聖書からのメッセージ

世界中で最も読まれている書物『聖書』から、人生の真理を思い巡らします。
第一礼拝・第二礼拝は同じメッセージです。

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5月

5月

聖書全体から教会の使命を

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:創世記 2 章 15 節
人間らしく生きる原点

 

神である主は人を連れて来て、エデンの園に置き、そこを耕させ、また守らせた。

 

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

1. 強制的に、やりたくないことをさせられる!?

中近東の神話では、「この世界は仕方なくできてしまったもので、仕方なくできてしまった世界を維持するために神々が自分で働くのは面倒くさいから、
人と呼ばれる下等な生き物を作って、この世界の世話をさせておけばいいと考えた。やりたくない肉体労働は、価値のない人間にでもやらせておけ」
という世界観が語られていて、広く受け入れられていました。
古代だけでなくて、今も、私たちの現実は、これに近いかもしれません。
権力者がいて、きつい、やりたくない、できれば、手を抜きたいと思うような仕事を強制的にさせられる。
苦しい。辛い。やめたい。逃げたい。

2. この世界は美しい

聖書の約束する世界観は全く違います。「神はご自分が造ったすべてのものを見られた。
見よ、それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。」(創世記 1:31)とあり、神は自ら全てを造り、これは素晴らしい!と言われました。
良い仕事、満足のいく仕事ができたというのがこの世界の始まりです。
この神のなさった尊い働きを引き継ぐようにと、後継者に指名されたのが人間なのです。
2:15 にある「耕す」という言葉は一般的には神に仕えるという意味で使われ、この世界に仕えることが、神に仕えることにつながるのです。

3. 再び輝きを取り戻す

聖書には 2 つの世界観が描かれていて、神の創った美しい世界、そして美しさが損なわれた世界。
アダムとエバは神に反逆し、神との深い断絶が生じました。この影響は神と人の間だけでなく、
この世界全体にまで及び、世界の美しさは大きく損なわれました。
しかし、神との和解を体験した人は、再び、この世界の美しさを発見することができます。
聖書の大きなストーリーでは、再びこの世界が輝きを取り戻していくと約束されています。

■一緒に考えてみましょう
・ クリスチャンは、この世界が再び輝くのを最前線で目撃することができるのです。
汚れた現実を目にすることが多いかもしれませんが、そこが神の栄光で輝くように祈りましょう。

4月

4月

イースター

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:コリント人への手紙第二  5 章 17-19 節
和解のヒント

 

17 ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。
古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
18 これらのことはすべて、神から出ています。
神は、キリストによって私たちをご自分と和解させ、また、和解の務めを私たちに与えてくださいました。
19 すなわち、神はキリストにあって、この世をご自分と和解させ、背きの責任を人々に負わせず、和解のことばを私たちに委ねられました。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン
1. 「キリストのうちにある」
「キリストのうちにある」という表現はパウロが好んで使う言葉です。
イエス・キリストと一つになる、結ばれているという意味があります。
さらに「キリストの体である教会の中で」というニュアンスも含まれると考える学者もいます。
個人的にイエスと結ばれるだけではなく、イエスと結ばれるということは、
同時にキリストのからだである教会の大切な一部分になるということも含むというのは納得です。
キリストの十字架により私の罪の償いがなされ、復活により神との新しい人生が始まります。

2. 初めから終わりまで神の働き
罪を抱え、仮面をつけながら、生きていくしかない私たちの実情を十分に理解した上で、神様は私たちを受け入れてくださいます。
これを和解と呼びます。これは、初めから終わりまで、神の働き、神の責任で、最後まで行われます。
18 節によると、神がしてくださったことは 2 つ。
1 つはキリストによって、私たちと和解した。2 つ目は、和解の務め、奉仕という言葉を私たちに与えた。
私たちが神との和解は、私のためだけでなく、周りの人のためにもなるのです。

