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 自転車神山 英子

2009年、家庭の事情でヘルパー資格を取り、
2つの訪問介護事業所で登録ヘルパーとして勤務しました。

最初は、自宅から自転車で25分ほどかかる土支田や石神井公園などのお客様宅で、家事援助からのスタートでした。

56歳でそれまで、自宅で家庭教師などのんびりやっていたため、
雨の日、雪の日の自転車移動とサービス内容には涙が出るほどでした。
掃除機かけ、風呂、トイレ、床の雑巾かけ掃除などを必死で、
時間内に終わらせることが精いっぱいでした。
その頃、作った俳句”ヘルパー坂、行きも、帰りも蝉しぐれ“は、
一人前のヘルパーになるには、いくつの坂を超えるのだろうかとの思いが込められています。

苦しさのほうが勝っていたヘルパー仕事でしたが、サービスを継続しているうちに、
お客様が、いろんなお話をしてくださるようになりました。
その方の今までの生活歴をうかがっているうちに、お一人ひとりに人生があり、懸命に生きてこられたことを知りました。

認知で高齢なAさんは老舗の若女将だったこともあり、ヘルパーの名前をしっかり覚え、
その性格まで、見抜くようなところがありました。
決して認知症がすべての機能低下に繋がらないこと、尊厳をもって接する大切さを教えられました。

介護2 (2)

息子さん一家と同居のBさんは、寝たきりになってからは、食事を拒否されるようになりました。
体の数か所にあざもあり、虐待を疑いましたが,ベッドから転倒したのだと言われました。
おむつ交換で入る私に、”あなたは、何か宗教を持っているね“と、私が行く日を楽しみに待っていてくださり、
退出時には、涙ぐまれました。

Cさんは資産家でご主人亡き後、子供さんもなく、認知症、物とられ妄想もありましたが、
広い一軒家に住まわれ、ロッキングチェアーに揺られお庭の花々を見るのが大好きでした。
長年の身についた倹約生活で、冬でも電気炬燵の他、暖房器具を使用することなく、
調理中の私のそばに来て、ガスの火に手をかざし、”あったかいね“と、にっこり微笑みかけ
“娘がきてくれてるようだよ“と言ってくださいました。
冬の寒い朝、トイレの前で倒れ、亡くなられていました。
戦争中、弟さんの遺骨を京都から上野まで一人で持ち帰り、大空襲に遭ったことや、
庭の山吹の花を見ながら“七重、八重、花は咲けども,蓑一つだになきぞ哀しき”と太田道灌の山吹伝説などを教えてくださいました。

ターミナルで在宅生活をされていたDさんは、オートクチュールのデザイナーでした。
気管カニューレ装着のため声を失って、筆談でお話していました。
呼吸をするのも辛い状態が多くありましたが、愚痴をこぼされることはありませんでした。
“あなたの話は楽しい”と、よく笑ってくださったのですが、そのたび痰がからまって、苦しくなられ、申し訳ないことをしました。
ホスピスのことをお尋ねになり、知っているキリスト教系のホスピスのお話をしました。
緊急入院からホスピスに移られたため、お別れはできませんでしたが、
萩が咲く秋、私がお話していた、そのホスピスに移られたことを知りました。
“痰切って、命つなげし萩の宵”Dさんの命を繋げる壮絶な戦いに平安が訪れるようにと祈らずにはいられませんでした。

このようにして5年間で、1200日の従事日数を数え、3年目で介護福祉士、5年目でケアマネ資格を取得しました。
以前は喘息で緊急入院や治療を繰り返していたこともありましたが、不思議にこの間、健康が守られ、ここまで続けてこられました。
兄弟姉妹達の祈りの支えと、家族の協力のお蔭でした。
そして、多くの高齢者の方々とサービスを通じてお会いでき、人生の生きざまをみせていただくことができました。
多くの方が、今はこの地上にはいらっしゃいませんが、思い出の中で、
“私がいたことを覚えていてね”と囁いていらっしゃるような気がしています。
数々の思い出は、尊い真珠のようです。
24時間対応しなければならない家族ではなく、時間の限られているヘルパーだから言えることかもしれませんが、
サービスを提供する中で、私のほうが逆に多くの励ましや、慰めや、生活の知恵、ユーモアさえもいだだいたことを感謝しています。
時には、ご一緒に涙することもありました。
何一つ、状況を変えることができない自分の無力さも思い知らされました。
そして、何かを変えることを求められているのではないことも学びました。
人は誰かに自分の存在意義を認められたいのだと強く思わされます。
人生の最終章に,所縁のない者でありながら関わらせていただき、ひと時でも寄り添うことができ、
その方の心に触れられたことは、ヘルパー冥利につきると言えます。

そして、今年5月から、62歳、新人ケアマネージャーとして、高松地区の居宅支援事業所で働く道が開かれました。
パソコン業務に老眼鏡で向かう日々です。
地域資源の情報収集、相談業務のスキルアップ等、課題満載で、ヘルパー坂ならぬ、ケアマネ坂に新たに挑戦することに、恐れと戸惑いを感じています。
しかし、船をでてイエス様の居るほうに歩みを始めたペテロのように御手にすがりつつ、
一歩一歩、お客様の心を汲むことができるよう、前進していきたいと願っています。

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