
今日、心に留めたいことは、神は私たちを招いてくださるということです。
「そのままでいいから、私のところに来なさい。私があなたを満たす。
私があなたの神だから。私があなたと共にいる。だから、何も心配しなくていい。」

■小グループで分かち合うヒント
● 一緒にいるから心配しなくていいと言ってくださる神の前で、「あなたがたの歩みをよく考えよ」という神からの問いかけを振り返ってみましょう。
● 後回しにしていたけど、今取りかかるように神様に招かれていることはあるでしょうか

9月

9月

聖書全体から教会の使命を

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ダニエル書 6章20節
救いを目撃した異国の王

 

20  その穴に近づくと、王はダニエルに悲痛な声で呼びかけ、こうダニエルに言った。
「生ける神のしもべダニエルよ。おまえがいつも仕えている神は、おまえを獅子から救うことができたか。」

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 異国の王の口に「生ける神」という言葉が

「生ける神」という言葉は、聖書では、イスラエル人の口から語られるものです。
ダニエルを近くで見ていたペルシャの王様は、ダニエルの神のことを知っていて、「生ける神」にいつも、王自ら語ることができたのでしょう。
それほどダニエルの信仰は筋が通っていて、国の全てを握っている異国の王にも伝わっていました。
神に仕え、人に仕えるダニエルは、悪事を考えることはなく、王に対しても、国に対しても、
誠実に、忠実に働いてきたことが王にも伝わっていたことでしょう。

 

  1. 恵みの福音:神への忠誠が人との関係に

ダニエルの場合、優先順位がはっきりしていました。神が第一。
日に3度の祈りを止めなかったように、神への信仰は決して譲りませんでした。
しかし、王への忠誠がないのかといえば、そういうわけでもありませんでした。
神に忠誠を誓うように、王への忠誠を誓っていました。
どちらかと問われれば、堂々と神を選ぶでしょうが、それは人に対して誠実に仕えることを妨げることはないし、
むしろ、神との確かな関係があればこそ、ダニエルは敵対者に訴える口実を何も与えなかったのです(6:4)。

 

  1. ダニエルから励ましを受け取ろう

このダニエルの姿勢に、日本で暮らすクリスチャンは大いに励ましを受けることができると思います。
自分だけがクリスチャンで周りは理解がないとしても、私たち一人一人が神様と繋がっていることによって、
神への忠実さや誠実さを養うなら、家族に対して、会社に対して、本当の意味で、裏切ることなく、
愛し、仕えることができるようになるということがダニエルの生き方からわかります。

 

■一緒に考えてみましょう

  • 信仰が理解されない場面は、日本で生活していると少なからずあるでしょう。今まで、どのような葛藤を覚えてきたでしょうか。
  • 全ての人に理解されることは難しいですが、筋の通った信仰を見て、神の救いを目撃する人もきっと出てくるでしょう。
    どんな証を聞いたことがありますか。

8月

8月

聖書全体から教会の使命を

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:⽚⼭ 信彦 先生
聖    書:コリント⼈への⼿紙 第⼆ 5 章 14 節 〜 15 節
キリストの愛に囲まれて

 

14 というのは、キリストの愛が私たちを捕らえているからです。
私たちはこう考えました。一人の人がすべての人のために死んだ以上、
すべての人が死んだのである、と。

15 キリストはすべての人のために死なれました。
それは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためです。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン:

1.今日、私たちを取り巻く世界は大きな変化の中にあると感じています。
一方、その様な大きな世界の変化、激動の中にあっても、毎日の生活では身近なことに取り組みながら生きなければなりません。
自分の目の前の悩み事に取り囲まれるようにして人々は生活しているとも言えます。

2.本日の聖書箇所である、コリント人への第二の手紙5章14節の前半を『聖書 新改訳2017』では、
「というのは、キリストの愛が私たちを捕えているからです。」と訳しています。
ただ、欄外には別訳で、「駆り立てている」とも記されています。また、新共同訳聖書でも、「駆り立てているからです。」と書かれています。
『聖書 新改訳2017』の一つ前の『聖書 新改訳』では、「キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです」と書かれています。
更には、日本聖書協会の『口語訳聖書』では、「強く迫っているからである。」と訳されています。
また、2018年に出版された、『聖書協会共同訳』」では、「捕らえて離さない」と訳され、「離さない」という言葉が加えられているので、
「キリストの愛にぎゅっと捕まえらえている」という感じです。
もともとの原語では、「強制している」あるいは、「捕えている」という意味の様です。

パウロにとっては、自分はキリストの愛に取り囲まれていて、捕らえられていて、離されない状態だ。
そして、その愛に迫られ、駆り立てられて、キリストを述べ伝えているのだ、と語っているのです。
迫害を受け、投獄され、多くの困難や痛みの中になっても、パウロにとっては、その様な困難よりもキリストの愛が迫り、
その愛に押し出されるようにして生きているのだ、という証に思えます。

3.私たちは、このキリストの愛に捕らえられ、取り囲まれ、迫られる、駆り立てられる思いを持っているでしょうか?
このキリストの愛に囲まれていることを再度思い起こし、このキリストの愛を溢れさすように、
周りにいる人に、キリストの愛を語り、愛の行いをなす人となりたいと願うのです。
それは、大きな愛の業でなくても良いのです。小さく、関係する一人の人になすことでも良いのです。
愛の言葉をかける、祈っている方に手紙を書いたり励ましたり。困っている方が近くにいたら、できる範囲でお手伝いをする・・・。
自分にできる小さな業を一つずつ重ねてゆく歩みをしたいと願います。
たとえ私の信仰がいい加減で弱いものと思えても、その自分の思いや気分に揺さぶられたり、過度に気にする必要はないのです。
常にイエス・キリストの愛に取り囲まれているから大丈夫です。