3. 教会が和解の代表者
この課題はあまりにも大きくて、正直私たちの手に負えるものではありません。
あまりにも大きな奉仕を、神は教会に託されました。
神と和解し、神に受け入れられていることを体験した人が、お互いを受け入れ合う。
そういう教会が、神の和解の生きたモデルであり、この社会のでこぼこに神の愛を届けるようにと、神の恵みの福音を託されているのです。
とはいえ教会内にも色々な違いがあり、受け入れるのは簡単ではありません。
だからこそ、でこぼこを愛し、この社会のキリストのかおりをもたらすことができるとしたら、ただただ、神の奇跡です。

■一緒に考えてみましょう

  • 「和解」とは決して簡単なプロセスではありません。だから、神様の働きです。
    そして、神様に助けてくださいと祈るべき事柄です。どのような祈りに導かれるでしょうか。

3月

3月

ピリピ書読解

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:マタイの福音書  21章1-11節
ロバが似合う王

 

1  さて、一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとのベテパゲまで来たそのとき、
イエスはこう言って、二人の弟子を遣わされた。
2  「向こうの村へ行きなさい。そうすればすぐに、ろばがつながれていて、一緒に子ろばがいるのに気がつくでしょう。
それをほどいて、わたしのところに連れて来なさい。
3  もしだれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐに渡してくれます。」
4  このことが起こったのは、預言者を通して語られたことが成就するためであった。
5 「娘シオンに言え。 『見よ、あなたの王があなたのところに来る。柔和な方で、ろばに乗って。荷ろばの子である、子ろばに乗って。』」
6  そこで弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、
7  ろばと子ろばを連れて来て、自分たちの上着をその上に掛けた。そこでイエスはその上に座られた。
8  すると非常に多くの群衆が、自分たちの上着を道に敷いた。また、木の枝を切って道に敷く者たちもいた。
9  群衆は、イエスの前を行く者たちも後に続く者たちも、こう言って叫んだ。
「ホサナ、ダビデの子に。 祝福あれ、主の御名によって来られる方に。 ホサナ、いと高き所に。」
10  こうしてイエスがエルサレムに入られると、都中が大騒ぎになり、「この人はだれなのか」と言った。
11  群衆は「この人はガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」と言っていた。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 「ロバ」は柔和の象徴

王としてエルサレムに入るイエスは、どういう王なのかを象徴するのがロバです。
当時だったら、軍馬での入城が一般的でした。しかし、イエスはロバを選びます。ロバは平和の象徴であり、柔和を意味しました。
聖書では、王の資質として、「柔和」が求められてきました。聖書の柔和とは、神の前に自分を低くする、へりくだるという意味を指します。
「自分は小さいが、神は大きくて信頼できる」という信仰の現れが柔和という言葉です。

 

  1. 人々の熱烈な歓迎

上着や木の枝を道路に敷き、「ホサナ、ダビデの子に」と叫んだ人々。
イエスへの忠誠を示し、200年前のマカバイや1000年前のダビデとイエスを重ね、救い主として歓迎しました。
町中が大騒ぎとなり(地震を意味する言葉)、町中が揺れるような騒ぎとなりました。
しかし、1週間も経たないうちに人々の期待は裏切られることになります。
イエスは外国人からの解放者ではなく、金曜日には十字架で殺されてしまうのです。

 

  1. この人は誰なのか

人は、自分に都合のいい神を求めます。神の言うことを聞くよりも、私の言うことを叶えてくれる神を求めるのです。
そういう期待をして聖書の神に近づくと、失望します。私の願いを何でも叶えてくれる神ではないからです。
しかし、聖書の神は、私たちが抱えている根本的な欠けを埋めて、この世界の渇きを潤してくださいます。
誰もが抱えている、むなしさを本当の意味で埋めてくれるのは神だけです。
ロバが似合う王は、柔和で、神を信頼し、命を捧げたお方です。
その傷ゆえに、この世界は癒され、私たちは神の恵みを知るのです。

 

■一緒に考えてみましょう

  • 私はイエス・キリストに何を求めているでしょうか。人々は熱狂し、数日後に失望します。
    しかし、その背後に神の計画は続いていたことを私たちは聖書から知ることができます。

2月

2月

ピリピ書読解

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ピリピ人への手紙  4章10-14節
満ち足りる秘訣

 

10私を案じてくれるあなたがたの心が、今ついによみがえってきたことを、私は主にあって大いに喜んでいます。
あなたがたは案じてくれていたのですが、それを示す機会がなかったのです。
11  乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました。
12  私は、貧しくあることも知っており、富むことも知っています。
満ち足りることにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。
13  私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。
14  それにしても、あなたがたは、よく私と苦難を分け合ってくれました。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. あなたの存在が神の語りかけになってほしい

この言葉の前提として、神であるイエスが人となり、私たちと共に暮らし、神とはどのようなお方かをはっきりと示しました。
イエスの存在が聖書の神様からの語りかけであったように、イエスに出会い人生が大きく変わった人は、
イエスのように、あなたの存在そのものが神の語りかけになってほしい。
これがパウロが語り続けてきたことでした。
イエスの生き方(12節:貧しくあること、別訳低くなること2:8)こそ、満ち足りる秘訣にも通じるのです。

 

  1. 経済的支援に表されたピリピ教会の中にあるイエスの思い

10節で遠回しに、パウロはピリピ教会から受けた経済的支援について取り上げます。
パウロにとって、支援そのものは当然、助けになったはずですが、パウロは自分が満たされることよりも、
ピリピ教会の中にイエスの思いを見つけて喜んでいます。
10節の「案じる」とはこの手紙で「思う」「考える」と訳され、イエスと同じ思いになりなさいというような使われ方をしてきた言葉です。
パウロが喜んでいるのは、イエスの心で「案じてくれた」ことであり、
14節にもあるように、苦難を分け合ってくれるパートナーにピリピ教会がなってくれたことでした。

 

  1. 低くなるイエスの生き方

パウロは12節で「貧しくあること」を知っていると書きました。
「貧しさ」はイエスが自らを「低くした」(2:8)と同じギリシャ語です。
イエスは低くなり、自分の地位にしがみつくのではなく、全てを人のために捧げ、命まで捨てた、
イエスの低くなった姿にパウロはどうにかして近づきたいと願っていた人です。
満ち足りる秘訣とは、先週、先々週と見たように神の平和を知っていることであり、
神は必要な力をいつも与えてくれることを体験していくこと(13節)なのでしょう、
神の喜びの中にピリピ教会も加わってくれたら本当に嬉しかったでしょう。

 

■一緒に考えてみましょう

  • 今日の自分の満足度は何%くらいですか?あなたにとっての満ち足りる秘訣は何ですか。
  • 神の力によって神の使命を果たせると、どれくらい本気で信じていますか。実感はありますか。

1月

1月

新年、71周年創立記念、ピリピ書読解

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ピリピ人への手紙  3章20-21節
救い主を待ち望む

 

20 しかし、私たちの国籍は天にあります。
そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。
21  キリストは、万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、
私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

■アウトライン

手紙のクライマックスと言われる場面を3つの関連箇所から考えます。

  1. 天を思うか地上を思うか

パウロは「私たちの国籍は天」だと言いました。
国籍という言葉は当時の読者にはすぐローマ市民権を真っ先に思い起こさせる言葉でした。
ローマ市民だと誇る人もいれば、他にも割礼を受けたユダヤ人としての血筋を誇る人もいました。
パウロは天を考え、救い主を待ち望むと言いますが、十字架の敵が考えるのは、地上のこと。
極め付けは、彼らが十字架の敵と語られるのに対して、パウロは十字架を背負うことを考えるという点です。

 

  1. キリストに起こったことが教会に

ピリピ2:6-11にはイエスがどういうお方だったのかが描かれていますが、ギリシャ語を丁寧に読むと、ピリピ2:6-11の言葉遣いが、3:21に見られます。
自らを低くして、卑しくて、十字架で死ぬまで従順であったイエス・キリストを高く挙げられた神は、
教会にも同じようにされると、ピリピ2:6-11の言葉を使いながらパウロは熱く語るのです。
パウロは投獄されていたし、教会は教会で、色々な課題を抱え、困難の中にいますが、
神は必ず栄光に輝く姿に、変えてくださる、神の時を待ち望みなさいと、教会を励ますのです。