「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。
古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」
(コリント人への手紙第二5章17節)

7月

7月

聖書全体から教会の使命を

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:列王記 第一 8章54-55節
神の約束は地に落ちない

 

54  こうしてソロモンは、この祈りと願いをことごとく主にささげ終えた。
彼は、それまでひざまずいて、天に向かって両手を伸べ広げていた主の祭壇の前から立ち上がり、
55  まっすぐに立って、イスラエルの全会衆を大声で祝福して言った。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 「神の約束は地に落ちない」と体験しなさい

神の約束は、一つも地に落ちることがなかったとソロモンは神殿建設を通して告白します。
モーセの後を継いだヨシュアという指導者も同じように告白していました。
ヨシュア23:14に「あなたがたは心を尽くし、いのちを尽くして、知りなさい。
あなたがたの神、主があなたがたについて約束されたすべての良いことは、一つもたがわなかったことを」と記されています。
あなたがたも知りなさい、体験しなさいとヨシュアは後継者たちに言葉を残しました。

 

  1. 神の宣教モデル

60節の「こうして、ついに地上のあらゆる民が、主こそ神であり、ほかに神はいないことを知るに至りますように。」という言葉は重要です。
主と心を一つにし、命令を守り、主の心を映し出す、神の民を見ることによって、
私たちの周りにいる人たち、ついには地上のあらゆる民が、主こそ神であるという告白へ導かれるのです。
神と共に生活をするなら、神の民の生活を通して、聖書の神の価値観が表され、
周りの人たちにも、神の恵みが伝わっていく。これが神の宣教のモデルです。

 

  1. 恵みの福音:恵みをあらゆる人へ

神の恵みは神の民限定ではありません。神の恵みや祝福は溢れ、流れていくのです。
あらゆる民へ向かって。誰もが、最初は部外者同然でした。神の方から近づいてきてくれて、手を差し伸べてくれて、救われたという体験をします。
神が近づいてきてくれるのは、私に対する神の愛ですが、私さえ良ければいいわけではありません。
私が神にとどまり続け、神の言葉を守ることによって、次の人が、神の恵みに触れ、神の愛をいただくチャンスになるのです。

 

■一緒に考えてみましょう

  • 列王記第一8:56-61の祝福の言葉をゆっくり味わいましょう。特に心に響く言葉はあるでしょうか。
  • 主と心を一つにする人たちを通して、福音は広がって行きます。「主と心を一つに」し続けるためにしている工夫はあるでしょうか。

6月

6月

聖書全体から教会の使命を

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:根城 昌美 牧会主事
聖    書:ヨハネの福音書  6章47節〜51節
毎日、何を食べていますか

 

47  まことに、まことに、あなたがたに言います。信じる者は永遠のいのちを持っています。
48  わたしはいのちのパンです。
49  あなたがたの先祖たちは荒野でマナを食べたが、死にました。
50  しかし、これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがありません。
51  わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。
そして、わたしが与えるパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 神の子であるイエス

奴隷であったエジプトから救い出されてから長い年月が経ち、イエス様の時代、ユダヤの国はローマ帝国の支配下、
人々は苦しい生活を強いられていました。現状から救い出してくれる預言者が現れるのを待っていました。
イエス様は自分が神の子であると信じるなら永遠のいのちが与えられると語りかけました。
人々は聖書を通してしか神を知ることがなかったので、目の前にいるイエスを神の子と信じることができません。
また、求めていたのは苦しい生活を変えてくれる現実的な王であって永遠のいのちではなかったのです。
私たちも、社会を支配している空気に影響を受けます。自分の生活、願い、思いから解放されて、
イエス様のことばを真の意味で受け入れることは難しいのではないでしょうか。
しかし、本当に聖書に聞くならイエス様こそが神であること、永遠のいのちの価値を知るのです。

  1. いのちのパンであるイエス

イエス様はご自分のことをいのちのパンであると言います。ユダヤ人にとってパンは特別な食べ物です。
エジプトから救い出された時、40年間荒野をさまよい毎日天から降ってくるマナという食べ物で生き延びました。
それは神様が直接養ってくれたパンでした。しかし、その人たちもやがては死にました。
パンは食べればなくなり、なくなればまた必要になります。私たちは不安や恐れがあり、それをうめるために常に何かを求めています。
それが神様を離れて生きている私たち人間の姿です。あなたの本当の必要を満たすいのちのパンがイエス様です。

  1. 全ての人のいのちを生かすイエス

イエス様は神様が私たちに贈ってくださった、私たちのいのちを生かすためのパンです。
私たちの罪を赦し、神様との関係を回復してくださるために十字架にかかり死なれました。
復活されて、今もそして永遠に生きられる存在です。
イエス様ご自身が、私たちの限りない欠乏感を、本当の必要を満たすお方です。
イエス様から与えられたいのちはその人を生かすだけでなく、他の人を生かします。
イエス様を信じることによって与えられる奇跡のような体験ではなく、
永遠のいのちであるイエス様と一緒にこの世界で生きていくということが奇蹟であり、神様の与えてくださる祝福なのです。

 

■一緒に考えてみましょう

  • 一時的なことと永遠の違いを知ることは、あなたに何をもたらしますか?

礼拝の時間

grade

第一礼拝

10:00-10:30

ピアノとベース
現代的な曲も

第二礼拝

11:10-11:40

パイプオルガン
伝統的な曲が中心

子ども礼拝

10:50-11:20

赤ちゃんから小学校6年生まで
保護者の方も

礼拝に来た人

grade
50
第一礼拝
36
第二礼拝
26
子ども礼拝

5月14日の出席者

礼拝に関するよくある質問はこちらにまとめてあります。
少しでも不安がありましたら、お問い合わせください。
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