 

  1. 福音にふさわしい生活

コロナ禍にあって、2020年に繰り返し、朗読した一節にピリピ1:27-28がありました。
「キリストの福音にふさわしく生活しなさい。」この「生活する」という言葉が、「国籍」と同じギリシャ語です。
死んだら天国に行きますよという話ではなくて、今、ここで、天の市民権をもつ人らしく、神を映し出す生活をしなさい。
それは、十字架を背負う生き方であす。私たちの卑しい人生が、神の栄光の人生に劇的に変わっていく。
そういう人生を一緒に進もうと私たちは招かれています。

 

■一緒に考えてみましょう

  • なかなか、自分から苦しい道を選ぶことはできないかもしれませんが、
    神様がそこを通りなさいと言われる時、神様の守りもあり、そこでしか見つけられない祝福もあるはずです。
    今、祈りが必要なことがあったら、秘密厳守で祈ってもらいましょう。
    十字架を担う痛みについてもゆっくり考える時間を取ることもおすすめします。

12月

12月

アドベント

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:詩篇  100篇1-5節
1年の感謝を数える

1  全地よ 主に向かって喜びの声をあげよ。
2  喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。
3  知れ。主こそ神。主が 私たちを造られた。私たちは主のもの 主の民 その牧場の羊。
4  感謝しつつ 主の門に  賛美しつつ その大庭に入れ。主に感謝し 御名をほめたたえよ。
5  主はいつくしみ深く  その恵みはとこしえまで  その真実は代々に至る。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. そのままでいいから、神の前に行こう

人生、途方に暮れることがあります。疲れ切って、もう何もできないという時があります。
そういう時こそ、思い出したいことは、そのまま(でいいから)、神様のところに行くことです。
ちゃんとしてないと、神様のところに行けないと、私たちは無意識に考えてしまう傾向があるかもしれませんが、それは違います。
不安がある。心配がある。悩みがある。解決しない。そういう時こそ、神様のところに一緒に行きましょう。
神様に全部、聞いてもらいましょう。

 

  1. 私は神様のかわいい羊

この詩篇は、「神様がしてくれたことがある。だから、感謝をしましょう!」と言います。
3節にシンプルに書いてあります。神様は私たちを造りました。
どういう意味かというと、私たちは神様の大切な存在で、羊飼いが自分の羊をかわいがり、丁寧に世話をするように、
神様にとって私たちは大切な羊だということです。
「神様にかわいがってもらっている、大切な羊」というのが聖書の教えるイメージです。
私たちは神様に大事に育ててもらっています。この関係は絶対に、揺らぐことがありません。

 

  1. 感謝を数えるとは信仰の表明

先週、クリスマスを迎えました。暗闇を照らすまことの光、イエス・キリストの誕生を祝いました。
暗闇の中、光は輝くと聖書は約束します。私たちは、暗闇を見続けることもできますし、暗闇に輝く光に目を向けることもできます。
1年の終わりに感謝を数えるということは、暗闇の中に輝く光に目を向けるという私たちの信仰の表明です。
今もなお、困難な中にいる方がいることを思います。決して、人生は簡単ではありません。
それでも、「知れ、主こそ神。私たちは神の牧場の中にいる羊」です。信仰によって、感謝を数えましょう。

■一緒に考えてみましょう

  • 神様のスペースを作ってから、感謝を数えましょう。私が気づかなかったかもしれませんが、神様はと私たちと一緒に、
    この1年ずっと、寄り添ってくださっていたはずです。イエス様、どうぞ私たちの目を開いてください。

11月

11月

ピリピ書講解

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:詩篇  46篇1-11節
祈り ― 自分に正直に

1   神は われらの避け所 また力。 苦しむとき そこにある強き助け。
2   それゆえ われらは恐れない。 たとえ地が変わり 山々が揺れ 海のただ中に移るとも。
3   たとえその水が立ち騒ぎ 泡立っても その水かさが増し 山々が揺れ動いても。  セラ
4   川がある。その豊かな流れは 神の都を喜ばせる。 いと高き方のおられる その聖なる所を。
5   神はそのただ中におられ その都は揺るがない。 神は朝明けまでに これを助けられる。
6   国々は立ち騒ぎ 諸方の王国は揺らぐ。 神が御声を発せられると 地は溶ける。
7   万軍の主はわれらとともにおられる。 ヤコブの神はわれらの砦である。   セラ
8   来て 見よ。主のみわざを。 主は地で恐るべきことをなされた。
9   主は 地の果てまでも戦いをやめさせる。 弓をへし折り 槍を断ち切り 戦車を火で焼かれる。
10 「やめよ。知れ。 わたしこそ神。 わたしは国々の間であがめられ 地の上であがめられる。」
11  万軍の主はわれらとともにおられる。 ヤコブの神はわれらの砦である。   セラ

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

  1. 神の前に心を注ぎ出す

「神の前」というのは、私を受け入れてくれる神様に祈るということです。
誰かに聞かれる心配はないし噂話のネタにされる心配もない、安心・安全な場所。
自分の心にある思いの全てを吐き出して大丈夫な場所です。
最初は、嬉しかったことや感謝なことを伝えるだけでも、自分の心を豊かにする助けになります。
次第に、自分の心にある不安や悩みも、神様の前に伝えたらいいかもしれません。
率直な、正直な祈りによって、自分の心の整理が始まっていきます。

 

  1. 次第に神の現実に目が向く

不思議ですが、自分のことだけ祈っていても、神様の前で祈られる祈りは、次第に、神様が今、ここにいることに光を当ててくれます。
詩篇の祈りも、苦しみから始まることが少なくありませんが、祈りの最後には、神に心が向かっていくのです。
この詩篇46篇は、神の現実を力強く語ることで、この祈りは、人生に降りかかる大きな困難に直面し、恐れ、思い悩み、
神様を信じきれないような人の心を慰め、力づけてきた祈りです。
宗教改革者のマルティン・ルターも恐れ、悩みましたが、この詩篇46を繰り返し読み、元気付けられました。

 

  1. 変わりゆく世界で、変わらない神を知る

自分に正直に祈りつつ、「やめよ。知れ。 わたしこそ神」という言葉を受け止めたいのです。
右往左往するような場面があります。自然の脅威、人との関係。私たちの心が騒ぎ、揺さぶられる時に、神様との関係を深めることができます。
「この神様が私と共にいてくれる」「私が逃げ込める砦がある」「ここにいたら絶対安心、絶対裏切られることもない」
「厳しい道を通らなければならないとしても、そこを耐え、通り抜けることができる」という体験をしたいのです。

■一緒に考えてみましょう

  • 人を思いやるゆとりを失うほどに、自分を忙しくしてはいけません(マザー・テレサ)という言葉を聞いて、
    どのように今日の私に響くでしょうか。
  • 祈り方は人それぞれです。静かに座って祈ることが好きな人もいれば、単純な作業をしながら神様に心を向ける人もいます。
    自分に合った祈り方で、心を注ぎ出す時間が取れますように。

10月

10月

ピリピ書講解

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ルカの福音書22章31-34節
聖書 ― 人生の鏡に

31「シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。
32 しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。
ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
33 シモンはイエスに言った。「主よ。あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」
34 しかし、イエスは言われた。「ペテロ、あなたに言っておきます。今日、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

1. 心の余白を作る

忙しすぎて ほほ笑む暇も 愛を与えたり、受けとめたりする暇もない そういう生活になっていませんか?(マザーテレサ)
この言葉に大事なことが詰まっている気がします。私が余白を作りたいと思うのは、こういう理由からです。
余白は余りものではなく、意識して作る必要があります。「余白」はキリスト教の伝統の中でも大事にされてきました。
長年の知恵の一つです。その方法として、今日は聖書を読むことを紹介します。

2. 「取り返しのつかない失敗」とその先

弟子の代表的な立場にあったペテロは、牢屋も死も覚悟はできていますと言いましたが、いざその場面になったら、イエスを否定し、逃げました。
一番大事な場面での大失態。取り返しがつかない失敗です。ちょっとした失敗ではない。
どん底に落ちて、そこからどうやって出たらいいかわからないような失態。
でも、この続きがあるとイエスは言うのです。

3. わたしはあなたのために祈りました

「もう取り返しがつかない」と人には思えるような大失態をしたとしても、その先に道を作ってくださるのが神様です。
イエスはここで祈りましたと言いました。イエスの祈りは実現していきます。確かな力があります。
「とんでもない失敗をして、取り返せないと人は思っても、あなたは立ち直れる。
そして、あなたと同じように沈んでいる兄弟たち、仲間と言う意味です、を力付けてやりなさい。」とイエスは失敗の先に、
神の保証する道を用意してくれました。
イエスを裏切ったペテロだからこそ語ることのできる神の赦しと愛の言葉をペテロは手にすることになるのです。

 

■一緒に考えてみましょう

  • 「取り返しのつかない失敗」だと思ったけど、立ち直ることができた体験はありますか。
  •  最近、忙しすぎて、愛を与えたり受け取ったりする余裕がないということはありませんか。
    生活を見直す必要があるとしたら、どこから始められるでしょうか。

9月

9月

ピリピ書講解

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:マタイの福音書11章28節
重荷をおろせる場所

28 すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

1. 疲れは気づきにくいから、まず休みなさい

一般的に、自分が疲れている、重荷を負っていると自覚することが苦手です。
だから、まずは休みなさいとイエスは私たちを招いています。
あなたの背負っている重荷を下ろしなさいとイエスは言います。
休んで、心にゆとりができて、自分で精一杯だったところから、少しずつ回復してきた時、神様のことがわかるようになります。
神様のことを考える時、神様はどんな目で私を見ているのかなと想像してほしいんです。

2. 神の願いは私たちに愛を示すこと

「神の意志を知るというのは、私たちの生活の中に神の愛がはっきりと示されていて、
それが私たちにぴったりの方法であることを見つけ、受け入れ、肯定すること」これはヘンリ・ナウエンの言葉です。
私たちがイエスのもとで休むとき、神の思いに触れることができるはずです。
神は私に見つけほしいと思っているし、私が神の愛を受け入れられるようにと願っているし、神に愛されていると心の底から納得してほしいと願っています。私たちができるのは、神のスペースをつくり、神の思いに浸る時間を見つけることです。

3. すべてを知って、受け入れてくれる

人には、誰だって、大なり小なり、隠し事があります。誰にでも話せる話題ではないけど、誰かには打ち明けたいと思うことがあるかもしれません。
神は私たちのことを全てお見通しです。神の前に隠し事はできません。
私たちが隠したいと思うのは、これを知られたら嫌われると本能的に察するからだと思いますが、でも、神は私たちを受け入れてくれる。
私たちが苦しんでいることを知っている。だから、私たちはここで重荷をおろすことができるのです。

■一緒に考えてみましょう
・神の前だから、神を信頼して、正直な気持ちになることができます。
悩みを打ち明けることができます。悲しみを告白することができます。
どうやって重荷をおろしてきたか、周りの人と体験談を話してみましょう。

8月

8月

ピリピ書講解

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ピリピ人への手紙2章1-2節
愛されることが原点

1 ですから、キリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、
2 あなたがたは同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、思いを一つにして、私の喜びを満たしてください。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

1. 苦しみがあるから、励ましが必要だと神は知っている
パウロもピリピの教会も、苦闘を経験していた(1:30)ということが直前に書いてあります。
教会の置かれる状況は、大抵の場合、厳しいものです。
人となられたイエスは、私たちの世界の汚れ、醜さを実際に体験し、最後は十字架で殺されました。
この世界の苦しみや孤独、絶望をイエス様は身をもって知っています。
だからこそ、この世界で神を信じる私たちが直面する苦しみを理解し、私たちには励ましや慰めが必要だってことをよくわかってくださいます。

2. 苦しみに向かい合えるように、励ましがある
苦しみがあるのと同じくらい確かに、神の励ましや慰めがあります。
私たちの感覚からしたら、こんなひどい状況は救いようがないと思っても、
こんな悲惨なところに救いはないと思っても、これだけは確かなのは、神の手が届かないところは決してない。
神の光が届かない暗闇は決してない。
どんなに苦しくても、1 人ぼっちだと思っても、全世界の罪を背負って十字架で死んだイエスは、私たちの隣に来てくれる。
イエスの励ましと慰めは確かです。

3. みこころを求め、一つに
同じ思い、一つの思いになるとは、この世界の価値観を手放して、神の価値観を受け入れていくこと。
私の考えではなく、神の思いを優先すること。みこころが天でなるように、この地で、この場所でなるようにと心から祈り、実際に行動することです。
それも 1 人ではなくて、一緒に。1 人だけでも素晴らしいけど、一緒に手を取り合ったら、
想像できないような、いわゆる「奇跡」を私たちは目撃することになります。
私たちの役割はきっと奇跡を起こすのではなく、神の起こした奇跡を目撃すること。
そして奇跡の証人となることです。

■一緒に考えてみましょう
・「励まし」「慰め」「交わり」「愛」を必要としている人のために祈りましょう。
・一つになることは決して簡単ではありません。その道のりは険しいでしょう。
でも、その先には神様の祝福が待っているはずです。みこころを求め、一つになった体験はあるでしょうか。

7月

7月

ピリピ書講解

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:蒔田 望 牧師
聖    書:ピリピ人への手紙 1 章 21-24 節
生きること、死ぬこと

21 私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。
22 しかし、肉体において生きることが続くなら、私の働きが実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいか、私には分かりません。
23 私は、その二つのことの間で板ばさみとなっています。
私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。そのほうが、はるかに望ましいのです。
24 しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためにはもっと必要です。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

1. 生きるも死ぬもキリスト

直前の「生きるにしても死ぬにしても、私の身によってキリストがあがめられること」(1:20)という言葉を抜きに、今日の部分は理解できません。
いつ、どこで、何をするにしても、それこそ、生きていても、死ぬことがあっても、イエス様があがめられるように!というのがパウロの姿勢でした。
あがめるとは、文字通りには「より大きくなるように」という言葉。牢獄の中、自分の生死に関心が向きそうな状況で、イエス様にパウロの心は向いていました。

2. 苦難を経て達した感覚

生きるも死ぬもキリストと大胆に述べるパウロ。この境地に至るまでに、彼は多くの困難を通りました。
2 コリント 1:8-11 を読んでみてください。自分の苦しみを知ってほしいと語り、どれだけ厳しい状況だった説明しました。
その経験を通して彼は「自分自身に頼らず、神に頼る」ことを学びました。苦難の中、パウロにも感情の浮き沈みはあったでしょう。
辛いと思うこともあったと思います。そういう苦しい中を、神様の守りの中、通ることによって、信仰は成熟していくものだということを心に留めたいと思います。

3. 「死」はもはや苦しみではない

「死」とは、聖書では最後の敵として登場します。痛み、悲しみ、苦しみの極みが「死」です。
でも、パウロは死を悲惨なものとは理解していません。なぜなら、イエス・キリストの十字架と復活があったからです。
「死」に伴うすべての否定的なものをイエス・キリストが身代わりに引き受け、苦しまれ、そして死を滅ぼして、復活しました。
ですから、イエス・キリストを信じるすべての人は、もう「死」を恐れなくて大丈夫だとパウロは知っているのです。
死はキリストと共にいることであり、平安な場所に変わりました。

■一緒に考えてみましょう
●「生きるも死ぬもキリストがあがめられること」をパウロは求めましたが、今日の私の心はどこに向いているでしょうか。
神様の愛の中でゆっくり考えてみましょう。
●「苦しみを神の守りの中で通り抜ける経験」を思い出すことはできるでしょうか。

6月

6月

ピリピ書講解

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

説教者:渋谷 昌史 伝道師
聖    書:ピリピ人への手紙1章9-11節
神の愛を祈りに込めて

9.私はこう祈っています。あなたがたの愛が、知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、
10.あなたがたが、大切なことを見分けることができますように。こうしてあなたがたが、キリストの日に備えて、純真で非難されるところのない者となり、
11.イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされて、神の栄光と誉れが現されますように。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

■アウトライン

1.大切なことを見分けることができますように(9節-10節の途中)

今日のみことばに見られるパウロの祈りの具体的な内容は二つに分けられます。
一つは「大切なことを見分けることができますように」という祈りです。
「大切なことを見分ける」とはどういうことなのでしょう?
そのヒントは、私たちクリスチャンが二重国籍を持っているということを考えてみるとわかるかと思います。
私たちはこの世界を生きつつ、同時にこの世界に「神の国」を見いだし、「神の国」を生きています。
「神の国」の価値観、すなわちイエス・キリストの福音に生きているのです。
イエスを信じ、みことばに養われ、みことばに生き続けていると、どうでしょう?
私たちの生き方は変えられますよね。
神を知る前は、自分の知識や識別力に頼っていたけど、神を知る今は「イエスさまなら、どうなさるだろうか?」と考え、
相手も自分も生かすような平和をつくり出す道を探っていくことでしょう。
この生き方のベースに「神の愛」があります。

 

2.キリストの日に備えて、神の栄光と誉れが現されますように(10節の途中-11節)

パウロの祈りの二つ目のものは、「キリストの日に備えて、神の栄光と誉れが現されますように」という祈りです。
先の祈りが、今、キリスト共に「神の国」を生きる、というところにパウロの意識が向けられているとしたら、
この祈りは、聖書が約束する「神の国」の完成に意識が向けられています。
今、私たちが神と共に歩むことがゆるされている「神の国」は、イエスさまによって「すでに」もたらされましたが、
「いまだ」完成には至っておりません。だから、苦しみもあるし、悲しみもあります。
しかし、「神の国」の完成の約束は約束されています(参照:ヨハネの黙示録21-22章)。
私たちは、先が見えない不安の中を歩んでいるのではなく、先が見えなくて不安に感じるような中においても、
聖書が約束している確かな希望の中に身を置いています。聖書の世界観の住人なのです。
キリストの日が必ず来ることを知りつつ「今」を生きられる幸いを味わいましょう。

 

3.パウロの祈りが私たちの祈りになる

私の神学校の恩師のように、神さまが「私たち」を通してどのように働かれるか、ということを大いに期待し、
今日のみことばの「あなたがた」を「私たち」に置き換えて、共に祈りましょう。
私はこう祈っています。「私たち」の愛が、知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、
「私たち」が、大切なことを見分けることができますように。
こうして「私たち」が、キリストの日に備えて、純真で非難されるところのない者となり、
イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされて、神の栄光と誉れが現されますように。
共に祈れる幸いに感謝します。

■一緒に考えてみましょう

●「聖書のみことばが自分の祈りになる」体験がありましたら、自由に分かち合い、互いに祈り合いましょう。

3つの礼拝の時間

grade

第一礼拝

10:00

ピアノとベース
現代的な曲も

第二礼拝

11:10

パイプオルガン
伝統的な曲が中心
英語への同時通訳

子ども礼拝

10:50-11:20

小学生までの子どもが対象
■緊急事態宣言中の礼拝とその他活動について

練馬バプテスト教会では、緊急事態宣言が発出された場合はオンライン礼拝に切り替えるという基準をもって礼拝を行ってきました。
東京都を対象に、2021年4月25日より5月11日まで緊急事態宣言が出されましたので、緊急事態宣言発令中、日曜日の礼拝はオンライン礼拝のみとします。

主日礼拝 10:00-10:30(YouTubeライブ配信、ライブ配信後も視聴できます)
月の第1,3週は第1礼拝の式次第、第2,4,5週は第2礼拝の式次第で行います。
配信や奏楽などの奉仕は、公共交通機関を使わずに来られる者のみ対応します。

平日の活動も、原則オンラインでの対応とします。
オンライン参加が難しい場合は教会にご相談ください。

礼拝に来た人

grade
52
第一礼拝
38
第二礼拝
26
子ども礼拝

12月20日の出席者

礼拝に関するよくある質問はこちらにまとめてあります。
少しでも不安がありましたら、お問い合わせください。
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